ノート:超越瞑想

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導入部に関する提案[編集]

導入部の「TMが宗教であるかどうか」に関する記述について、提案させていただきます。導入部では中立的な観点から、対立する意見を要約する必要がありますが、現在は「TMは宗教的である」という記述が大半を占めていて、一方の論点だけを読者に印象づける内容となっています。(「TMは宗教的である」という印象を与える部分は、太字にしてあります)。そこで、論争の要約として重要な部分のみを残し、宗教的だという記述と宗教的ではないという記述が半々になる文面を提案させていただきます。導入部から除かれた部分(前半部)は、社会的分類の方に移動いたします。

●現在の文面

超越瞑想の団体は、普及運動の初期には宗教的な団体として公けに申請されていたが、現在では宗教と関連付けられることを嫌っており、超越瞑想は科学的テクニックであると主張されている[11]。そのため、超越瞑想が宗教的な行為であるか否か、普及団体が宗教的な団体であるか否かがしばしば議論の的になっている[11]。ニューエイジの背景となったクリスチャン・サイエンスやサイエントロジーなどの一群の新宗教に数えられることもあり[5]、セクト、カルト、若者宗教などと呼ばれることもあった[26]。アメリカでは、超越瞑想のテクニックとその理論面である「創造的知性の科学」を公教育に導入することが政教分離の原則に反するとして裁判が行われ、1979年に敗訴している[26]。最近では公教育の場で民間の資金で行われる例があり、アメリカで18の学校が超越瞑想を取り入れており[29]、その賛否をめぐり全米で再び議論が沸騰している[30]。肯定的に捉えている人には、超越瞑想は最近人気をとり戻し、多くのセレブ、ビジネスマン、一般人が超越瞑想を行っており、もうカルトと関連付けられることも少ない[31]という意見もあるが、現在も見解は人によって様々である

●新しい提案

TM運動は様々な特徴をもっており、精神的運動、新しい社会的運動と呼ばれる一方[82]、宗教と呼ばれることもある[11]。アメリカでは、超越瞑想のテクニックとその理論面である「創造的知性の科学」を公教育に導入することが政教分離の原則に反するとして裁判が行われ、1979年に敗訴している[26]。近年は、民間の資金を通して、アメリカで18の学校が超越瞑想を取り入れている。超越瞑想は最近人気をとり戻し、多くのセレブ、ビジネスマン、一般人が超越瞑想を行っており、カルトと関連付けられることも少ない[31]という意見もあるが、現在も見解は人によって様々である。

  • TMが宗教的であること示す記述としては、1979年の裁判が一番よく引用されますので、この部分を残しました。
  • 「ニューエイジの背景となったクリスチャン・サイエンスやサイエントロジーなどの一群の新宗教に数えられることもあり」TMに関しては、いろんな方が、いろんな説を述べていますので、特定の方の意見は、本文の方に掲載する方が適切かと思います。
  • 「その賛否をめぐり全米で再び議論が沸騰している」は、2008年にTM導入がアメリカで広がり始めたときのことで、

よろしくお願いします。--おむすびコロリン会話2016年1月14日 (木) 02:32 (UTC)[返信]

提案についてですが、簡略指されることは良いと思います。ただ、いくつか確認したいことがあります。
  • 「様々な特徴をもっており」という表現は必要でしょうか?あとの文章で特徴が述べられていないため、かみ合っていません。
  • 「現在では宗教と関連付けられることを嫌っており」は、普及団体の明確な姿勢であるため残すべきです。でなければ、なぜ揉めているのかわかりません。
  • 「科学的テクニックであると主張されている」も、普及団体の明確な主張であるため残すべきです。実際研究と研究を使った宣伝に力を入れていますよね?
  • 「普及運動の初期には宗教的な団体として公けに申請されていた」は、もともと普及団体が自身を宗教団体と定義づけていたという点で非常に重要です。インドには宗教と哲学を分ける習慣がないため、その点創始者は頓着していなかったのではとも言われています。冒頭になくてもいいでしょうが、冒頭から消す場合本文に移動させてください。
  • 「そのため、超越瞑想が宗教的な行為であるか否か、普及団体が宗教的な団体であるか否かがしばしば議論の的になっている」は、そもそも何で揉めているかを示すという意味で重要です。論点が明確になっていることは、読者には利点です。
  • 「現在では、TMに反対する人は少なくなっています。」というのはおむすびコロリンさんの意見で、出典になっていた記事では議論が沸騰していることが書かれていたと思います。反対者が少なくなっているという新しいソース、超越瞑想の擁護者の物でない中立的なソースが必要でしょう。
  • 「民間の資金を通して」より「民間の資金によって」がいいでしょう。
私の意見は以上です。--やまさきなつこ会話2016年1月14日 (木) 10:22 (UTC)[返信]

簡略化することに同意していただきまして、どうもありがとうございます。それだけでも嬉しいです。確認点についてお答えさせていただきます。

・「様々な特徴をもっており」

この表現を消しました。

・「そのため、超越瞑想が宗教的な行為であるか否か、普及団体が宗教的な団体であるか否かがしばしば議論の的になっている」「現在では宗教と関連付けられることを嫌っており」

どの組織でも、宗教やカルトと関連付けられることは嫌うものですので、TM団体特有の明確な姿勢ということではないと思います。宗教であるかどうかが議論になる理由は、宗教的なものは、政教分離の原則から、学校や公共の組織で採用することができないためです。ですので、「何で揉めているのか」という理由や状況は、その後に裁判のことが例示されていますので、それで説明されているのではないかと思います。

・「科学的テクニックであると主張されている」

この点は、すぐ前の段落にも「超越瞑想の団体では、超越瞑想の効果が科学的根拠に基づくことが主張されている」と、同じ意味あいの記述がありますので、重複して記述しなくてもよいのではないかと思います。また、ニューズウィークの記事(2008年9月10日発行ニューズウィーク日本語版P54-55)に[1]、「TMの団体や支持者側は、超越瞑想は宗教ではなく、肉体と精神をリラックスさせる手段だと主張している」という記述があります。もう一つ、2015年11月4日のニューヨーク・タイムズの記事に[2]、「今日では、超越瞑想の支持者は非常に多く、彼らは超越瞑想が宗教とは関係ないと主張している」という記述がありましたので、そのような文面にしました。

・「普及運動の初期には宗教的な団体として公けに申請されていた」

この部分は、本文の方に移動いたします。

・「現在では、TMに反対する人は少なくなっています。」

「議論が沸騰している」というのは2008年にTMの学校導入が再開された時期のことです。それ以降もTMの学校導入は広がっていて、2015年のハフィントンポストの記事では、「最近では、反対する声も少なくなってきた。」と報道されていました。[2]

・「民間の資金を通して」

「民間の資金によって」に変更しました。

・「TMは宗教的だ」という記述が減りましたので、その分、後半のTMを擁護する記述をなくしました。

これでより簡潔になったと思います。

こうした点を修正した「新しい提案」が以下の通りです。

●「新しい提案」

TM運動は、精神的運動、新しい社会的運動と呼ばれる一方[3]、宗教と呼ばれることもある[4]。しかし、超越瞑想は宗教ではなく、心と体をリラックスさせるテクニックであると主張する者も多く、しばしば議論の的になっている[5][6]。アメリカでは、超越瞑想のテクニックとその理論面である「創造的知性の科学」を公教育に導入することが政教分離の原則に反するとして裁判が行われ、1979年に敗訴している[7]。しかし最近では、TMの学校導入に反対する声も少なくなり、民間の資金によって、アメリカで18の学校が超越瞑想を取り入れている[8]

よろしくお願いいたします。--おむすびコロリン会話2016年1月15日 (金) 06:15 (UTC)[返信]

