マリオ・コルナ
|
||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 | マリオ・エステヴェス・コルナ | |||||
| 愛称 | O Monstro Sagrado | |||||
| ラテン文字 | Mário Coluna | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1935年8月2日(77歳) | |||||
| 出身地 | モザンビーク・イニャカ | |||||
| 身長 | 173cm[1] | |||||
| 体重 | 76kg[1] | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF(LH,IL) | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1945-1954[1] 1954-1970 1970-1972 |
ロレンソ・マルケス SLベンフィカ オリンピック・リヨン |
677 (150) 19 (2) |
||||
| 代表歴 | ||||||
| 1955-1968 | 57 (8) | |||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
||||||
マリオ・エステヴェス・コルナ(Mário Esteves Coluna、1935年8月6日 - )は、モザンビーク出身の元ポルトガル代表サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(インサイドレフト)[1]。愛称はオ・モンストロ・サグラード(O Monstro Sagrado、聖なる怪物)。
目次 |
経歴 [編集]
ポルトガル領東アフリカ(現モザンビーク)出身のコルナは、地元のデスポルティーヴォ・ロレンソ・マルケスでのプレーを認められ、1954-55シーズンにポルトガルのベンフィカに加入した。ベンフィカには1969-70シーズンまで在籍し、リーグ優勝10回、カップ優勝6回に貢献する。ヨーロピアンカップでは2度優勝(1960-1961、1961-1962)の後、さらに主将として3度準優勝(1962-1963、1964-1965、1967-1968)した。引退直前の1970-1971シーズンから1971-1972シーズンまではフランスのオリンピック・リヨンに在籍した。
ポルトガル代表としては57試合に出場し8ゴールを挙げる。デビュー戦は1955年5月4日の親善試合スコットランド戦、代表最後の試合は1968年12月11日のFIFAワールドカップ・予選のギリシャ戦である。1966年ワールドカップで3位に輝いた「マグリッソス」(en:Magriços)の愛称で知られる伝説的なチームで主将を務めた。
1975年にモザンビークが独立した後はモザンビークサッカー連盟会長やモザンビーク代表監督を歴任、1994年から1999年まで同国スポーツ相を務めた。
プレースタイル [編集]
エレガントで効率的なスタイルのゲームメーカーだったコルナは卓越したキック力でも知られ、1960-61シーズンのヨーロピアンカップ決勝のFCバルセロナ戦では、彼が決めた40メートルのロングシュートが決勝点になった。身体能力も非常に高く、モザンビークでの走り幅跳び記録を持つほどだった[1]。
タイトル [編集]
- ベンフィカ
- UEFAチャンピオンズリーグ: 1961, 1962
- ポルトガルリーグ: 1955, 1957, 1960, 1961, 1963, 1964, 1965, 1967, 1968, 1969
- ポルトガルカップ: 1955, 1957, 1959, 1962, 1964, 1969