マッチェム
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| マッチェム | |
|---|---|
| マッチェムの肖像 by George Stubbs | |
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 鹿毛 |
| 生誕 | 1748年 |
| 死没 | 1781年2月21日 |
| 父 | ケード |
| 母 | パートナーメア |
| 生国 | イギリス |
| 生産 | ジョン・ホームズ |
| 馬主 | ウィリアム・フェニック |
| 調教師 | - |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 12戦10勝 |
| 獲得賞金 | 不明 |
マッチェム(Matchem、1748年 - 1781年)は18世紀のイギリスの競走馬。18世紀の競走馬・種牡馬で、まだサラブレッドが完全には確立していない時代の名馬である。父方直系子孫は現在でも残存し、エクリプス、ヘロドと並びサラブレッド三大始祖の一頭に数えられる。この3頭の中では最も早く生まれた。(*注:マッチェムとほぼ同様の意味で、その2代父ゴドルフィンアラビアンを三大始祖と呼ぶことも多い。)
[編集] 生涯
イギリスでジョン・ホームズによって生産された。成長が遅く、体高(肩までの高さ)も15.1ハンド(約153.4cm、別の記述では14.3ハンド)と当時としてもあまり大きな方ではなかった。その後ウィリアム・フェニックの手に渡ったという。
マッチェムは優れた競走馬、種牡馬であったが、競走馬としてのエクリプスや、種牡馬としてのヘロドほど抜きん出た存在ではなかった。現役時代を紹介すると、当時の強豪トラヤヌスが出走していたニューマーケット競馬場の4マイル戦では、それを7分20秒の好タイムで破り(別者注:レースタイムが初めて正規に計られたのは1846年からであり、このタイムをそのまま信用する事は好ましくない。黎明期の競馬ではフライングチルダーズが1マイルを1分で走ったなど、誇張された逸話が伝えられているものだ)、さらにトラヤヌス陣営が馬の体調が悪かったと主張すると、翌年4月の再戦でも再びトラヤヌスを下している。負けたレースは1756年のジョッキークラブプレート(優勝馬スペクテイター)と翌年の同レース(優勝馬ミルザ)のみで全成績は12戦10勝と伝えられ、当時のトップホースの一頭と評価されている。
その後12歳で引退すると、1781年に33歳で死亡するまで現役種牡馬として活躍し、ヘロドが登場するまでの間マッチェム系を主流血統として発展させた。後継種牡馬となったコンダクター、セントレジャーステークス優勝馬オランディーズ、オークス優勝馬テトータム等の名馬を輩出し、1772 - 74年イギリスリーディングサイアーを獲得している。産駒は354頭が勝ち上がり、獲得賞金は合計で15万ポンドに達した。(*直系子孫についてはマッチェム系を参照。)
[編集] 主な産駒
- アルフレッド(Alfred 1770年)
- コンダクター(Conductor 1767年) 後継種牡馬
- オランディーズ(Hollandise 1775年) セントレジャーステークス
- テトータム(Tetotum 1777年) オークス
- ターフ(Turf 1760年)
[編集] 血統表
| マッチェムの血統 (マッチェム系/Spanker Mare5×4=9.38%) | |||
|
父
Cade 1734年 鹿毛 |
Godolphin Arabian 1724年 |
不明 | 不明 |
| 不明 | |||
| 不明 | 不明 | ||
| 不明 | |||
| Roxana 1718年 |
Bald Galloway | St.Victor's Barb | |
| Grey Whynot | |||
| Akaster Turk Mare | Akaster Turk | ||
| Cream Cheeks | |||
|
母
Partner Mare 1735年 |
Partner 1718年 栗毛 |
Jigg | Byerley Turk |
| Spanker Mare | |||
| Sister One to Mixbury | Curwen Bay Barb | ||
| Curwen Spot Mare | |||
| Brown Farewell 1710年 |
Makeless | Oglethorpe Arabian | |
| 不明 | |||
| Brimmer Mare | Brimmer | ||
| Trumpet's Dam F-No.4 | |||

