マクリーン事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 最高裁判所判例 | |
|---|---|
| 事件名 | 在留期間更新不許可処分取消請求事件 |
| 事件番号 | 昭和50年(行ツ)第120号 |
| 1978年(昭和53年)10月4日 | |
| 判例集 | 民集32巻7号1223頁 |
| 裁判要旨 | |
|
|
| 大法廷 | |
| 裁判長 | 岡原昌男 |
| 陪席裁判官 | 岸盛一 天野武一 岸上康夫 江里口清雄 大塚喜一郎 高辻正己 吉田豊 団藤重光 本林譲 服部高顕 環昌一 栗本一夫 藤崎万里 本山亨 |
| 意見 | |
| 多数意見 | 全員一致 |
| 意見 | なし |
| 反対意見 | なし |
| 参照法条 | |
| 憲法第3章、憲法第22条、第21条、出入国管理令第21条第3項、行政事件訴訟法第30条 | |
マクリーン事件( - じけん)とは、日本における在留外国人の政治活動の自由と在留許可をめぐる事件である。本件は、外国人に対して憲法が保障する人権がどこまで保障されるのかという点でも指導的な判例とされている。
[編集] 概要
アメリカ合衆国国籍を有する原告ロナルド・アラン・マクリーンは、1969年5月10日に在留資格4-1-16-3(在留期間1年)の上陸許可の証印を受けて日本に入国した。同在留資格は他の資格に含まれない「その他すべて」を網羅するもので、許可の際に活動内容(目的・職種・勤務先等)が個別に指定されるところ、マクリーンはある語学学校の英語教師としての稼働許可を受けたが、17日間で入国管理事務所に届け出ることなく別の職場に勤務先を変更した。また、在留中に外国人ベ平連に参加してデモなどに参加した。
翌1970年に1年間の在留期間更新の申請をしたところ、許可はなされたが活動内容は「出国準備期間」とされ、期間は120日間に短縮されたものであった。これを受け、マクリーンは在留期間1年を希望して再度の在留期間更新申請に及んだが、同再申請は不許可となった。
そこで、マクリーンはこの処分の取消しを求めて法務大臣を被告として提訴した。在留期間更新申請不許可の理由として法務大臣は、一審において、「無届けの転職」と「政治活動への参加」を挙げている。
一審の東京地裁(昭和47年3月27日判決)は原告の請求を認容し、法務大臣の処分を取り消した。しかし、二審の東京高裁(昭和50年9月25日判決)は一審を取り消し、原告の請求を棄却した。そして、最高裁判所(昭和53年10月4日大法廷判決)は上告を棄却した。
- 争点
- 外国人に在留する権利はあるか。
- 外国人に政治活動の自由はあるか。
- 判決
- 外国人に残留する権利は保障されない。
- 外国人の政治活動の自由はわが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等を除き保障される。
最高裁判決後の昭和53年10月31日、マクリーンは離日した[1]。