ノート:色覚異常

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

呼び方について(色覚異常、色覚特性、色覚障害、色盲、色弱、ダルトニズム、…)[編集]

「『色盲』こそが相応しい用語だとする意見」を紹介する際に、http://www.nig.ac.jp/color/mou.html から「対して『色盲』という言葉はある種の色が見えない(盲)という客観的な事実のみを表している。」を引用していますが、「色」そのものが多数派の色覚に基づいているので「ある種の色が見えない」というのは客観的な事実とは言えないでしょう。「正常色覚か色覚異常かは便宜的な区別にすぎず」との記述とも矛盾しますよね。引用部分を廃止して「一方「色盲」こそが相応しい用語だとする意見もある。 [1]」としてはいかがでしょうか。--219.98.35.36 2007年10月17日 (水) 12:17 (UTC)[返信]


 「色覚異常」という言葉がしっくり馴染めません。現代の医学では「障害」という用語が汎用されていますので、  「色覚障害」とし、「聴覚障害」「知的障害」等との整合性を図るのが良いと以前から感じておりました。  例えば、「全色盲」を「色覚障害1級」のように・・・。  基本的に、「身体障害者」として考えると言うことです。  「色盲」の語には、「盲人、めくら」の様に軽蔑の意味を含んでいるとの理解から、廃止すべきとの意見です。  --sophia-s会話2014年10月16日 (木) 08:31 (UTC)[返信]


日本医学会医学用語管理委員は日本遺伝学会との話し合いにより、色覚異常の言葉を今後も用いるとのことです(『改訂遺伝単』)。日本遺伝学会は色覚多様性を用いるとのことですが、1000人未満の小さな学会であることもあり、医療側の色覚異常という呼び方が主流といえるでしょう。--Maulits会話2022年12月31日 (土) 05:16 (UTC)[返信]

矛盾[編集]

「欧米では色覚異常により差別される事はほとんどない」という記述と「色覚異常の著名人」節のチジコフやゴードンに関する記述が矛盾していませんか? mononohazumi 2006年2月7日 (火) 10:58 (UTC)[返信]

「差別とは何ぞや」という問題を棚上げしているので矛盾が出てくるのだと思います。そもそもこの本文全体に大きな矛盾があります。医学的な問題と社会的な問題をごちゃまぜにして、「色覚異常」というひとつの項目の中にぶちこんでいるからです。科学的で客観的な情報と、それ以外の社会的で多様で複雑な問題は、分けて記載するべきだと考えます。一寸法師 2007年9月12日

--119.25.111.188 2021年1月15日 (金) 16:53 (UTC)--119.25.111.188 2021年1月15日 (金) 16:53 (UTC)==運転免許試験場での検査== 運転免許取得時に「赤、黄、緑の3枚のプラスチック板の色を弁別する」試験を私は受けた記憶がありません。皆さんは受けましたか?[返信]

それとも試験場の案内表示が実は色覚検査を兼ねているのでしょうか。試験場職員との会話が聴力検査を兼ねていると聞いたことがあるので、ふと思いました。

mononohazumi 2006年2月3日 (金) 20:06 (UTC)[返信]

僕も試験場でそのような検査を受けた記憶はありません。ちなみに僕が試験を受けたのは2004年のことです。自動車学校入校時に簡単な色覚検査を受けた記憶はあるのですが、それがどのようなものだったかまでは今では思い出せません。yhr 2006年2月4日 (土) 02:25 (UTC)[返信]
単に忘れただけかなとも思いましたが、最近取得した方の証言が出ましたね。
自動車学校は関係ありません。運転免許を与えるのはあくまでも公安委員会で、自動車学校を卒業しても実技試験が免除されるだけですから、色覚検査をするなら試験場でしなければ筋が通りません。視力検査も試験場で受けるでしょう。
でもお一方の証言だけでは弱いのでさらに情報を募ります。お願いします。mononohazumi 2006年2月4日 (土) 10:29 (UTC)[返信]
私は30年ほど前にそのような検査を受けました。石原式仮性同色表による検査をされそうになったのですが、色盲らしいとわかったら、直径10センチほどの原色の赤青黄色の丸を別々のページに書いたものを出して、これは?これは?これは?と聞かれて、答えたら、ハイ合格といわれました。その後更新時に同様の検査を少なくとも二回されたことを覚えています。一回はまちがいなく府中の運転免許センターでした。一回は地方都市でした。
情報ありがとうございます。となると時代によって変わってきているのでしょうか。mononohazumi 2006年4月16日 (日) 10:27 (UTC)[返信]


