関ヶ原メナードランド
関ヶ原メナードランド | |
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施設情報 | |
事業主体 | 日本メナード化粧品 |
管理運営 | 株式会社メナード関ヶ原ランド |
開園 | 1972年(昭和47年)11月27日 |
閉園 | 2001年(平成13年)1月31日 |
所在地 | 岐阜県不破郡関ケ原町大字玉1407-65番地 |
位置 | 北緯35度22分02秒 東経136度25分53秒 / 北緯35.36722度 東経136.43139度座標: 北緯35度22分02秒 東経136度25分53秒 / 北緯35.36722度 東経136.43139度 |
関ヶ原メナードランド(せきがはらメナードランド)は、岐阜県不破郡関ケ原町大字玉1407-65番地にかつて存在していた遊園地。
概要
[編集]元々当地には、戦前に第9師団歩兵第19連隊管理下の名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠(通称:玉の火薬庫)が設けられ、半地下式の火薬庫が並んでいた[1]。
1972年(昭和47年)11月27日開業。当初は乗馬とアーチェリーの施設だった[2]。
オープン後にジェットコースター、大観覧車、迷路、ゴーカートなどを設置[2]。化粧品製造販売業の日本メナード化粧品の子会社である株式会社メナード関ヶ原ランドがこの施設を運営した(最終的な資本金は1450万円)。土地は自社所有。敷地面積は約180,000平方メートルで20種ほどのアトラクションが設けられていた[2]。入場料は大人1,000円で、園内の乗り物に乗るにはこれとは別に料金が必要だった(ゴールデンウィークや夏休み期間など、不定期に入場料のみの「遊び放題」になることもあった)。また、東海地方最大級の屋外スケートリンク「関ヶ原メナード国際スケートセンター」を併設していた[2]。かつての火薬庫も一部が遊戯施設に転用されていた[3]。
1970年代から1980年代には、中京広域圏を対象に同施設のテレビCMが活発に放送された。入場者数のピークは1989年(平成元年)で年間約24万人が来場した[2]。
しかし、1995年(平成7年)頃から入場者数は低落傾向になり、2000年には15万人前後にまで減少した[2]。
2000年(平成12年)10月1日から「全面改装」の名目で休園し、リニューアルオープンを目指したが、翌2001年(平成13年)1月31日、一度も再開されることなくそのまま閉園された。施設は事務所棟部分が一部残されていたが、2010年(平成22年)になってすべて解体された。以後跡地は更地のままになっており、跡地の利用に関しては未定である。
主な施設
[編集]- 大観覧車スカイウォーク
- ジェットコースター
- パラトルーパー
- メリーゴーランド
- 弁慶号豆汽車
- トップスインガー
- ローリングコースター
- コロンブス号
- アラビアンメリー
- ゴーカート(一人乗りタイプ/二人乗りタイプ)
- スーパーカー
- 回転ボート
- 悪魔の城
- トランポリン
- 飛行塔
- バズーカ砲
- 忍者屋敷
- こどもアートハウス - 女優・陶芸家の結城美栄子が手掛けた陶人形を展示していた。
- スケート場(メナード国際スケートセンター) - メナードランド閉園後も、『関ヶ原 Live Wars』というロック・フェスティバルを行うなど営業を継続。1999年(平成11年)には野猿、2000年(平成12年)にはシャ乱Qが出演した。入場料は大人1500円、1周330メートル、幅13メートル、午前9時から午後5時まで営業していた。
- スケートレストラン(直営/客席数200)
- メナードレストラン(委託/客席数70)
入場料
[編集]- 大人 1,000円
- 小人 800円
- 幼児 600円
開園時間
[編集]- 午前9時30分 - 午後5時
休園日
[編集]- 毎週木曜日(※春・夏休み期間と祝日、冬季を除く)
マスコットキャラクター
[編集]- うさぎのメナちゃん(雄、雌、合計2体)
アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 玉の火薬庫跡 - 関ヶ原観光ガイド
- ^ a b c d e f “閉園の遊園地・関ケ原メナードランド 最盛期「すごい人出」男女出会いの場にも”. 岐阜新聞 (2022年8月22日). 2022年8月22日閲覧。
- ^ 廃墟メナードランド「名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠跡」 - 帝都を歩く・2020年6月3日
- ^ サンケイ新聞データシステム 編『全国レジャーランド名鑑1996』サンケイ新聞データシステム、1996年2月。ISBN 4879095591。