案とご意見を拝見しました。
  • 「どの組織でも、宗教やカルトと関連付けられることは嫌うものです」とおっしゃっていますが、宗教団体から非宗教団体への転身というのは非常に珍しく、『カルトと新宗教 アメリカの8つの集団・運動』でもその点が注目されていました。超越瞑想の団体以外に思い当たる組織はありません。逆のパターンがサイエントロジーですが、こちらも類例がないですね。ですので、超越瞑想の団体が以前宗教団体であったにもかかわらず、宗教と関連付けられることを嫌っているという点は特筆性があり、ほかの団体と同じように考えることはできません。ウィキペディアでは出典のある有用な記述は基本残すものです。この箇所の除去は同意できません。
  • 「科学的テクニックであると主張されている」は重複しているとのことですので、除去で構いません。
  • ハフィントンポストの記事は、外部ライターの記事で、要するに人気ブロガーの記事の転載のようなものです。統計ではないですし、ハフィントンポスト所属の記者でもなく、これだけでの断定は困難です。正直、18の学校での導入というのは決して多くありません。効果が疑いようもなく、ほとんどの人が宗教ではないと考えているなら、もっと爆発的に導入されているでしょう。
一応私の案も出しておきます。
TM運動(超越瞑想の普及運動)は、精神的運動、新しい社会的運動と呼ばれる一方[9]、宗教であるという見解もあり、学者のほとんどはそう認識している[4]。超越瞑想の団体は現在、超越瞑想は宗教ではなく、心と体をリラックスさせる科学的テクニックであると主張しており、そう捉える人も多いが、超越瞑想が宗教的な行為であるか否か、普及団体が宗教的な団体であるか否かはしばしば議論の的になっている[10][11]。アメリカでは、超越瞑想のテクニックとその理論面である「創造的知性の科学」を公教育に導入することが政教分離の原則に反するとして裁判が行われ、1979年に敗訴している[7]。アメリカでは、最近では超越瞑想の学校導入に反対する声も少なくなっているという意見もあり、民間の資金によって18の学校が超越瞑想を取り入れている[12]
以上です。--やまさきなつこ会話2016年1月15日 (金) 09:09 (UTC)[返信]

ご意見とともに、新しい提案をしていただきまして、どうもありがとうございます。今回提案していただいた文面を、少しだけ修正させていただたけたらありがたいです。

  • 「学者のほとんどはそう認識している」

英語版のウキペディア「Transcendental Meditation technique」の「Scholars」の節では、一番最初に、出典付きで「The Transcendental Meditation technique has been variously described by sociologists and religious scholars as religious and non-religious.」と記述されていますので、「学者のほとんどはTM運動を宗教だと認識している」ということではないようです。また、出典元の『カルトと新宗教 アメリカの8つの集団・運動』にも、「学者のほとんどはTM運動を宗教だと認識している」という記述はありませんでした。

  • 「宗教と関連付けられることを嫌っている」

この部分は、本文の方に残しておきたいと思います。

  • 「科学的テクニックであると主張されている」という部分は取り除いてもいいということでしたので、「科学的」という言葉を取り除きました(「科学的テクニック」という言葉は、何を意味しているのかわかりにくいので……)。

以上の点を修正した新しい提案です。

●「新しい提案」

TM運動(超越瞑想の普及運動)は、精神的運動、新しい社会的運動と呼ばれる一方[13]、宗教と呼ばれることもある[4]。超越瞑想の団体は現在、超越瞑想は宗教ではなく、心と体をリラックスさせるテクニックであると主張しており、そう捉える人も多いが、超越瞑想が宗教的な行為であるか否か、普及団体が宗教的な団体であるか否かはしばしば議論の的になっている[14][15]。アメリカでは、超越瞑想のテクニックとその理論面である「創造的知性の科学」を公教育に導入することが政教分離の原則に反するとして裁判が行われ、1979年に敗訴している[7]。最近は、アメリカで超越瞑想の学校導入に反対する声は少なくなっているという意見もあり、民間の資金によって18の学校が超越瞑想を取り入れている[16]

よろしくお願いします。--おむすびコロリン会話2016年1月17日 (日) 00:36 (UTC)[返信]

返信です。
  • 「学者のほとんどはそう認識している」ですが、超越瞑想関係の大学の研究者の認識は違うが、大部分の中立的な研究者はそうだということです。出典には学術的には宗教とありますよね?つまり、学者のほとんどは宗教だと認識しているということです。学術的には宗教という表現に修正するのは構いませんが、出典では「宗教と呼ばれることもある」というような弱い内容ではないはずです。また英語版ウィキペディアの記事は、カナダでGovernor General's Literary Awardを受賞したMichael HarrisのThe End of Absence: Reclaiming What We've Lost in a World of Constant Connection という本で、超越瞑想の関係者が組織票で記事を恣意的に操作しており、対抗していた医師は結局数に押し切られ正しい内容を書くことをあきらめたと書かれており、参考にするのは不適当だと思います。他言語版ウィキペディアは出典にはなりません。
  • 「科学的テクニック」とは、バイオフィードバック法や筋弛緩法のように、科学的に効果が確認されているテクニックという意味です。これはTMの主張のはずですが。
  • 「宗教と関連付けられることを嫌っている」を冒頭から移動させる理由は何でしょうか?印象が良くないからですか?これはTM組織の明確な方向性です。
TMにとっていい印象にしようとするのではなく、読者が正確に理解しやすいか、出典の内容を正しく反映しているかを考えてください。記事のおむすびコロリンさんの記述で、出典にあるTMにとって悪い記述は避け、良いところだけピックアップして書いているものがあり、以前いくつか加筆していますが、そういったことはないように心がけてください。--やまさきなつこ会話2016年1月17日 (日) 01:05 (UTC)[返信]

指摘していただいた点について、お答えさせていただきます。

  • 「科学的テクニック」

導入部は理解しやすい表現にて、明確に記述されることが推奨されています。「科学的テクニック」という表現はわかりずらいせいか、超越瞑想のサイトやマハリシ総合研究所のサイトでも使われておらず、「TMは科学的に効果が確認されているテクニック」と記述されていました。この「科学的に効果が確認されているテクニックである」という主張は、そのすぐ前にも書かれているので重複して記述する必要はないかと思います。

  • 「宗教と関連付けられることを嫌っている」を冒頭から移動させる理由

嫌うというのは人間の内面の感情であり、明確なものではありませんし、著者がTM関係者の感情をそのようにとらえて、記していることであり、「TMの団体が、私たちは宗教と関連付けられることを嫌っている」と主張しているわけでもありません。「宗教と関連付けられることを嫌っている」という抽象的な感情を、組織の明確な方向性として記述するとしたら、それは「宗教ではないと主張している」ことと同じではないでしょうか。

  • 「学者のほとんどはそう認識している」

「TMは宗教である」と主張する学者が、「TMは学術的には宗教である」と書いている記述を出典にして、「学者のほとんどはそう認識している」と記述するのは、中立的な記述ではないように思います。 英語のウキペディアも、日本語と同じルールのもとに中立的に記述されているはずです。そこには、「TMを宗教だ」と主張する学者のコメントと、「宗教ではない」と主張する学者のコメントの両方が記述され、そうした記述の一番最初に、「学者によって、TMを宗教だという人もいれば、そうではないという人もいる」と書かれています。このように、「学者のほとんどはそう認識している」という主張に反対する論点があり、ウキペディアには「深刻な論争がある主張を事実として記さない」というルールがありますので、一方の視点を事実として記述するのは望ましくないように思います。

記事の書き方についてアドバイスいただきまして、どうもありがとうございます。十分に気をつけていきたいと思っていますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。--おむすびコロリン会話2016年1月17日 (日) 21:21 (UTC)[返信]

  • 「宗教と関連付けられることを嫌っている」というのは、「宗教と関連付けられることに抵抗を示す」ということと一緒です。実際そのように行動しているのですから、推測ではありません。TMのサイトや本に、どれだけ「宗教ではありません」「宗教とは関係ありません」と書いてあるでしょうか。学術的な分析の結果であり、悪意のある推測ではありません。
  • 学者の見解については、超越瞑想関係の学者以外で、TMは宗教ではないと明言している信頼性のある出典を示してください。「深刻な論争がある主張を事実として記さない」おっしゃっていますが、学術的には論争にはなっている文献は存じ上げません。TM関係の学者の出典しかないなら、「学者のほとんどは超越瞑想は宗教であると認識しているが、TM関係の学者は否定している」となります。TMがただのリラクセーション方なら、独立国家を作ろうとしたり、「不死者たちのマハリシ・シティ」なんてものを作ったりしないでしょう。例えば、健康のためにスムージーを飲んでいる人が集まって、スムージーのための国を作ることがあり得るでしょうか?
国際的に見て、TMは単なるリラクセーション法の範疇には収まりません。そしてTM関係の学者の言うことを一般化することもできません。--やまさきなつこ会話2016年1月18日 (月) 09:46 (UTC)[返信]

