フリーダ・ダヴィドヴナ・グレーヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリーダ・ダヴィドヴナ・グレーヴィチ
生誕 1912年1月1日
 ラトビア プレイリ
死没 1988年9月18日(1988-09-18)(76歳)
研究分野 考古学 歴史学
出身校 ロシア国立ゲルツェン教育大学
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

フリーダ・ダヴィドヴナ・グレーヴィチロシア語: Фри́да Давы́довна Гуре́вич1912年1月1日 - 1988年9月8日)は、ソビエト連邦考古学者歴史家

経歴[編集]

1912年1月1日、ラトビアプレイリで生まれた。1932年にレニングラード(現: サンクトペテルブルク)のゲルツェン教育大学(現: ロシア国立ゲルツェン教育大学)を卒業後、1934年に国立考古学・民族学研究所(GAIMK)で中世西ヨーロッパ史について学んだ。1937年からソ連科学アカデミー(現: ロシア科学アカデミー)考古学研究所のレニングラード支部に勤務し、ベラルーシのポネマン(Понеманье)地方の(主に初期鉄器時代と旧ロシア時代)の歴史を考古学の観点から研究し、1964年からは上等研究員となった。また、1941年から1945年にかけての第二次世界大戦独ソ戦下においてはレニングラードから避難したソ連科学アカデミーの職員の子らの寄宿舎に勤務した。

1988年9月8日、76歳で死去した。

著作[編集]

参考[編集]