ハナフェ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ハナフェ(一心会、하나회)は、朴正熙時代(1961年5月16日1979年10月26日)に大韓民国において全斗煥が、朴正熙の黙認のもと、陸士卒業生のうち主として嶺南[1]出身の優秀な将校を糾合して結成した軍内私組織[2]である。

概要[編集]

5・16軍事クーデターで政権を奪取した朴正熙は軍の統制に細心の配慮をした。元将軍たちにはたっぷり生活費を補助して不満を宥めた。予備役将軍は大使、国営企業長などに天下りさせた。退役した将校らを行政府、国営企業などに配置した。若手将校に対しては4年制の正規陸軍士官学校を卒業した第11期生のうち、嶺南出身の全斗煥、盧泰愚などに特に目をかけ、腹心に育てた[3]

全斗煥は、朴正熙大統領の黙認のもと、陸士卒業生のうち主として嶺南出身の優秀な将校を糾合して私組織「ハナフェ」を結成した。ハナフェは朴政権の軍部内親衛グループとなる[4]。ハナフェ・メンバーは互いに気脈を通じて首都警備司令部、保安司令部、特戦司令部、大統領警護室、西部戦線の各師団など要職を仲間同士でたらい回しした[5]1973年尹必鏞事件で尹将軍と近かったハナフェ・メンバーは退役処分となり、ハナフェ内の全斗煥の地位が高まった。

1979年10月26日に朴正熙大統領が暗殺され、同年12月6日崔圭夏が大統領に選出されると、同年12月12日晩に全斗煥を中心としたハナフェは粛軍クーデターを決行した[6]。粛軍クーデター後、軍首脳はハナフェで固められた[7]。全斗煥は、朴正熙による1961年のクーデターのシナリオそっくりになぞり、まずお手盛りで9ヶ月の間に、中将、大将と2階級昇進した。次に1980年5月17日、学生デモを口実に非常戒厳令を拡大、これに抵抗する光州市民の民主化決起を武力で鎮圧した(光州事件[8]

更にリーダーである全斗煥は1980年8月27日に第11代大統領に就任した[9]。全斗煥は、大統領後継者に同じくハナフェ・メンバーである盧泰愚を選び、盧泰愚は1987年12月16日の大統領選挙において当選し、翌1988年2月25日に第13代大統領として就任した[10]

盧泰愚は嶺南軍閥の幕引き役となったとされる[11]1993年2月に大統領に就任した金泳三は、クーデターの予防のためまず軍閥解体に着手し、ハナフェは解体、メンバーは昇級から外され姿を消したとされる[12]

主なメンバー[編集]

韓国軍閥の系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ここで「嶺南」とは慶尚北道慶尚南道を合わせた地域をいう。大邱市釜山市を含む。池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年。
  2. ^ 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年、154頁。漢字表記は「一心会」。
  3. ^ 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年、122頁。
  4. ^ 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年、154頁。
  5. ^ 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年、154頁。
  6. ^ 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年、132頁。
  7. ^ 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年、156頁。
  8. ^ 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年、156頁。
  9. ^ 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年、158頁。
  10. ^ 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年、165頁。
  11. ^ 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年、185頁。
  12. ^ 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年、206頁。
  13. ^ この時全斗煥、盧泰愚などが入学した。正規4年制の11期生は自らを事実上の陸士1期生とみなし、韓国軍のエリートを自負するようになる。池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年、146頁。

参考文献[編集]