フランシスコ・フルタド

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フランシスコ・フルタド[1](またはフルタード[2]、Francisco Furtado、1587年 - 1653年[2])は、ポルトガル出身のイエズス会宣教師。李之藻と協力し、末の中国アリストテレス由来の宇宙論論理学を伝えた。中国名は傅汎際體齋[2](体齋)。

生涯[編集]

ポルトガル領アゾレス諸島ファイアル島出身。イエズス会の拠点であるコインブラ大学で学問を修めた[3]。1618年、ニコラ・トリゴーとともにリスボンを発ち、1620年マカオに到着した[2]。中国ではアダム・シャールテレンティウスと行動を共にした[2]蘇州嘉定で中国語を学んだ後、杭州南京六部工部の官僚だった李之藻と交流した[2]。1630年に李之藻が没すると、陝西に赴き西安に聖堂を建てた[2]。1640年代の明清交替時には、北京の上長を務めると同時に、北部全体の統轄者として各地を巡察していた[1]。1653年、マカオで没した。

作品[編集]

李之藻と共同で、1628年に『寰有詮』全6巻、1631年に『名理探』全10巻、以上二つの漢訳書を杭州で刊行した[2]。どちらも原著は、1600年前後にコインブラ大学で刊行された叢書『コインブラ注解[4]』(: Commentarii Collegii Conimbricensis Societatis Iesu) 、すなわちアリストテレスの諸著作(およびポルピュリオスエイサゴーゲー[5])に対するラテン語注解書の叢書である。その中で、『寰有詮』は『天体論』の注解書の、『名理探』はオルガノン全般の注解書の、抄訳にあたる。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 中砂 2013, p. 129.
  2. ^ a b c d e f g h 橋本 2005, p. 80.
  3. ^ 橋本 2005, p. 84.
  4. ^ 新居洋子 著「第5章 イエズス会とキリシタン」、伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留 編『世界哲学史5』筑摩書房〈ちくま新書〉、2020年。ISBN 978-4-480-07295-5 133頁。
  5. ^ 深澤 1986, p. 123.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]