フランク・グリスウォルド

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尊師
フランク・グリスウォルド
 
第25代米国聖公会総裁主教英語版
フランク・グリスウォルド(2007年撮影)
教会 米国聖公会
着座 1998年
離任 2006年
前任 エドモンド・リー・ブラウニング英語版 
後任 キャサリン・ジェファーツ・スコリ英語版
他の役職 シカゴ教区補佐司祭英語版(1985年-1987年)
シカゴ教区主教英語版(1987年-1998年)
聖職
叙階/叙聖 1963年7月23日
by ジョセフ・ジレスピー・アームストロング
主教叙任 1985年3月2日
ジョン・モーリー・アラン英語版
個人情報
出生 (1937-09-18) 1937年9月18日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ペンシルベニア州 モンゴメリー郡 ブリンマー英語版
死去 (2023-03-05) 2023年3月5日(85歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ペンシルベニア州 フィラデルフィア
国籍 アメリカ人
教派・教会名 聖公会
両親 フランク・トレイシー・グリスウォルド・ジュニア & ルイーザ・ジョンソン 
配偶者 フィービー・ウエッツェル
子供 イライザ・グリスウォルド英語版 & ハンナ・マックファーランド 
出身校 ハーバード大学
オックスフォード大学オリオル・カレッジ
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フランク・トレイシー・グリスウォルド3世Frank Tracy Griswold III1937年9月18日 - 2023年3月5日)は、退任したアメリカ人主教で、第25代米国聖公会総裁主教英語版でもある[1][2][3][4][5]

若年期と教育[編集]

アメリカ合衆国のペンシルベニア州ブリンモウア英語版に生まれる。ニューハンプシャー州コンコードセント・ポールズ・スクールで教育を受け、1959年にハーバード大学で英文学の学位である教養学士号を取得した。米国聖公会総合神学校英語版に通い、1962年と1966年にオックスフォード大学オリオル・カレッジでも神学の学位である教養学士号を取得した(その後、文学修士号に変更)。

聖職者叙任[編集]

1963年に司祭に叙任され、1976年からシカゴ教区主教英語版に任命されるまで、ペンシルベニア州ヤードレイ英語版のセント・アンドリュー教会、ペンシルベニア州チェスナットヒルのセント・マーティン・イン・ザ・フィールズを含む3つの教区に仕えた。なお、1987年から米国聖公会総裁主教を継承する1998年まで司祭を務めた。

1998年から2003年まで聖公会・カトリック教会国際委員会英語版の副委員長であった。1998年に行われたランベス会議の常任委員会委員であり、教区委員や祈禱式・礼拝式・世界教会主義のための国家国際委員会委員も務めた。宗教間対話に興味を示したグリスウォルドは、現在エリヤ・インターフェース協会英語版の世界宗教指導者委員会の委員である[6]

総裁主教としてのグリスウォルドの任期は2006年11月1日までで、次代の総裁主教はアングリカン・コミュニオンで初めての女性大主教であるキャサリン・ジェファーツ・スコリ英語版に継承された。聖職者教育、教養・福音についての説教、著述業、講義や模範の研修を全国的および国際的に継続している。総裁主教としての任期を完了してからは、米国聖公会神学校英語版バージニア神学校英語版シーベリー=ウェスタン神学校英語版でだけではなく、韓国、キューバや日本の神学校や大学の客員教授も務めている。彼の著書には『Going Home』(コーリー・パブリケーションズ・クロイスター・ブック / Cowley Publications Cloister Book)、『Praying our Days: A guide and companion』(チャーチ・パブリッシング・グループ / Church Publishing Group)、『Tracking Down the Holy Ghost: reflections on love and longing』(チャーチ・パブリッシング・グループ)などがある。

私生活[編集]

グリスウォルドは妻のフェーベ・グリスウォルドと共にペンシルベニア州フィラデルフィアで暮らしている。彼は作家のイライザ・グリスウォルド英語版の父でもある[7][8]。親類にはシェルドン・マンソン・グリスウォルド英語版アレキサンダー・ヴィーツ・グリスウォルドがおり、2人とも米国聖公会主教であった。

2023年3月5日、フィラデルフィアにて死去[9]。85歳没。

名誉[編集]

米国聖公会総合神学校、シーベリー=ウェスタン神学校、ナショータ修道院神学校英語版ユニバーシティ・オブ・ザ・サウス英語版立教大学バークレー神学校英語版、およびバージニア神学校よりそれぞれ名誉学位が授与されている。さらに1997年にはイギリス女王のエリザベス2世より聖ヨハネ勲章英語版の副司祭を授けられた[10]

主教叙任者[編集]

グリスウォルドは米国聖公会において叙任された794番目の主教である(詳細は歴代米国聖公会主教の一覧英語版を参照)。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Prichard, Robert W.; Pub Co, Morehouse (1999). A history of the Episcopal Church. Harrisburg, PA: Morehouse Pub.. pp. 343. ISBN 0-8192-1828-6 
  2. ^ Webber, Christopher (2004). Give us grace: an anthology of Anglican prayers. Harrisburg, PA: Morehouse Pub.. pp. 445. ISBN 0-8192-1962-2 
  3. ^ “Ramallah school shut down: (Frank) Griswold files complaint.”. Anglican Journal. (1 February 2002). https://www.thefreelibrary.com/Ramallah+school+shut+down:+(Frank)+Griswold+files+complaint-a030038601 2018年6月24日閲覧。. 
  4. ^ Archived copy”. 2010年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月5日閲覧。
  5. ^ Doyle, C. Andrew (2008年3月8日). “Why Elect A Young Bishop?”. texasbishop.blogspot.com. 2018年6月24日閲覧。
  6. ^ The Elijah Interfaith Institute - Christian Members of the Board of World Religious Leaders
  7. ^ The Sunday Forum: Critical Issues in the Light of Faith”. Washington National Cathedral (2011年1月23日). 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月11日閲覧。
  8. ^ Michael Toy (2014年9月29日). “Eliza Griswold – The Tenth Parallel”. Trinity Church Website. Trinity Church, Princeton, NJ. 2015年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月11日閲覧。
  9. ^ lwilson (2023年3月5日). “Frank T. Griswold III, 25th presiding bishop, dies at 85” (英語). Episcopal News Service. 2023年3月6日閲覧。
  10. ^ "No. 54940". The London Gazette (英語). 6 November 1997. p. 12485.

外部リンク[編集]