ご指摘に対する答えです。

  • 「TMのサイトや本に、どれだけ「宗教ではありません」「宗教とは関係ありません」と書いてあるでしょうか。」: TMのサイトで「宗教」を検索しましたが、「宗教ではない」という記述はたった2カ所だけでした。どちらもTMに関する説明の一部として、短く「宗教ではない」という一文が加わっているだけです。
  • 「宗教と関連付けられることに抵抗を示す。」: TM運動では、「TMは宗教である」と主張する人々に抵抗したり、対抗しようとしていません。「カルトと新宗教」にも、ニュージャージーの裁判で敗訴したとき、「TM側は対決姿勢をとっていない。マハリシは、それで構わないと発言している」と書かれています。ドイツの裁判でも同じです。やまさきさんにとっては、私の議論自体が「宗教と関連付けられることに抵抗している」と感じられるかもしれませんが、私としては「TMは宗教である」という主張に反対しているのではなく、現在の導入部の宗教に関する部分は「TMは宗教である」という印象を与える記述が多いので、「TMは宗教である」という主張と「TMは宗教ではない」という主張の両方が、読者にバランス良く伝わるような中立的な記述を希望して、こうして議論を行っています。
  • 導入部は、著名な論争を要約する必要がありますが、「宗教と関連付けられることを嫌っている」ことが理由で論争が起こっているわけではありませんので、このことは導入部で取り上げるほど著名な論点ではないように思います。
  • もし「学者によって、TMを宗教だという人もいれば、そうではないという人もいる」という記述をウキペディアに載せるのであれば、「TMは宗教ではない」と述べている学者の出典が必要でしょう。それと同じように、「学者のほとんどはそう認識している」という記述を掲載するのであれば、一人の学者が「TMは学術的には宗教である」と述べている記述ではなく、「学者のほとんどはそう認識している」と明言している出典を出す必要があるのではないでしょうか。

よろしくお願いします。--おむすびコロリン会話2016年1月19日 (火) 10:55 (UTC)[返信]

導入部の提案に対して、ここしばらく異論がでませんでしたので、導入部の変更を行いました。「普及運動の初期には宗教的な団体として公けに申請されていたが、現在では宗教と関連付けられることを嫌っており」という部分は、社会的分類の節に移動いたしました。導入部の提案に対して、いろいろご指導いただきまして、どうもありがとうございました。 --おむすびコロリン会話2016年1月26日 (火) 00:36 (UTC)[返信]

超越瞑想関係者以外で、超越瞑想を宗教ではないと定義している学者の見解などを示されることなく、両意見が同じ重みであるかのように改変されたことはとても残念です。資料を取り寄せていますので、後日修正させていただきます。--やまさきなつこ会話2016年1月26日 (火) 09:00 (UTC)[返信]

「超越瞑想関係者以外で、超越瞑想を宗教ではないと定義している学者の見解などを示されることなく」 確かに私の方で、そうした見解を提示せずにいて、大変申し訳ありませんでした。「両意見が同じ重みであるかのように改変された」という点ですが、TMに対する二つの意見とは「TMは宗教である」という意見と、「TMは心と体をリラックスさせるテクニック」という意見となります。「TMは、科学的に効果が実証されたリラクセーション、ストレス解消、能力開発のテクニックである」と述べて、TMを推薦している研究者、医師、教授(博士号をもつ人々)はたくさんいますので、そうした意見を提示させていただきます。

  • クリストファー・カトリッジ(Christopher Partridge)(作家、ランカスター大学の教授、宗教&大衆文化研究センター所長)は、著書「New Religions: A Guide To New Religious Movements, Sects and Alternative Spiritualities. New York: Oxford University Press」の中で、「TMはストレスを軽減し、心と体のバッテリーを充電するものとして理解されている」と記しています。
  • 臨床心理学者であるNancy Liebler博士は、著書「Healing Depression the Mind-Body Way」の中で、「TMテクニックでは、どのような信仰も必要なく、TMに付随する教義や哲学もない。TMを実践すること以外には、生活スタイルを変えることも求められない。」と述べています。[3]
  • ニューヨーク市のレノックス・ヒル病院血管研究所の心臓内科医スーザン・ステインバウム医師(英語版ウキペディア: Suzanne Steinbaum[4])は、「超越瞑想は、血圧を下げることが臨床的に証明されている唯一の瞑想法であり、心臓病の根本原因であるストレスを取り除く」と述べ、自分の患者に超越瞑想を推薦しています。[5]
  • 米国オレゴン州刑務所のTMの導入の効果を調査していたオレゴン州更生局のリサーチ・マネージャーでるトム・オコナー博士は、「超越瞑想は明らかに宗教ではなく、何かを信じたり、考え方や生活スタイルを変える必要もなく、すべての受刑者に有効なプログラムである」と話しています。[6][7]
  • 栄養学の専門家であるパメラ・ピーク医師(Dr Pamela Peeke)は、自著「ハンガーフィックス(The Hunger Fix: The 3 Stage Detox and Recovery Plan for Overeating and Food Addiction)」の中で、食物依存症に対するTMの影響を調べる研究を行った結果として、TMには食物依存症の回復を助ける効果があると結論づけており、患者たちにTMを推薦しています。
  • カリフォルニア大学バークレー校の公共政策の教授デヴィッド L. キルプ博士は、サンフランシスコ・クロニクル(2014年1月12日号)の記事の中で、TMを行っている学生達のストレスが減少し、成績が向上すると報告し、「超越瞑想の実践は、保護者や政策立案者が本気で注意を向けるに値するもだ」と述べています。[8]
  • アメリカの陸軍士官学校ノーウィッチ大学心理学助教授キャロル・バンディ「私たちが発見したことは、TMを行っているグループでは、不安や憂鬱感といった否定的な感情や、ストレスや悪い雰囲気が減少するということです。 」(ベルモント公共ラジオ)[9]ノーウィッチ大学学長リチャード・シュナイダー博士も「TMはあらゆる面で学生のパフォーマンスを高め、全体的な人格を養う」と話しています。[10]
  • アリゾナ大学統合医療プログラムを修了した医師・医学博士である山本竜隆氏は、「統合医療のすすめ(東京堂出版)」の中で、健康に対する超越瞑想の科学的研究を紹介し、超越瞑想によって、心が落ち着いて新陳代謝が低下し、ストレスや疲労を解消できると述べています。
  • ストレスに関する研究の第一人者であったハンス・セリエ博士(Dr. Hans Selye)は、「超越瞑想は、人間の中枢神経系をリラックスさせる方法である」と話していまました。(Robert Oates, Celebrating the Dawn)[11]

この数日、学者の意見を提示せずに記述を変更したことはよくないことだったと反省して、がんばって私なりに調べてみました。ただ、やまさきさんにとっては、こうした意見をいくらあげても、「TMは宗教ではない」という主張にはならないと思われるかもしれませんが、私としては「TMは有効なテクニックである」と述べている研究者・医師・教授もたくさんいますので、そうした意見もまた「TMは宗教である」という意見と同じ重みで扱うことができるものだと感じています。このように、TMに対しては様々な捉え方がありますので、導入部においては、「TMを宗教である」という人もいれば、「リラクセーションのテクニックだ」という人もいるという簡潔な記述にして、具体的な主張や解説などは本文で説明する形がよいのではないかと思っています。よろしくご検討をお願いいたします。--おむすびコロリン会話2016年1月30日 (土) 00:00 (UTC)[返信]

