ユリコ (ダンサー)

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ユリコ
生誕 ユリコ・アメミヤ
(1920-02-02) 1920年2月2日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼ
死没 2022年3月8日(2022-03-08)(102歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州マンハッタン
別名 ユリコ・キクチ
職業 ダンサー、振付師
著名な実績 マーサ・グラハム・ダンス・カンパニー
配偶者
チャールズ・キクチ (m. 1946)
子供 2
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ユリコ・キクチ (Yuriko Kikuchi、旧姓: アメミヤ; Amemiya、1920年2月2日 - 2022年3月8日) は、アメリダンサー振付師マーサ・グレアム・ダンス・カンパニーに所属していたことで知られる。

生い立ちおよび経歴[編集]

1920年、カリフォルニア州サンノゼで生まれたが、1930年、アメリカ国内に蔓延していたインフルエンザから逃れるため日本に転居した[1]。1930年から1937年、東京の石井小浪舞踊研究所に所属しダンスを学んだ[2][3][4][1]。1937年、アメリカに帰国し、ロサンゼルスにてドロシー・リンドールのジュニア・ダンス・カンパニーに所属した[2]

強制収容[編集]

1941年から1943年、他の日系アメリカ人たちと共にアリゾナ州ヒラリバー戦争移住センター収容され、そこでダンスを教えた[2]。1943年9月に解放され、すぐにニューヨークに転居した[3]

マーサ・グレアム・ダンス・カンパニー[編集]

1944年から50年間、マーサ・グレアム・ダンス・カンパニーに所属していた。『アパラチアの春』、『Cave of the Heart 』、『Dark Meadow 』のほか、グレアム版『Clytemnestra 』初演などに出演した。またユリコはグレアムの振付を再現している。

モダン・ダンス以外に、ブロードウェイにおいて『王様と私』(1951年-1954年)、『フラワー・ドラム・ソング (ミュージカル)英語版』(1958年–1960年)それぞれの初演時に出演した。またテレビや映画でもダンスおよび演技を披露している。1967年から1973年まで自身のモダン・ダンス・カンパニーを主催していた。Halim El-Dabh、ユージン・レスターともダンスで共演している。

受賞歴[編集]

1967年、Guggenheim Fellowship の助成金を受けた。1991年、Bessie Award を受賞した。2006年、ボストン音楽院から名誉博士号を授与された。2012年、マーサ・ヒル・ダンス・ファンド特別功労賞を受賞した。

私生活[編集]

1946年に結婚し、子供が2人いる[5]。1977年、娘のスーザン・キクチが『王様と私』ブロードウェイ再演において、初演時に母が演じたイライザ役を演じた[6][7]。現在ユリコはニューヨークのマンハッタンに住んでいる。

映画出演歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Greskovic, Robert (2004年5月16日). “Martha Graham's One-Name Muse”. New York Times 
  2. ^ a b International Dictionary of Modern Dance. Gale Biography in Context 
  3. ^ 村山茂代「日本女子体育専門学校における二人のダンス教師 : 高田せい子・石井小浪」『日本女子体育大学紀要』第38巻、日本女子体育大学、2008年3月、33-38頁、CRID 1390290699757645440doi:10.34349/00000840ISSN 02850095 
  4. ^ 師石井小浪先生”. 佐藤典子バレエ教室 (2004年12月24日). 2017年3月14日閲覧。
  5. ^ <Asian Week Archived October 10, 2013, at the Wayback Machine.
  6. ^ "The King and I Trivia: March 22, 1954"[リンク切れ], Rodgers and Hammerstein.com. Retrieved December 26, 2012
  7. ^ Barnes, Clive. "King and I, reminder of golden age", The New York Times, May 3, 1977, p. 50. Retrieved February 17, 2011. (Paid subscription required要購読契約)

外部リンク[編集]