2005年春取得でしたが受けましたよ。視力検査の過程で赤黄青の光点が出る簡単な装置を見せられて確認しました。恐らく10秒も掛からなかったようなことなんで忘れただけではないでしょうか。私は入校時の検査の方を覚えてないですね…。 --Yf7778 2006年12月20日 (水) 02:07 (UTC)[返信]
2001年夏取得です。教習所の入所時に石原式仮性同色表を見せられ、のち免許試験場での再検査を命じられました。再検査で免許所得に問題ないことが判断されると、その旨を記した書類を渡され技能教習を始めることができました。それまでは技能教習を受けることができませんでした。免許取得の際試験場では石原式を出されましたが、先の書類を提出することで通過。
同じ検査室を見ることがあったので前回のを修正及び追記。装置は視力検査のように覗いて、内部の赤と青の円盤を見分けるものです。構造上光というよりは視力検査のように判別すべきもの(プレート?)を差し替えて行われると思います。プラスチック板のみの検査はなさそうです。当時数分で終わりましたし。更新・他の免種取得時に検査はありません。ちなみに京都です。--緑青 2007年6月26日 (火) 03:36 (UTC)[返信]
2002年ころ取得しました。教習所では石原式で検査されかけたところで「それ無理なんですよね」と言ったら引っ込めて、信号がわかるかどうか聞かれました(そんなんだったら使わなきゃいいのに…)。試験場では据え置き型の視力検査機のような形をした機械で、赤、青、緑の光か円板を見て色を答えるものだったと思います。京都です。時代によっても場所によってもいろいろだと思います。更新のときにやったかどうかは忘れました。--218.228.195.43 2007年5月17日 (木) 10:00 (UTC)[返信]
今年のことですが教習所への入校時および仮免学科試験の適性検査で受けましたが、卒業後の本試験では行いませんでした。--リバイバル1998 2007年6月26日 (火) 05:55 (UTC)[返信]
2005年に茨城県の試験場で普通仮免と普通一種の学科・技能試験を受けました。仮免の時は色覚の検査は無く、本免の学科試験後に検査がありました。検査は、1枚のプラスチック板に緑、黄、赤の丸が描かれたものを見せられて、色名を3つ言われるのでその順番で指さすものでした。 --Hdk 2007年7月11日 (水) 11:55 (UTC)[返信]

石原式仮性同色検査表あるいはその他の手段などで、医師免許を持たない検査官が検査して「あなたは色弱である」と診断することはできない。船舶免許などでは眼科に行って診断してくるように言われる。だいたい、明治時代から免許の欠格事項に色覚の件は書かれてないようですが。

学校における検査[編集]

この問題について詳しいわけではないですけど、色覚検査について2004年時点で実施している学校があるという情報は、それ自体を記述することがPOVとなるような情報なのでしょうか?現在の記述はコメントアウト部分が隠されることによって全廃されたかのように見える記述になっているように見受けられます。むしろ、このような記述にこそ問題があるのではないでしょうか。単に事実を事実として書けばよいのでは?yhr 2006年2月1日 (水) 14:58 (UTC)[返信]

ご指摘のとおりです。実施している学校を非難するニュアンスを感じたのでコメントアウトしてしまいましたが、非難ニュアンスだけ消して残すべきでした。一部修正のうえ復活させました。mononohazumi 2006年2月1日 (水) 21:11 (UTC)[返信]

色覚異常の著名人について[編集]

赤緑色弱の遺伝について[編集]

昔、高校生の頃に「伴性遺伝」について習ったときから、「遺伝なら白黒はっきり分かれるはずなのに、なぜ正常色盲だけでなくその間の色弱があるのか」という疑問をずっと感じていました。数年前にネットで調べて一応その疑問が解けたので、自分なりに整理して「赤緑色覚異常」の項に投稿しました。自分でもくどい言い回しだと思うのですが、結構ややこしい話なのでこれ以上うまくかけませんでした。悪しからず。Penpen 2006年8月4日 (金) 15:44 (UTC)[返信]

差別[編集]

>東アジアでは現在でも厳しい差別がある 東アジアには日本も含まれます。しかし、職種制限などを考えると変更をするべきではありません。これはどうすべきでしょうか?--リバイバル1998 2006年10月28日 (土) 11:38 (UTC)[返信]

差別項に含むかどうか微妙ですがあえてここで、hydeへの関連が今まで数度取り消されてるようです。実例としてこういう人が身近にも、有名な人にも居るよという例はあげておいてもいいのでは。マイナスのイメージつけられるから消されてるのかと邪推してしまいます。

職種の制限[編集]

「鉄道会社では採用時に色覚検査を行っているため、鉄道会社への就職はできない。これは国土交通省が定める法律によるもの」とありますが、運転業務に就かない部門での採用の場合も色覚検査は行われるのでしょうか?もし、行われていないのでしたら、すべての部門において採用が法律で制限されているかように誤解を招くのではないでしょうか?
警察でも採用条件として色覚が正常であることを求める自治体が多いようです。警視庁の採用条件には明記されていませんが、「警察官としての職務執行に支障がないこと」が要件とされています。