「TMは宗教ではない」と書いてはいけないということではなく、そういう意見でない人の本を出典に、「宗教という意見もあればそうでない意見もある」と書くのはあまりよくないということです。おむすびコロリンさんが「TMを宗教と考えたり、様々な意見があることは知っていますが、私にとっては全く宗教ではなく、生活を支える信頼できるテクニックです」と発言したとして、私がそれを出典に「TM実践者もTMを宗教視する意見があることを認めている」と書いたら、ルール上はもしかしたらOKかもしれませんが、発言した本人は言いたかったことと全然違うと思うのではないでしょうか?ある本を出典につけてウィキペディアに見解を書く場合、著者がそう考えている、そう定義していると全世界に代弁することになりますから、なるべく正確に、本人の見解に沿う形にしなければいけないと思います。ですので、調べられた本を出典に、「超越瞑想の研究者は、超越瞑想は○○であるとしてその効果を研究している」といった形で書くことは問題ありません。「超越瞑想を科学的なリラックス法として推奨する人も多い。しかし、最近の研究結果を無視しているという意見もある。」という文章があったら、前半だけ取るのも後半だけ取るのも、発言者の意見をゆがめてしまうのではないでしょうか。誰かの名前を出して、その人の意見をウィキペディアにのせることは、とてもリスキーなことなので、注意しなければいけないと個人的に思っています。また、「リラックスさせる方法である」「ストレスが減少する」という記述は、宗教ではないということにはなりません。例えば讃美歌を聞いてリラックスすることが証明されても、讃美歌は宗教でないとは言えません。宗教だということと、効果があるということは、二律背反ではないのです。--やまさきなつこ会話2016年2月1日 (月) 11:04 (UTC)[返信]
お返事、どうもありがとうございます。教えていただいたことをよく理解して、ルールに反した誤った編集を行わないように気をつけていきたいと思います。どのような記述がよいのか悪いのか、まだよくわかっていない点も多く、いつもご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。そんな初心者の私に対しても、忍耐強くいろいろ教えていただきまして、どうもありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。--おむすびコロリン会話2016年2月3日 (水) 06:27 (UTC)[返信]
私もうるさく言って悪いなとは思うのですが、客観的でなければいけない「事典」と、主観で感じられる気持ちや感動、体感、言葉で表現できないことが多い超越瞑想のようなものは相性が悪いのだと思います。実践者が感じた感動など、ここで書いてはいけないことも多くてもどかしいとはお思いますが、仕方がない部分もあると思って、気長に考えてください。--やまさきなつこ会話2016年2月7日 (日) 11:32 (UTC)[返信]

やまさきなつこ様へ 昨日、導入部の変更が行われましたが、これはノートでの事前の提案なしに行われたものです。ですので、大変申し訳ございませんが、以前の原稿に戻させていただきました。どうか、ノートでの議論を行った上で、変更をお願いいたします。特に、本ページは「論争のある話題を扱っているため、記事に重要な変更を加える際にはその前にまずここで議論してください。」という警告のあるページになっています。ですので、私も以前の変更を行った際には、最後の提案を行ってから7日間、反論がでなかったので行いました。今回の変更は、最も論争になっている話題ですので、ノートでの議論の上で変更をお願いしたいと思います。その前の原稿に差し戻すという行為自体が、あまり望ましくないことはよく理解しています。差し戻しをすることで、やまさきさんのお気を悪くして、今後の議論の障害となってしまうのではないかと、さんざん悩みましたが、この導入部の記述は重要な部分ですので、事前の原稿に戻すことをお許しいただけたらと思います。よろしくお願いします。--おむすびコロリン会話2016年2月21日 (日) 02:42 (UTC)[返信]

先ほどの私の変更ですと、「一方、超越瞑想は、非宗教的な治療的瞑想と言えるかどうかが問題になる程度に伝統的な宗教の条件を備えており、ほとんどの学問的評価では宗教運動の一つと考えられている。」という出典のある記述を削除してしまうことになり、それは問題だと思いましたので、その部分を社会的分類に移動しました。TMは宗教であるかどうかは、いろんな方がいろんな観点から記述しています。ですので、特定の人の意見は、本文の方に記述し、導入部には、それらの論争を簡潔に要約して、最も重要な事実(裁判の結果)を載せる形が一番よいと思います。よろしくお願いします。--おむすびコロリン会話2016年2月21日 (日) 03:11 (UTC)[返信]

以前、おむすびコロリンの冒頭の変更にノートで合意に達しておらず(私の返信が遅かったせいもありますが)、問題があるので後ほど修正すると申し上げていましたが、出典をつけているのに、それとずれた内容になっていることこそ問題ですので、元に戻しています。文意をずらすのはよくありません。--やまさきなつこ会話2016年2月22日 (月) 13:45 (UTC)[返信]

導入部の変更の提案[編集]

やまさきなつこさんが行われた導入部の記述について議論する節を設けました。

■導入部の変更の提案: TM運動(超越瞑想の普及運動)は、精神的運動、新しい社会的運動とも呼ばれる[29]。超越瞑想の団体は現在、超越瞑想は宗教ではなく、心と体をリラックスさせるテクニックであると主張しており、そう捉える人も多い[11]。一方超越瞑想は、非宗教的な治療的瞑想と言えるかどうかが問題になる程度に伝統的な宗教の条件を備えており、ほとんどの学問的評価では宗教運動の一つと考えられている[11]。そのため、超越瞑想が宗教的な行為であるか否か、普及団体が宗教的な団体であるか否かはしばしば議論の的になっている[30][31]。アメリカでは、超越瞑想のテクニックとその理論面である「創造的知性の科学」を公教育に導入することが政教分離の原則に反するとして裁判が行われ、1979年に敗訴している[26]。最近は、アメリカで超越瞑想の学校導入に反対する声は少なくなっているという意見もあり、民間の資金によって18の学校が超越瞑想を取り入れている[32]。

導入部においては、中立的な観点から著名な論争を要約する必要がありますが、「一方超越瞑想は、非宗教的な治療的瞑想と言えるかどうかが問題になる程度に伝統的な宗教の条件を備えており、ほとんどの学問的評価では宗教運動の一つと考えられている」という一文が入ると、「TMは宗教である」という印象を与える偏った文面になってしまいます。宗教関係の学者は、「TMを宗教だ」と述べていますが、心理学や医学関係の科学者たちは、TMをストレス解消やリラクセーション法として研究しています。また、メディアの大半が、TMをストレス解消とリラクセーション法として記述していますし、TMを実際に行っている人々も、TMが宗教だとは思っていません。

「カルトと新宗教」でも、「一部の熱心な信奉者を除き、TMの実践者の圧倒的多数は、自分たちで瞑想を行うだけで、TMの活動に参加したり、TMを学ぶコース以降のコースに参加することはない」「TMの実践者は、自分たちの実践が宗教的なものだという自覚をもっていない」と書かれています。ですから、TMを学んだ人は、安心して、友達にTMを紹介したり、自分がTMをしていることをメディアで語っています。一般の人達も、TMが宗教的でも、オカルト的でもないという理由から、TMに興味をもっています(女優のジュディ・グリアは、TMが宗教と関係していないので始めたと語っています[12])。

また、TMは、ウクライナの軍隊[13]、ブラジルの警察、世界中の学校、刑務所で採用されていますが、公的な組織は、政教分離の原則から、宗教的なテクニックを採用することはありませんから、公的な組織がTMを導入しているという事実は、TMが宗教的なものではないことを示しています。

また、アメリカ心臓協会は、「TMは高血圧を下げる効果が認められた唯一の瞑想法であり、医師はTMを高血圧の治療法として推薦することができる」と報告書に記述しており[14]、実際に、アメリカの医療機関では、医師が患者にTMを処方しています(2013年4月15日のウォールストリートジャーナル「医師が処方する「1日2回、20分間の瞑想」より[15])。マインドフルネスとTMは宗教的ではないので、医師たちは主に、その二つの瞑想法を医療の場で処方しているのです。

このようにみると、TMを宗教としてとらえているのは、主に宗教学者であり、瞑想について研究している科学者・医師、メディア、一般の人々、TMの実践者は、TMをストレス解消、リラクセーション法としてとらえています。TMの捉え方については様々な観点がありますから、特定の観点は本文で記述し、導入部では「TMを宗教だと考える人もいるし、ストレス解消法、リラクセーション法と捉える人もいる」というような、論争をおおまかに要約する文面が好ましいと思います。よろしくご検討をお願いします。--おむすびコロリン会話2016年2月22日 (月) 02:38 (UTC)[返信]

