フランソワ・ダルランド
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フランソワ・ダルランド(仏: François Laurent le Vieux d'Arlandes, 1742年 – 1809年5月1日)は、1783年11月21日、ピラトール・ド・ロジエ[1]と共に、モンゴルフィエ兄弟の熱気球で最初の有人飛行を行ったフランスの侯爵である。
ドーフィネのアネロン[2]で生まれた。ダルランドはフランス近衛歩兵連隊の士官になり、トゥルノンのイエズス会の学校でジョセフ・モンゴルフィエに会った。1783年6月にモンゴルフィエ兄弟の熱気球の公開試験が行われ、9月19日には、気球に吊り下げた籠にヒツジ、アヒル、ニワトリを入れて上昇させ、飛行が生物に危険でないことが示された。フランス王ルイ16世は、最初の有人飛行に2人の死刑囚を使うことを提案した(有人飛行は生命の保証のない危険な行為であるという理由から)が、最初の気球搭乗者の名誉は死刑囚でなく高い地位の者に与えられるべきだと主張するポリニャック公爵夫人の助力を得て、ロジエ自ら乗員を志願し、ダルランドも同乗することに同意した。国王は彼らがパイロットとなることを認めた。
地上とつないだ状態で気球を操作する訓練を受けた後、1783年11月21日の2時頃、ブローニュの森のラ・ムエット城の庭から、国王の見守る中、最初の自由飛行に出発した。3000フィートの高さで25分間で9kmほどゆっくり飛行し、当時はパリの外れであった、ビュットオカイユ[3]に着陸した。飛行が終わった後、シャンパンで成功を祝い、これは気球乗りの伝統となった。
フランス革命後、不品行(臆病な行為)を理由に軍隊から解任され、アネロン近くのサルトンの彼の城で死亡した。自殺であったという説もある。
脚注 [編集]
- ^ (Jean-François Pilâtre de Rozier)
- ^ Anneyron
- ^ Butte-aux-Cailles
参考文献 [編集]
- Friedrich R. Kreißl, Otto Krätz: Feuer und Flamme, Schall und Rauch. Schauexperimente und Chemiehistorisches. 2. Auflage. Wiley-VCH, Weinheim 2008, ISBN 978-3-527-32276-3, S. 156.