まず結論から。ここは誤りです。要点を正確にいうと、①法律上、運転士にはなれない。②通常、車掌等の乗務員、あるいは線路に降りて作業する現業部門には色弱・色盲者を配属しないと考えられる。③間接部門ならば問題ないところも少なくないはずだが、新卒での入社からずっと間接部門一筋というキャリアパスは考えにくい。④障害者採用ならば可能性がないわけではないが、そちらでは色弱者よりも全盲者・強度弱視者を優先するはず。;ということになります。
法律上は、完全に正常色覚が求められるのは運転士だけです。極端な話、車掌が色弱でも、最低限として信号機の色が識別できれば「法律上は」問題ありません。保線や工事などに従事する現業部門の人も同様。とはいうものの、万一の事故の際の世論のバッシングなどを考えると、よほど強い政治的意図がなければ色弱者をそういう職域には配属させないでしょう。ここまでが一点。
そうそう、「国土交通省が定める法律」という表現も言葉遣いが変ですね。「法律」を制定するのはあくまでも国会です。いま根拠法を当たってみたら、動力車操縦者運転免許に関する省令(昭和31年運輸省令第43号)の別表2に規定されていて、Wikipediaにもこの省令の項目があるので、上記引用部の後段は「これは[[動力車操縦者運転免許に関する省令]]の規定による」と表現するのが順当でしょう。
次に、現場職員以外については、法令上の制限はありません。とはいっても、新人の時に現場研修として車掌の職務をさせる目的で、全身全員に色覚正常を求める会社がほとんどのようです(ただし、すべての会社でそうだという確証はありません)。また、小規模な会社だと、新人は一律に車掌からキャリアパスをスタートさせるというところもありそうです。あるいは、企画部門に配属されてポスターやパンフレットなどを作る場合でも色弱では厳しいでしょう。
ただし、間接部門のみに勤務する前提で経験者採用やヘッドハンティングを実施する場合には色覚不問ということもありえます。極端な話、税理士や社会保険労務士といった士業の人を管理部門に採用する場合はまったく問題ありません。
障害者採用という可能性は一応ありますが、色弱者が「障害者」にカウントされるかどうか不明なうえ、駅などのバリアフリー化プロジェクトに登用するにしても全盲者・強度弱視者のほうが重宝されるでしょう。
以上となりますが、前後の文脈を確認していないので、代替文案の提出は控えます。
--Delmonta_Iijima会話2017年12月5日 (火) 00:20 (UTC)[返信]
一部文面訂正。--Delmonta_Iijima会話2017年12月28日 (木) 06:55 (UTC)[返信]

単なる少数派だとする記事[編集]

統計的に見て多数か少数かといった簡単な問題ではなくて、生物学的に正常か異常かという、すでに医学的に固定されている事実があります。そういった客観的かつ学術的な定義を捻じ曲げて「単なる少数派」とするのは、かなり無理があるでしょう。なお、症名で言う「正常」や「異常」という言葉は医学用語であって、慣用表現とは違います。「異常」と呼ばれると気分が悪いかもしれませんが、辞書に載っている「異常」の意味ではありません。そういったデリケートなことを注釈に入れた上で、あえて「異常」と表現するべきです。どうしても「単なる少数派」だと言いたいのであれば「医学的に見て異常でない」という根拠が揃ってからにするのが筋です。一寸法師 2007年9月12日

少数派と言う理由で異常扱いされているのでAB型の血液型を異常と呼ぶようなもの、と言う内容の記事がありましたが、AB型を異常と呼ぶこととこれとは余りに違います。AB型であった場合に困るのは輸血のときくらいですが、色覚異常であれば場合によっては信号の色が見分けられなかったり特定の配色で背景に文字が沈んでいるように見え読み取れなかったり、コインロッカーに表示されているLEDの赤(使用中)と緑(未使用)の区別ができない。などと、単なる少数派なだけだとは言えない症状もあり不適切です。該当部分は削除したほうがいいのでは?218.41.100.13

AB型と似ているというのはそういった意味ではないと思います。特定の配色が読み取れないというのは、「正常」とされている人にも起こることです。たとえば緑地に赤の文字は色覚特性の人のほうが読みづらいかもしれませんが、赤紫の地に赤の文字は「正常」とされている人のほうが読みにくいはずです(色覚特性の人の多くは、この組み合わせは多数派色覚の人の「灰色の地に濃い黄色」または「薄い青の地に濃い黄色」と同程度の見易さと考えられており、見づらい組み合わせではありませんが、多数は色覚の人にはこの組み合わせは非常に見づらい)。つまり、「単なる少数派ではない」のは、社会が多数派に合わせてあるからというだけで、色覚特性自体の性質によるものではありません。色覚が本来「正常」「異常」に分けられるものではなく、遺伝的多形という意味では、このAB型のたとえは非常に優れていると考えるのですが、いかがでしょうか。逆に言えば、色覚特性の人を基準に作った配色の社会では、「正常」とされている多数派が逆に「色が見にくい」という「不便」を訴えるので、「色覚異常」または「色弱」などと呼ばれるのではないでしょうか。