何度も申し上げていますが、「リラクセーション法であるから宗教ではない」とはなりません。二律背反ではないからです。リラクセーションに役立つから、宗教ではないとはいかなることでしょう?超越瞑想の研究者ハーバート・ベンソンは、「私の患者の80%は、リラクセーション反応の練習の際、集中する手段として祈りを選びます。…患者は宗教的な信仰心が治癒にいかに役立つかを示してくれました」と言っています。科学者は、それが宗教的でないから研究対象にしているわけではありません。そもそもリラクセーション法の多くは宗教起源です。また「「TMは宗教である」という印象を与える偏った文面になってしまいます。」とおっしゃっていますが、私にはそう見えません。宗教ではないと思っている人には、宗教だと強調しているようにみえるのではないでしょうか。印象は人によりけりに感じます。「TMを宗教だと考える人もいるし、ストレス解消法、リラクセーション法と捉える人もいる」では、学術レベルで意見が分かれているように見えますが、実際はそうではないですよね。
「このようにみると、TMを宗教としてとらえているのは、主に宗教学者であり、瞑想について研究している科学者・医師、メディア、一般の人々、TMの実践者は、TMをストレス解消、リラクセーション法としてとらえています。」とおっしゃっていますが、それはおむすびコロリンさんの「判断」、つまりウィキペディアでいう「独自研究」です。私がした加筆は、信頼できる情報源に基づいており、実践者の多くが宗教ではないと思っているという記述を消すこともしていません。(幹部の非公式発言で、宗教性を消したのは建前で、内実は前と変わっていないというものもありましたが、本文に書いた方がいいかもしれませんね。)超越瞑想の実践者が満足する内容を書くことが、ウィキペディアの記事の目的ではありません。おむすびコロリンさんがこうしていろいろ言われると、私は対応するためにますます超越瞑想について調べなければならず、新しい事実があれば何であれ書くことになります。それはどうかご理解ください。--やまさきなつこ会話2016年2月22日 (月) 13:21 (UTC)[返信]

やまさきなつこ様、先日、私の方で記述の差し戻しをしたことは、適切ではなかったと反省しています。たいへん申し訳ございませんでした。そこで、もう一度、私の提案と、やまさきさんの提案の両者を合わせた導入部の記述の提案をさせていただきます。

導入部は重要な議論を簡潔に要約する部分です。「超越瞑想は、非宗教的な治療的瞑想と言えるかどうかが問題になる程度に伝統的な宗教の条件を備えており、ほとんどの学問的評価では宗教運動の一つと考えられている。」という一文は長いですので、この意見全体は本文に移動して、以前、やまさきさんが提案されたような形で、「学者のほとんどはTMは宗教であると認識している」という形で、議論を要約する記述にしていただきたいと思っています(本文に移動する際は、文意にあった形にするように注意致します)以下がその文面です。

TM運動(超越瞑想の普及運動)は、精神的運動、新しい社会的運動と呼ばれる一方[38]、宗教であるという見解もあり、学者のほとんどはそう認識している[22]。超越瞑想の団体は現在、超越瞑想は宗教ではなく、心と体をリラックスさせるテクニックであると主張しており、そう捉える人も多いが、超越瞑想が宗教的な行為であるか否か、普及団体が宗教的な団体であるか否かはしばしば議論の的になっている[30][31]。アメリカでは、超越瞑想のテクニックとその理論面である「創造的知性の科学」を公教育に導入することが政教分離の原則に反するとして裁判が行われ、1979年に敗訴している[26]。最近は、アメリカで超越瞑想の学校導入に反対する声は少なくなっているという意見もあり、民間の資金によって18の学校が超越瞑想を取り入れている[32]。

よろしくご検討をお願いします。--おむすびコロリン会話2016年2月29日 (月) 02:58 (UTC)[返信]

細かいことになりますが、「TM運動(超越瞑想の普及運動)は、精神的運動、新しい社会的運動とも呼ばれるが[38]、宗教であるという見解もあり、学者のほとんどはそう認識している[22]。一方、超越瞑想の団体は現在、超越瞑想は宗教ではなく、心身をリラックスさせるテクニックであると主張しており、そう捉える人も多く、」にするとより良いと思います。簡潔になっており、よい内容だと思います。--やまさきなつこ会話2016年2月29日 (月) 11:36 (UTC)[返信]
私の提案に快く同意していただきまして、どうもありがとうございます。また細かな点も修正していただきまして、とても助かります。本ページで議論に関わっているのは、やまさきさんと私だけですので、やまさきさんの修正を含めた記述に変更させていただきました。「超越瞑想は、非宗教的な治療的瞑想と言えるかどうかが問題になる程度に伝統的な宗教の条件を備えており、ほとんどの学問的評価では宗教運動の一つと考えられている。」という文章も、文意に合った場所に移動してあります。今回の変更も、いろいろと反対されるのではないかとヒヤヒヤしていたのですが、簡潔な記述にしたいという私の希望を受け入れていただいて、とても嬉しかったです。本当にありがとうございました。--おむすびコロリン会話2016年2月29日 (月) 22:23 (UTC)[返信]

導入部に関する提案[編集]

以下の記述に関する提案です。

■この瞑想法は、毎日2回、聖なるマントラを15~20分間心の中で唱えて、心に入り込む雑念を追い払う

超越瞑想は、「雑念を追い払おうとはしない」というのが特徴であり、そのことは数多くの信頼できる情報源にも記述されています。

  • 2015年4月27日のフォーブスの記事の中で、「TM中、活発に考えている心は、努力なく、内側の静かな状態へと落ち着いていきます。意識を集中させる瞑想法のように、雑念を追い払おうとしません。」と説明されています。
  • 2013年11月15日Refinery29の記事の中で、「超越瞑想は簡単で息をするのと同じくらい自然なものだ。瞑想のために座っている時、息を数えたり、映像を思い浮かべたり、考えをなくそうとすることは必要ない。」と説明されています。
  • 1967年10月4日英国のテレビショーの中で、ジョン・レノンが次のように話してます。「司会者:どうでもいい考えが浮かんできて、それが邪魔になるときには、どのようにして瞑想に戻るんですか? ジョン・レノン:ただ座って心がさまようままにするんだ。何を考えていても、そのままにしておく。そして、考えていたことに気づいたら、もう一度、その考えからマントラに戻るんだ。意志の力で考えを追い払う必要はなく、ただ考えをマントラに置き換えればいいんだよ。」

本ページの「概要:他の瞑想法との違い」にも、「TMは雑念を追い払おうとしない」と記述されていますが、導入部には「この瞑想法は、心に入り込む雑念を追い払う」と記述されていて、導入部と本文の記述が矛盾しますので、導入部の部分を以下のように訂正することを提案いたします。

この瞑想法では、毎日2回、マントラ(真言。静かに復唱する単語、音、または語句)を15~20分間心の中で唱えて、心を静めていく。開放された気づきの状態に達することを目的とする[17][18]

■オウム真理教の事件の影響で瞑想研修が下火になる前は、100以上の企業に福利厚生として導入されていたという見解もある[16][17]。

「オウム真理教の事件の影響によって瞑想の研修が下火になる」という記述は、引用されている出典には含まれていませんでした。本ページでは、超越瞑想を宗教と関連付けようとする記述が多く含まれていて、そのことが議論の中心となっています。ですので「オウム真理教の事件の影響によって瞑想の研修が下火になる」という記述については、引用元の出典がないため、以下のように修正することを提案いたします。

日本では1980年代半ばに京セラに導入され、その後トヨタ自動車住友重機械工業NECなどに顧客を広げ[19]、100以上の企業に福利厚生として導入されていたという見解もある[20][21]。--おむすびコロリン会話2016年5月1日 (日) 09:43 (UTC)[返信]

先週の日曜日に行った提案に関して、反論が出ませんでしたので、昨夜、提案に則した形で導入部の記述を修正させていただきました。皆様のご理解・ご協力をどうもありがとうございます。導入部に関しては、もう少し改善したらよいのではないかと思う点がありますので、それも提案させていただきます。

本ページの記事はわかりにくいと言われますが、その理由は、深刻な議論のある記述において、両者が自分の主張をできるだけ記事に盛り込もうとして、文章を継ぎ足しているからです。しかし、導入部は、中立的な観点を伴った理解しやすい表現で、簡潔に記述されることが推奨されていますので、対立する意見のある記述は、もう少し簡潔に論争を要約する方がよいように思います。超越瞑想に関する主要な論争は、「研究結果は正当なものか」「TMは宗教かどうか」という二つです。

■研究結果は正当なものか

導入部における「TMの科学的研究に関する記述」の最後に、対立する主張が要約されていますが、その後にもう一度、マハリシ効果の研究を取り上げて、「因果関係は証明されておらず、チェリー・ピッキングや盲信、データのねつ造が指摘されている」という研究結果の正当性を疑う主張が繰り返し強調されています。

