オプティマテス
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オプティマテス (ラテン語:optimates) とは、共和政ローマ末期に元老院の主流派をなした、伝統的政治体制の維持を支持し変革に反対した政治的一派。日本語では閥族派(ばつぞくは)と訳されることが多い。代表的な人物にはキケロやスッラなどがいる。後述するように党派といった際に想像されるような共通した政策や団結などはないに等しい。ポプラレス(民衆派)と対立した。
単数形はオプティマス (optimas)。オプティマテスは「良い」の最上形オプティムス (optimus) に由来する語で「最善の人々」の意味。この意味から「最良の人士」などとも訳される。この他、「良き人々」を意味するボニ (boni) の表記も見られる。こうした呼称はいずれもキケロなどオプティマテス側の人々の記した資料によるものである。
[編集] 概要
ローマの政治システムは民会・執政官・元老院の三者によって語られることが多いが、このうち元老院が「父祖の遺風」と呼ばれる伝統的保守的傾向の強いローマの政治風土のもと強い影響力を保持していた。こうした政治実態に対して、共和政の末期には護民官と民会そして配下の兵を利用して元老院を凌駕する政治力を身につけようとする個人が登場し始めた。こうした個人に反発し対抗した人々がオプティマテスである。 こういった事情から、オプティマテスと呼ばれる人々には既得権を有したノビレスが多くみられる(ただ代表的オプティマテスとされるキケロはノウス・ホモ〈新人〉である)。
オプティマテスたちの敵対者となる個人はポプラレスと呼ばれるが、こうした敵対者が存在しない場合にはオプティマテスたちは個々に自らの政治的キャリアのために競い合っていた。
ポプラレスとは特定の政策の実施を目指す党派というより特定の政治手段をとる人々を指すが、その手段ゆえに実現を目指した政策には一定の共通点も見られ、ゆえにオプティマテスも特定の政策に反対しているように見える。例えばローマ市民権の拡大にも反対の姿勢をとり、マリウスやポンペイウスそしてカエサルが試みたような、卓越した個人が強大な軍事力を保持し政治的に台頭するのを阻止しようとした。
オプティマテスの政治的思想はスッラが独裁官になった時に最大限適用された。スッラのもとで民会はほとんど政治的能力が奪われ、元老院議員は300人から600人に定員を増やし、また退役した軍団兵は北イタリアに移住させられ、ポプラレスの支持者の大多数が粛清された。
カエサルの台頭とともにポプラレスは復活を遂げるが、オプティマテスの勢力は手ごわく、小カトーを中心にティトゥス・アンニウス・ミロ、ビブルスがカエサルに抵抗した。そしてカエサルはルビコン川を渡りローマに進軍、元老院との直接対決によって雌雄を決する事となり、その結果、彼らはカエサルに敗れた。しかし許されて元老院議員の身分に留まる者もおり、その中の一人に後にカエサルを暗殺するブルートゥスもいた。

