ラナルド・S・マッケンジー

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ラナルド・スライデル・マッケンジー
Ranald Slidell Mackenzie
RSMackenzie.jpg
ラナルド・スライデル・マッケンジー将軍
渾名 バッドハンド
生誕 1840年7月27日
ニューヨーク州ウェストチェスター郡
死没 1889年1月19日(満48歳没)
ニューヨーク州スタテンアイランド
所属組織 アメリカ合衆国陸軍
軍歴 1862年-1884年
最終階級 名誉少将
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ラナルド・スライデル・マッケンジー: Ranald S. Mackenzie1840年7月27日-1889年1月19日)は、アメリカ陸軍の職業軍人であり、南北戦争のときは北軍将軍だった。ユリシーズ・グラント将軍は最も将来有望な若い士官だと表現した。その後のインディアン戦争で傑出した働きをした。

生い立ちと教育[編集]

マッケンジーはニューヨーク州ウェストチェスター郡で、外交官ジョン・スライデルの甥、アメリカ海軍の少佐アレクサンダー・スライデル・マッケンジーの兄として生まれた。1862年ウェストポイント陸軍士官学校を同期の首席で卒業し、その後すぐに南北戦争を戦っていた北軍に入隊した。

軍歴[編集]

マッケンジーはアメリカ陸軍工兵司令部の少尉に任官され、第二次ブルランの戦いアンティータムの戦いゲティスバーグの戦いに参戦し、1864年のオーバーランド方面作戦ピーターズバーグ包囲戦に従軍した。ブルラン、ゲティスバーグおよびジェルサレム・プランクロードでは負傷した。ピーターズバーグ包囲戦の間のジェルサレム・プランクロードで負傷した時には指を2本失い、おそらくその渾名である「バッドハンド」のもとになった。1864年6月までにその勇敢さで正規軍の中佐に名誉昇進した。

1864年7月、第2コネチカット重砲兵隊の大佐に指名された。南軍ジュバル・アーリーワシントンD.C.を襲ったときは、スティーブンス砦の戦いに対抗する第6軍団と共に移動した。オペクォンの戦いでまた負傷した。その後第6軍団第1師団の第2旅団長を任され、シーダークリークの戦いでも負傷した。この傷から快復すると、志願兵の准将に指名され、ジェームズ軍の騎兵師団長となり、ファイブフォークスの戦いアポマトックス・コートハウスの戦いで指揮を執った。1865年には、1864年のバレー方面作戦での功績で志願兵の名誉少将に指名された。マッケンジーは厳しい規律で知られ、その下で仕える兵士達にはあまり好かれなかったので、部下達は彼のことを「終わりがない懲らしめ屋」と呼んだ。しかし同僚や上官にはその技術や能力で尊敬され、ユリシーズ・グラント将軍をして「最も将来有望な若い士官」だと言わしめることになった。負傷すること6度、名誉昇進をはたすこと7度だった。

インディアン戦争での従軍[編集]

南北戦争が終わった後、マッケンジーは正規軍に留まり、工兵司令部の恒久的大尉の階級に戻された。その後のインディアン戦争の時代にアメリカ合衆国西部で従軍し、1867年には第41アメリカ歩兵連隊(後に第24アメリカ歩兵連隊、バッファロー・ソルジャーの1部隊)で正規軍の大佐に指名され、アメリカ合衆国南西部でアパッチ族インディアンと戦った。1871年2月25日テキサス州ジャックスボロのリチャードソン砦で第4アメリカ騎兵隊長となった。この連隊を率いてテキサス州西部のリャノ・エスタカードノースフォークの戦いに参戦し、アメリカ合衆国政府の政策である居留地への移住に抵抗していたインディアンを破る為にその特異な地形に合った戦術を完成させた。1871年遅く、足に矢傷を負って、7度目の負傷となった。

1874年、マッケンジーはレッド川戦争で戦い、テキサス州サンアンジェロにあった作戦本部のコンチョ砦からはるか北であったパロデュロ・キャニオンの戦いでインディアンの連合軍を壊走させた。1876年、ダルナイフの戦いでシャイアン族を打ち破り、ブラックヒルズ戦争を終わらせることに貢献した。このことで1881年にはニューメキシコ地区軍指揮官に指名された。1882年、准将に指名され、テキサス方面軍任務となった(1883年10月30日)。マッケンジーはテキサスの牧場を購入し、婚約した。しかしオクラホマ州シル砦で荷車から落下して頭を負傷することになった奇妙な振る舞いを始めた。マッケンジーは精神的不安定の兆候を示し、精神の進行麻痺で1884年3月24日に陸軍から除隊した[1]

マッケンジーはニューヨーク州スタテンアイランドのニューブライトンにあった姉妹の家で死に、ウェストポイント墓地に埋葬されている。かってマッケンジーの経歴を何年間も密に辿って報告していた「ニューヨーク・タイムズ」はその死について短いコメントを載せただけだった。しかし、「アーミー・アンド・ネービー・ジャーナル」はマッケンジーの軍歴や個人的生活について長い記事を掲載した。その記事は「かって輝いていたラナルド・スライデル・マッケンジーの死から陸軍が学ぶことになる悲しみは、彼の後年に影を投げかけ生き地獄を委ねることになった暗雲を回想することから更なる悲痛を引き出している。」

1958年から1959年に放送された番組販売のテレビシリーズ、『マッケンジーの襲撃』はリチャード・カールソンをその主役にしており、マッケンジーのテキサス時代に大まかに基づいている。

脚注[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • Eicher, John H., and Eicher, David J. Civil War High Commands. Stanford University Press. 2001. ISBN 0-8047-3641-3.
  • Robinson III, Charles M. Bad Hand: A Biography of General Ranald S. MacKenzie. State House Press. 1993. ISBN 1-880510-02-2.
  • Faust, Patricia, L. (ed.) Historical Times Illustrated Encyclopedia of the Civil War. Harper Perennial. 1991. ISBN 0-06-271535-6.

外部リンク[編集]