導入部の指針として、「それぞれの話題を強調する際には、信頼できる情報源における、その重要性の強弱に大まかに一致している必要がある」とされています。超越瞑想に関する研究結果は非常にたくさんあり、特に有名なのは、血圧の研究、心臓病の研究、PTSDの研究、脳機能の向上に関する研究です。そうした研究は、多くのニュース記事で肯定的に報道されていますが、マハリシ効果の研究はめったに報道されることはないので、そうした重要度の低い研究は、導入部に掲載する必要はないように感じます。

■TMは宗教かどうか

宗教かどうかということも、様々な主張がありますので、特に導入部では、どちらの主張も強調しない、より簡潔で中立的な記述がよいように思います。以下がその文例です。

TM運動(超越瞑想の普及運動)は、精神的運動、新しい社会的運動とも呼ばれる一方[22]、宗教と呼ばれたり[4]、宗教ではないと主張する人もいる[23][24]。アメリカでは、超越瞑想のテクニックとその理論面である「創造的知性の科学」を公教育に導入することが政教分離の原則に反するとして裁判が行われ、1979年に敗訴している[7]。この時点で公教育への正式な導入は阻まれたが、瞑想自体が否定的に評価されたわけではなく[4]、現在でもアメリカの一部の公立学校は超越瞑想を採用している[25][26][27][28][29]

超越瞑想を取り入れているアメリカの公立学校
  • サンフランシスコのヴィジテーションバレー中学校[16]
  • サンフランシスコのバートン高校[17]
  • サンフランシスコのエレヴェット中学校(さくら舎刊「超越瞑想:癒やしと変容」P195より)
  • ロサンジェルスのアスパイア・オリン大学付属の高校[18]
  • ロサンジェルスのニューヴィリッジ高校[19]
  • ワシントンDCの理想アカデミー[20]
「この時点で公教育への正式な導入は阻まれたが、瞑想自体が否定的に評価されたわけではなく」の出典元

キリスト新聞社刊「カルトと新宗教」P78「公教育に瞑想プログラムを導入するTMの試みは、初期段階で裁判によって阻止され、プログラムそれ自体の否定的な評価には至らなかった。公立学校における反対者の連合体は、ほとんどは政教分離の原則を守ろうとする市民の自由論者たちと、子供の教育から非キリスト教的な影響を排除しようとする保守的なキリスト教徒たちによって構成されている。」

英語のウキペディア(Transcendental Meditation in education)より:according to religious scholars Douglas E. Cowan and David G. Bromley this "judicial rebuff" of the New Jersey school project did not render "a negative evaluation of the program itself" and those who oppose the practice in public schools are said to be mainly conservative Christians and civil libertarians who seek to preserve church-state separation.(Cowan, Douglas E.; Bromley, David G. (2008). Cults and New Religions: A Brief History. Blackwell Publishing. p. 70. ISBN 978-1-4051-6128-2.])

■超越瞑想の定義

「深刻な論争がある主張を事実として記さない」というウキペディアの方針がありますが、導入部の最初の定義に、「超越瞑想は、ヒンドゥー教に由来する瞑想法である」という深刻な論争のある主張が、事実として記述されています。導入部の定義は最も重要な部分ですので、そこには反論のない事実を記述することが大切ではないかと思います。

超越瞑想は、ヒンドゥー教由来ではないという主張
  • 2015年6月12日のハフィントンポスト[21]の記事の中で、米国ヒンズー教財団は、TMは非宗教的なものであり、ヒンズー教とは関係ないと宣言しています。
  • ニューズウィークの記事(2008年9月10日発行ニューズウィーク日本語版P54-55)[22]には、「TMの支持者たちは、超越瞑想はヒンドゥー教とは関係ない。そもそも瞑想という習慣は、ヒンドゥ教よりもずっと古くからあると主張している」と説明されています。
  • また、超越瞑想は、ヨガの一つのテクニックですが、ヨガの専門家の中でも、ヨガはヒンズー教由来でないと主張している人がいます。2010年11月27日のニューヨークタイムズの記事によると[23])、チョプラ博士や何人かの宗教歴史家は「ヨガはヒンズー教が現れるずっと前、紀元前3000年頃に、インドに移ってきたインド・ヨーロッパ語族のヴェーダの文化に由来している」と述べています。

長くなってしまって申し訳ございませんが、よろしくご検討をお願いします。--おむすびコロリン会話2016年5月9日 (月) 15:11 (UTC)[返信]

