ノート:陽暉楼

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現状の本文は、芸妓、芸姑が混在してますが…。映画では「げいこ」と呼んでおり、Amazonの文庫紹介などでは「芸妓」となっています。さらに調べてみます。 --忠太会話2015年10月17日 (土) 15:29 (UTC)[返信]

中公文庫版では「芸妓」です。「げいしゃ」(p6)「げいこ」(p7)とルビがついていました。 --忠太会話2015年10月19日 (月) 14:34 (UTC)[返信]
シナリオ本(年鑑代表シナリオ集、1983年版)でも「芸妓」と表記されてました。これで「げいこ」と読ませるのでしょう。 --忠太会話2015年10月24日 (土) 11:49 (UTC)[返信]

モデル[編集]

本文に以下のようにありましたが、『小さな花にも蝶』を誤読しているようで、原作の内容と合っていませんので、いったん外します。(原作では、父親・勝三は魚屋です。『小さな花にも蝶』を読んでも、宮尾が本作は「家族を描いたもので、ほぼ実話」と語っている箇所は見当たらないようです。) --忠太会話2015年10月19日 (月) 14:34 (UTC)[返信]

宮尾によれば、本作と『』は家族を描いたもので、ほぼ実話という[1]。本作の主人公・女衒の勝造と『櫂』の岩伍はどちらも宮尾の父がモデルである[1]。映画ではいずれも緒形拳が演じた[1]
本作の勝造が宮尾の父なら、娘・桃若は宮尾登美子自身ということになるが、宮尾は芸妓でなく、この娘の設定は創作である[2]。というのが製作側が父親を女衒にすると必ず娘を遊女に設定するため、宮尾は人に「元赤線にいた人だった」と噂されるという。宮尾はそこから逃れたいため作家を目指した人で、父は花街で働いていたが、自身はそこを避けていて30歳になるまで花街に行ったことがなかったと話している[2]

脚注

  1. ^ a b c 宮尾登美子『小さな花にも蝶宮尾登美子対談集中央公論社、1986年、159-171頁。ISBN 4-12-001446-0 
  2. ^ a b 宮尾登美子『小さな花にも蝶宮尾登美子対談集中央公論社、1986年、84-86頁。ISBN 4-12-001446-0 
宮尾の実母は娘義太夫だった(会ったことはない)とのこと(小さな花P71)。映画製作者の側が、宮尾の両親のイメージを採り入れた、ということでしょうか? --忠太会話2015年10月27日 (火) 14:12 (UTC)[返信]

陽暉楼とは[編集]

いったいどういう店なのか?芸妓たちはここに住み込んでいるのか?
映画ではよくわかりませんが、原作では芸妓200人を抱える料理屋ということになってます。待合も兼ねており、客が泊まれたとのこと。高知は見番制度がなかったということで、芸妓は子方屋(主人公・房子は「浜むら」に所属)から、決った店(陽暉楼)に出勤していたようです。(文庫P10-20) --忠太会話2015年10月19日 (月) 14:34 (UTC)[返信]

テレビ化・舞台化[編集]

1984年8月28日~9月25日、火曜日21:00-22:00、全5回 TBS系
出演者の一部(Wikipediaより)藍とも子立石涼子市川靖子…。他に舞台化もされている様子。  --忠太会話2015年10月19日 (月) 15:46 (UTC)[返信]

当時のテレビ欄から、出演:名取裕子(桃若)、森下愛子三原順子宮下順子ほか。
(wikipediaの各女優さんの項目では、全くふれられていない。もしかして何か理由があるのか…?)
この前番組(1984.7.17~、6回)は鬼龍院花子の生涯池上季実子)だった。

舞台化は

テレビ・舞台のストーリーは、原作の筋に沿っているようである。(映画は全然別物)  -- 2015年10月24日 (土) 11:49 (UTC) --忠太会話2015年10月24日 (土) 12:28 (UTC)[返信]