ブルータス、お前もか

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「カエサルの死」(ヴィンチェンツォ・カムッチーニ

ブルータス、お前もかラテン語: Et tu, Brute?/Et tū, Brūte?)は、ラテン語の誌的な格言であり、共和制ローマ末期の独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルが議場で刺殺された時、自身の今際に、腹心の1人であった元老院議員マルクス・ユニウス・ブルトゥス(父と区別して小ブルトゥスとも)に向かって叫んだとされる言葉である。即ち、自身の暗殺にブルトゥスが加担していた事を知ったカエサルが、「ブルトゥス、お前も私を裏切っていたのか」と彼に対して言ったのである。

短い言葉であるために直訳はともかく、意訳する場合はどのような言い回しとして考えるかは議論がある。「お前までか、ブルトゥス」、「そしてお前もか、ブルトゥス」、「お前もなのか、ブルトゥス」、「汝もか、ブルトゥス」、「そして汝もか、ブルトゥス」など、様々な翻訳が見られる[1]。この台詞で最も有名なのは劇作家ウィリアム・シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』における台詞が挙げられる。

シェイクスピアの影響から、西洋では"Et tu, Brute?"は親しい者からの裏切りを意図する格言として定着した。

[編集] 伝承

紀元前44年3月15日、独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルは自らの古い友人であり、腹心でもあった元法務官・元老院議員マルクス・ユニウス・ブルトゥスや部下でブルトゥスの従兄弟デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス、かつての敵だったガイウス・カッシウス・ロンギヌス閥族派によって暗殺された。カエサルは暗殺の際にブルトゥスの姿を認めるとひどく落胆し、トーガで自身の体を覆う仕草を見せて"Et tu, Brute?"と呟いたという。

よく誤解されることだが、カエサルがブルトゥスを揶揄する言葉を呟いたという伝承自体はシェイクスピアの史劇以前から存在するものであり、一から完全に創作した場面ではない。最も古い伝承では帝政ローマ初期の歴史家スエトニウスの『皇帝伝』(LXXXII)があり、古代ギリシャ語で「息子よ、お前もか?」(καὶ σὺ τέκνον, カイ・スュ・テクノン)と書かれている[2]。カエサルは古代ギリシャ語を流暢に話したと伝えられることから、こうした言葉を残したとしてもさほどの不自然さはない[3]

一方、"Et tu, Brute?"という言い回しで定着させたのは間違いなくシェイクスピアである。『ジュリアス・シーザー』では「ブルトゥス、お前もか?もはやカエサルもここまでか!」(Et tu, Brute? Then fall, Caesar!)と続く形になっている。ちなみに、シェイクスピアは同作以外にも似た場面と台詞を使用している[4]

[編集] 解釈

古くからこの言葉が本当に史実かどうかについて、歴史学者たちの間で既にローマ時代から議論が行われている。プルタルコスは「カエサルはマルクス・ユニウス・ブルトゥスの姿を見ると、トーガで身を覆う仕草を見せた」と伝えており、動揺を示しつつも言葉でなく仕草で現したと主張している[5]。スエトニウスに至っては「カエサルは言葉を残す暇もなく、刺されて死んだ」と伝えている。

仮に"Et tu, Brute?"、正確にはその源となった"καὶ σὺ τέκνον"が史実であるとした場合、「息子」という言葉をどのように解釈するかが議論となる。カエサルは後に大甥で養子のアウグストゥスに謀殺されたカエサリオンを除いて息子はなく、他に子供はポンペイウスの妻であったユリアの一女のみである。したがってこれは、当時からカエサル落胤説が囁かれるほどに寵愛されていたブルトゥスに対する言葉と考えられている[6][7][8]

もう一つの説としては、古代ギリシャの格言を引用したのではないかとする論がある[6]。『ジュリアス・シーザー』の台詞も"Et tu, Brute?"だけが広がり"Then fall, Caesar!"が余り広がっていないのと同じように、"καὶ σὺ τέκνον"も部分を抜き出しただけなのではないかとする論者もいる。この論に立つ場合、カエサルの言葉は「息子よ、お前も私と同じ末路を辿るだろう」(ブルトゥスが元老院で失脚することへの予測)であったと主張される[6]。他に「次はお前の番だ」(Your turn next)とする説[8]、「先に向こうで待つぞ、若造!」(To hell with you too, lad!)とする説[8]など多様であるが、無言で死んだとするスエトニウスも自らが聞いた説として"tu quoque, fili mi"(息子よ、お前までが)を書き残している[9]。これは18世紀のラテン語の教本である"De Viris Illustribus"などに引用されており、現代に影響を残した。

また「ブルトゥス」は通常、暗殺の指導者の1人で、カエサルが最も愛したと伝えられるセルウィリア[10]の息子であるマルクス・ユニウス・ブルトゥスを指すが、カエサルが呼んだ「ブルトゥス」は、子供の頃から知っているとはいえ愛人の子に過ぎなかった彼ではなく、その従兄弟に当たりカエサルにとって腹心中の腹心でもあったデキムス・ブルトゥスであったとする説もある[11]。数日後、カエサルの遺言状が開封された。第一相続人に当時18歳の大甥ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス(後のアウグストゥス)、第二相続人にデキムス・ブルトゥスとの内容であった[12]

[編集] 出典

  1. ^ Shakespeare, William ; S.F. Johnson, Alfred Harbage (Editors) (1960). Julius Caesar. Penguin Books, p. 74. 
  2. ^ Suetonius, The Lives of Twelve Caesars, Life of Julius Caesar 82.2
  3. ^ Suetonius, The Lives of Twelve Caesars, Life of Julius Caesar, translation by JC Rolfe
  4. ^ Dyce, Alexander ; (quoting Malone) (1866). The Works of William Shakespeare. London: Chapman and Hall, p. 648. 
  5. ^ Plutarch, The Parallel Lives, Life of Caesar 66.9
  6. ^ a b c Arnaud, P.  (1998). “"Toi aussi, mon fils, tu mangeras ta part de notre pouvoir" –Brutus le Tyran?”Latomus 57: 61–71.
  7. ^ Woodman, A.J.  (2006). “Tiberius and the Taste of Power: The Year 33 in Tacitus”Classical Quarterly 56 (1): 175–189. doi:10.1017/S0009838806000140.
  8. ^ a b c Henderson, John  (1998). Fighting for Rome: Poets and Caesars, History, and Civil War. Cambridge University Press. ISBN 0-521-58026-9. 
  9. ^ Lhomond De Viris Illustribus, Caius Julius Caesar
  10. ^ スエトニウス「皇帝伝」カエサル 50
  11. ^ 塩野七生「ローマ人の物語V ユリウス・カエサル ルビコン以後」
  12. ^ スエトニウス「皇帝伝」カエサル 83
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