コメント依頼を出しているので、すぐに結論を出さずに2週間くらいは待ってください。以前に提案されたことがあって、やまさきなつこさんから十分な説明があっているものや、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーヒンドゥー教インド発祥の宗教といった関連記事を読めば、適切じゃないと判るような提案もあるように見えます。あとこれ、ほんとうに「深刻な議論のある記述」ですか?ヒンドゥー教の最高指導者から教わった瞑想をアレンジしているのに、ヒンドゥー教と関係がないって???です。私は改訂には反対です。--ジャム・パンナ会話2016年5月12日 (木) 03:44 (UTC)[返信]
議論の中身はさっぱりわからないので触れませんが、やまさきなつこさんの名を出して編集や議論を抑止するのはWikipedia:記事の所有権に違反した発想だと思います。--茂林寺たぬき会話2016年5月12日 (木) 06:39 (UTC)[返信]
名前を出して抑止するつもりではなくて、もう一度前に同じ話があって、説明があるから、遡って読み返してもらえればいいかなという気持ちだったんですが、それなら一応同じようなことをもう一度説明しますね。繰り返しになっちゃいますけど・・・
用語としては、ウィキペディアの記事を見る限り、ヒンドゥー教が一番広い言葉で、「一般的にはアーリア民族のインド定住以後、現代まで連続するインド的伝統を指す[2]。イギリス人は、このうち仏教以前に存在したバラモン中心の宗教をバラモン教(英:Brahmanism、ブラフミンの宗教)、バラモン教のヴェーダ時代の宗教思想をヴェーダの宗教(ヴェーダ教)と呼んだ」ということなので、まず「ヒンドゥー教と関係はないが、ヴェーダの宗教と関係がある」ということは、論理的にありえないです。超越瞑想の普及団体の広報も「宗教ではありません」と言っているけど、「ヒンドゥー教とは関係がない」って思うように誘導はしても、そう明言はしないように気を付けてると思いますよ(うそになっちゃって、いざというときに困るから)。「ヴェーダの伝統」という言葉は魅力的でキャッチ―で、広告的にすごくいい、コピーとして最高というはわかるけど、百科事典でそれをしようとするはどうなんでしょう。
創始者がヒンドゥー教の最高指導者の人から習って、ヒンドゥー教の寺院で修行したといっているので、どう理屈をこねくり回しても、関係ないとは言えません。もし関係がないといえるとしたら、それは創始者の言っていた経歴が全部嘘で、そもそもインド人でもインド育ちでもなかった・・・みたいな場合でしょうけど、さすがにそれはないんじゃないでしょうか。
そういえば聞いていませんでしたけど、「ヒンドゥー教と関係があるということに、深刻な論争がある」というのは、どこソースですか?例えば日本にキリストの墓があって、地元の人はキリストが日本で死んだって言っていますけど、こういう信ぴょう性の低いものは「深刻な論争」にはならないですよ。「ヒンドゥー教寺院の中に、ヒンドゥー教とは関係のない瞑想技法がヒンドゥー教の影響を受けずに受け継がれていました」っていう主張があったとしたら、それはトンデモです。
「マハリシ効果」について、報道される量から重要度が低いと主張されていますが、科学的テクニックを主張する団体が疑似理論を主張しているのは重要だし、図書館でいろいろ見てみましたけど、だいたい触れられているので重要度は高いんじゃないでしょうか。今は普及団体的は、この話題はなるべく避けているのかもしれないですけど(サイトに普通に書いてあったので、割ける気があるのか不思議ですが)、今のことだけでなく昔のことだって大事ですよ。あと医学研究については、コクランレビューとか見ても、バイアスについてはかなり言われているので、触れるのは正しいです。
アカデミズム側で「宗教ではない」という学者がいない以上「宗教と呼ばれたり[22]、宗教ではないと主張する人もいる」という表現は、少し事実を捻じ曲げているように見えます。百科事典で重視されるのは、アカデミックなデータですよね。
「インドに移ってきたインド・ヨーロッパ語族のヴェーダの文化に由来している」という話ですが、アーリア人インド侵入説は、最近では否定が主流だったと思うんですけど・・・ヨガの話まで広げるとややこしいので、ヨガの議論はやめてください。ヨガで何かが証明されても、超越瞑想にそのまま使えないなら、ここでヨガの起源を話しても意味ないです。
記事に英語版の話があったので、英語版のノートを見てみたんですが、日本語版の40倍くらいの長さ、支持者と英語版管理者の医師の人の死闘が繰り広げられていて、正直ビビッています。日本語版で、英語版と同じように、同じ話をずっと繰り返して、だれかがそれをガードし続けるしかない・・・ってことにならないように願います。よろしくおねがいします。--ジャム・パンナ会話2016年5月16日 (月) 01:30 (UTC)[返信]
大学で司書の人に聞いたら論文があったので、それも使って少し整理しました。冒頭はちょっとだけにして、あとは概要に移しました。内容を大きく変えてはいないです。--ジャム・パンナ会話2016年5月29日 (日) 07:47 (UTC)[返信]
大幅な編集、どうもありがとうございます。確かに、新しい内容はそれほど多く追加されていませんが、とても巧妙に「TMが宗教的である、あやしげである」ということを印象付ける内容が、個々箇所に追加されていて、全体としては、TMは宗教的だという観点の方を、読者に印象付ける記述になっています。「この記事は論争のある話題を扱っています。記事に重要な変更を加える際にはその前にまずここで議論してください。」とあります。私もこれまで、わずかな変更でも事前にノートに提案して、変更を行ってきました。今回は、事前の議論なしの大幅な変更であり、明らかなルール違反ですので、大変恐れ入りますが、以前の原稿に戻させていただきました。ただ、すべてが反対というわけではありませんので(とてもよくなっている箇所はたくさんあります。どうもありがとうございます)、宗教と宗教ではないという観点が、もう少し中立的に読者につたわるような編集になるように、ノートで議論をさせていただきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。--おむすびコロリン会話2016年6月1日 (水) 21:37 (UTC)[返信]
2週間たっても私の意見に反応がなく、記事がわかりにくいといわれていたから、わざわざ資料を探して整理したのに、日本で唯一のまとまった学術論文を基にした加筆を、「とても巧妙に「TMが宗教的である、あやしげである」ということを印象付ける内容が、個々箇所に追加されていて、全体としては、TMは宗教的だという観点の方を、読者に印象付ける記述になっています。」と一刀両断してリバートを繰り返すというのは、とてもびっくりさせられました。これって、信頼できる文献を使った加筆でも、構成の整理でも、あなたの許可が必要な記事だったんですか?ウィキペディアって、そういうものでしたっけ?あなたの言ったことは、論文を書いた学者に対しても、わたしに対しても、中傷ではないですか?(あとこの論文は、マハリシ総合研究所のトップも協力していますけど)リバートは、あなたが前にしたような宣伝や、嘘とかよっぽど問題あるときしか使わないです。わたしはどちらかというと、使った論文の中にあった宗教的な面(楽園を実現しようという運動のこととか、マハリシは人格神を認めているとか)は、これ以上もめるのもあれなので控えました。マハリシが超越瞑想に宗教的な面があるといっているソースも、司書の人が紹介してくれていましたけど、それもあえて使っていませんでした。でもそんな気遣いはいらなかったですね。あなたの投稿ブロックを依頼したので、関係者が加筆していることは正しいことなのか、考えてみてください。--ジャム・パンナ会話2016年6月2日 (木) 13:30 (UTC)[返信]
皆様。久しぶりの参加ですみません。まず、議論なしで加筆(除去)する事は勿論構いませんが、物言いが入れば、加筆前(除去前)に戻し議論する事は別におかしな事ではありません(私もよくそれを相手に要求します)。しかし、その上で(全然経緯を追っていない分際ですみませんが、ジャム・パンナ様の版とおむすびコロリン様の版だけで比べれば)、ジャム・パンナ様の版を強く支持します。星川氏は一般人ではなく専門家と判断します[24]。また「星川啓慈は「古代インドの宗教(とりわけヒンドゥー教)と密接な関連を持っていることには、なんらの疑いもない」と述べている」と誰の意見かわかるように帰属化もしてあります(不十分な箇所があれば、帰属化すれば良いでしょう)。また「一方、超越瞑想の団体は現在、超越瞑想は宗教ではなく、心と体をリラックスさせるテクニックであると主張しており、そう捉える人も多く存在する」と両論併記もされています。私が以前このノートでコメントしていた際には、おむすびコロリン様には不愉快な修正案もあったと思いますが、快く応じて頂いておりました(後はやまさきなつこ様一任したつもりでした)。今回も賢明な判断を期待します。--JapaneseA会話2016年6月2日 (木) 15:47 (UTC)[返信]

リバートの件は、大変申し訳ありませんでした。本ページは、議論のあるページなので、変更を行う場合には、事前にノートで議論する必要があり、議論なしで大幅な変更を行ったら元に戻してよいものだと思っていました。私の誤解で、ジャム・パンナさんに不快な思いをさせてしまいまして、大変申し訳ありません。ジャム・パンナさんの編集は、確かに以前のものよりわかりやすくなっているので、編集をしてくださったことに感謝しています。ただ、もう少し、TMは宗教的だという部分を減らしていただけませんでしょうか。例えば、今回、以下の文面が追加されています。

星川啓慈は「古代インドの宗教(とりわけヒンドゥー教)と密接な関連を持っていることには、なんらの疑いもない」と述べている[9]。超越瞑想の重要なテキスト『超越瞑想入門』では宗教的コスモロジーが示されており、占星術(ジョーティシュ・ヤギャ、ジョーティシュ・コンサルテーション)が大きな役割を持つ[9]。科学で偽装した宗教であるという学者の批判も少なくない[9]。

超越瞑想は、マントラを授けてもらう儀式の後、雑誌「ユートピア」を購読する会員になることが義務付けられているので、普及団体(マハリシ総合研究所)は入会者数を正確に把握している。しかし、効果がなければいつでも脱会でき、宣伝されたような効果を感じられないという批判もあるため、入会者数と実践者数は一致するわけではなく、正確な実践者数を把握することはむずかしい[9]。

この部分の記述をもう少し減らしていただけたら、ジャム・パンナさんの編集で同意致します。よろしくご検討をお願いいたします。--おむすびコロリン会話2016年6月4日 (土) 02:59 (UTC)[返信]

記述を減らしてほしいというのは、あなたが読んで嫌だからというほかに理由がありますか?信頼できる情報源を使って書かれた文章をけずれというのなら、はっきりした理由がいると思います。自分にとってなんか嫌だから記述を減らしてほしいというのは、理由として成り立っていないですよね?そもそも「ユートピア」のこととかは、マハリシ研究所のトップが協力してて、直接話を聞いてるし資料ももらってると思うんですけど・・・わたしは、あなたが言う「中立」がどんなものなのかわかりません。消すのを納得できるような、ふわっとしていない説明をしてください。あなたが考えている(他の人にはわからない)中立を目指してずーっと活動されても、結局対応する人がいろんな文献を探して反論して、あなたにとってはより嫌な感じの内容になっていくというのが、今までの流れだったように見えます。宗教じゃない、ヒンドゥー教の最高指導者の教えを受け継いでるけど、ヒンドゥー教とは関係なくて、悟りを目指す技術だけど、宗教とは関係なくて、占星術を重視しているけど、超越瞑想は科学だと認められています、学者の言うことは百科事典に大きく書く価値はありませんというなら、単にそういうことが書いてある信頼できる学術的な本を探して、加筆すればいいということだと思います。はっきりしてほしいのは、あなたが考える中立ってどんな状態なのか、そう考える根拠はあるのか(自分がそう感じるから、私にとっては科学でテクニックだからとか、わたしの周りはみんなそう言ってるとか、そういうのはダメです)、ということです。あなたにしかわからない中立を目指してずーっと頑張られても、他の人がずっと説明したり説得したりしなきゃいけなくて、時間やエネルギーを割かれるだけで、なにも進まないと思います。あなたが内容を変えようとトライし続ければ、そんなに注目されてる記事でもないし、いつか誰も見ていないタイミングがきて、ノートで提議してだれも読んでいなくて「では反論がなかったので記事を変えます」というのはできると思いますが、私はそうなってほしくないなと思っています。こういう風にならないように、中立になれない関係者は加筆しないようにっていうルールがあるんだと思います。あなたは自分が記事に関わり続けることをどう思っていますか。ずっと関わり続けようと思っていますか?
あと、「雑念を追い払おうとはしない」というのは、意識してそうしようとすれば失敗するから、他のリラクセーション法とか病院で教えている精神系のテクニックとかでも、ふつうそうです。だから特別みたいに書くのはおかしいです。消したイラストについては、英語版で問題があるという話になって消していたので、それに倣っています。--ジャム・パンナ会話2016年6月4日 (土) 04:45 (UTC)[返信]
おむすびコロリン様へ。「この部分の記述をもう少し減らし」の理由がありません。そうして欲しい理由をWikipediaの方針・ガイドラインに基づいて提示して下さい。--JapaneseA会話2016年6月4日 (土) 07:26 (UTC)[返信]
はい。わかりました。みなさんのおっしゃると通りだと思います。2週間、ジャム・パンナさんにお返事せずにいてすみませんでした。お返事できなかったのは、無視していたわけではなく、どのようにジャム・パンナさんとウキペディアの方針にのっとった形で議論したらよいかわからなかったからです。私の方でいろいろ調べる時間的な余裕もなかったので、私の提案を議論をして通すのは難しいだろうとあきらていました。ただ、そのまま何もお答えしなかったのは、大変失礼なことだったと反省しています。ちゃんと、そのようにお伝えすればよかったですね。私が考えている中立というものを、ウキペディアの方針に基づいて説明することが、大切だということがわかりましたので、もう一度、ウキペディアの方針とガイドラインを調べて、お答えしていきたいと思います。ただ、この1週間が一番忙しくてすぐにお返事ができないかもしれませんが、毎日、少しずつでも空いた時間を見つけて、調べていきたいと思いますので、もう少しお返事をお待ちいただけたらありがたいです。様々なアドバイス、どうもありがとうございました。--おむすびコロリン会話2016年6月4日 (土) 23:08 (UTC)[返信]
わたしは失礼と感じたわけではなくて、もういいのかなとは思いました。答えてもらっていないのですけど、あなたはこの記事に関わり続けようと思っていますか?わたしが一番問題と言いたいのは、そのことなんですけど・・・。あなたの考える中立がウィキペディアではあっていない、他の人には理解してもらえないとわかったら、潔くこの記事を変えることをあきらめてください。そして関係者としてもう関わらないことを、自分で決意してほしいです。あなたの宣伝行為がきっかけで超越瞑想の普及組織にとって不利な情報が書き足されたので責任を感じていのかもですが、ウィキペディアは誰のものではなくて、おおやけのものなので、記事が育った今、そういう個人的な後悔や気持ちでどうこうする不可能だと思います。きびしい言い方になりますけど、もうどうしようもないです。礼儀正しくしてもらっていて、それはとてもありがたいんですけど、それよりもちゃんと自分のしていることと、ルールを理解して、同じことを何度を蒸し返すのを止めてもらいたいというのが、あなたにお願いしたいことです。あなたが考える中立と、記事にずっと関わる気持ちなのか、説明お待ちしています。--ジャム・パンナ会話2016年6月5日 (日) 00:29 (UTC)[返信]
もうすぐ10日経ちますので、今週いっぱい待って、返事が頂けなかった場合、もうこの記事にはかかわらないでほしいという提案に同意いただけたと考えて、投稿ブロックの方は取り下げます。別に本とか読まないといけないような問題じゃないので、なにか言いたいことがあるのなら、今週中でお願いします。どうしても無理で時間がいるのならそう言ってください。--ジャム・パンナ会話2016年6月13日 (月) 11:38 (UTC)[返信]
応答がなかったので、当事者としてこの記事に今後関わらないことに納得してもらえたということで、了承しました。そのうえで投稿ブロックも解除をお願いしています。今後はこの記事以外での活動をがんばってください。もしマハリシ研究所から何か言われたら、この時代に個人の属性に合わせて情報のゾーニングをすることは、ネットがあるから無理と言っておいてください。自分のサイトでもできるか微妙ですが、たくさんの人が関わる自分の持ち物じゃないサイトでは本当に無理、やればやるほどドツボです。この問題は解決したと信じますので、わたしもこの記事に問題が起きてないか定期的にウォッチするのはやめます。もう問題が再熱しないことを切実に祈っています。よろしくお願いします。--ジャム・パンナ会話2016年6月22日 (水) 14:40 (UTC)[返信]

脚注[編集]

  1. ^ イブ・コナント「瞑想は荒れた学校を救う?:アメリカの公立校での『超越瞑想』採用の是非をめぐり、全米で議論が沸騰している」2008年9月10日発行ニューズウィーク日本語版P54-55, 英語の原文:Conant, Eve (May 29, 2008). "Can Meditation Help At-Risk Kids?". Newsweek.}
  2. ^ Jaweed Kaleem, Reading, Writing, Required Silence: How Meditation Is Changing Schools And Students, Huffpost, Jun 12, 2015.
  3. ^ Christian Blatter, Donald McCown, Diane Reibel, Marc S. Micozzi, (2010) Springer Science+Business Media, Teaching Mindfulness, Page 47
  4. ^ a b c d e 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「コーワン」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  5. ^ イブ・コナント「瞑想は荒れた学校を救う?:アメリカの公立校での『超越瞑想』採用の是非をめぐり、全米で議論が沸騰している」2008年9月10日発行ニューズウィーク日本語版P54-55, 英語の原文:Conant, Eve (May 29, 2008). "Can Meditation Help At-Risk Kids?". Newsweek.}
  6. ^ VICTORIA SHANNON, Nov. 4, 2015,"Spreading the Word on Transcendental Meditation", The New York Times
  7. ^ a b c d 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「大石」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  8. ^ Jaweed Kaleem, Reading, Writing, Required Silence: How Meditation Is Changing Schools And Students, Huffpost, Jun 12, 2015.
  9. ^ Christian Blatter, Donald McCown, Diane Reibel, Marc S. Micozzi, (2010) Springer Science+Business Media, Teaching Mindfulness, Page 47
  10. ^ イブ・コナント「瞑想は荒れた学校を救う?:アメリカの公立校での『超越瞑想』採用の是非をめぐり、全米で議論が沸騰している」2008年9月10日発行ニューズウィーク日本語版P54-55, 英語の原文:Conant, Eve (May 29, 2008). "Can Meditation Help At-Risk Kids?". Newsweek.}
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  12. ^ Jaweed Kaleem, Reading, Writing, Required Silence: How Meditation Is Changing Schools And Students, Huffpost, Jun 12, 2015.
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  17. ^ 瞑想 アメリカ国立衛生研究所 「統合医療」情報発信サイトの翻訳 厚生労働省「統合医療」に係る情報発信等推進事業
  18. ^ "The active thinking mind settles down to a state of inner calm without any effort. It’s not clearing your mind, as in focused awareness meditation, ……TM uses sounds or mantra that has no meaning as a vehicle to experience a quieter, less agitated thought process." Allice G. Walton, "Transcendental Meditation Makes A Comeback, With The Aim Of Giving Back", Forbes, Apr 27, 2015.
  19. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「斎藤」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  20. ^ 「できるビジネスマンは瞑想する」藤井義彦著・東洋経済新報社(2003/12/5出版)29ページ[1]
  21. ^ "There are more than 100 Japanese companies where TM was introduced at induction." Abrahams, Geraldine (August 1, 1995). "The Market for meditation". The Herald.
  22. ^ Christian Blatter, Donald McCown, Diane Reibel, Marc S. Micozzi, (2010) Springer Science+Business Media, Teaching Mindfulness, Page 47
  23. ^ Lynn Felder, "The Beach Boys are ‘Still Cruisin’", Winston-Salem Journal, July 15, 2015. "“TM is not a religion. It’s a way to jump inside yourself and focus. ──Bruce Johnston (Beach Boys)"
  24. ^ VICTORIA SHANNON, "Spreading the Word on Transcendental Meditation", The New York Times, NOV. 4, 2015. "Today’s followers insist T.M. is completely secular."
  25. ^ JENNIE ROTHENBERG GRITZ, Mantras Before Math Class, The Atlantic, NOV 10, 2015.
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  29. ^ 『超越瞑想──癒やしと変容』(2013年6月9日出版)第八章「生徒も教員も、学校が変わった」p195