見ましたが、該当部分は単にそのような主張がなされる事があるとか書かれているわけですよね。本当にそのような主張がなされているのか、無視できないほどの影響力をもつ主張なのかということは考える余地は有るでしょうが、218.41.100.13さんのおっしゃるような理由での削除は必要ないと思います。ただ、現在のリンク先の記述が唯一の典拠資料だとするならば、そういう意味では掲載の必然性を擁護するには少し弱いかなと思います。国立遺伝学研究所のホストに有るとはいえ、文責は一個人の名義となってますよね。
また、色覚異常の人が困るシチュエーションとして218.41.100.13さんのあげられた例は、どちらかといえば色覚異常者の事を考慮していない制度や設計の問題ですから、掲載の可否を議論するにあたって取り立てて問題にするほどのこととは思えません。yhr 2006年12月3日 (日) 11:03 (UTC)[返信]
「少数派云々」の記述は「とする意見もある」ということで引用されているのでこのままでよいと思います。国立遺伝学研究所には私もリンクしていますが、専門の学者の中にそういう意見を持つ人がいるということでよいのではないでしょうか。Penpen 2007年1月21日 (日) 16:44 (UTC)[返信]

今更ですが「左利き」で例えれば分かりやすかったかも知れませんね、ある意味では。219.125.202.120 2009年7月29日 (水) 10:52 (UTC)[返信]

医療情報のありかたとして[編集]

現在の書き方・構成共に「疫学的」な面からの統計と、それに対する「あきらめ」から出発している感がします。あたかも病気じゃないから、差別するなといわんがばかりの内容です。経過とともに改善されましたので引っこめます--ちん 2008年8月12日 (火) 03:56 (UTC)[返信]

病気でも差別しちゃいけないのは当然のこと。 その前提のうえで。「色覚異常」は、ほとんどの家庭の医学にも掲載されている「疾患」であること、国際的にもICD-10・H535に登載されている「疾病」であること。これは、客観的にあきらかです。 つまり、困った・治したいという人もいるということですから、事典としての医療情報であるなら「症状」「原因」「治療法」をまず主題とし、あきらめていない人への道筋もつけたうえで、背景・生活・社会制度を追記するカタチがよいのではないでしょうか。--ちん 2007年3月6日 (火) 00:31 (UTC)[返信]

上記の内容で「治療法」に関して,眼科学会の現在の見解を採用するべきではないかと思います.眼科学会のHP http://www.nichigan.or.jp/public/disease/hoka_senten.jsp によりますと,「先天色覚異常に対しては有効な治療法がありません。」と書かれています.先天的色覚異常を治療できるという科学的で明確な根拠が無い場合には治療できる可能性について触れるべきではないと思います.

ただ、WHOの鍼灸の適応症によると、色弱は治療範囲であり、治療によって改善される場合があると認められつつある。

とされている部分について,日本眼科学会の意見と異なるWHOによる記載がどこにあるのか,その原本にあたる参照元を明示するべきだと思います.125.14.55.10 2007年4月12日 (木) 15:50 (履歴より署名追加--219.98.35.36 2007年10月17日 (水) 11:55 (UTC))[返信]

図表における記号の意味について[編集]

錐体細胞の異常の有無と現れる色覚異常の関係を表にまとめると下記のとおりである。

錐体細胞の異常の有無と現れる色覚異常の関係 錐体細胞 名称 症状 頻度 青 緑 赤 ○ ○ ○ 正常色覚 症状はない 多数派 ○ ○ × 第一色覚異常 緑~赤の色の見分けに問題が生じることがある 男性20人に1人 女性400人に1人 ○ × ○ 第二色覚異常 × ○ ○ 第三色覚異常 正常色覚とほとんど変わらない 稀 × × ○ 全色盲 色は識別できないが視力は良好 稀 × ○ × ○ × × 色が識別できず視力も低い × × ×

上の図(正確に引用できず申し訳ありません)の○ × の意味が明記されていないようですが、 ○が「正常」、×が「異常」という意味ですか?それとも、それぞれ対応する錐体細胞が「存在する」、「存在しない」という意味ですか?--202.244.240.2 2007年9月6日 (木) 06:08 (UTC)[返信]

「大学への入学制限」の節について[編集]

医学部のみ制限があったのか、すべての学部にわたって制限があったのかが分からない文章になっています。どなたか分かる方よろしくお願いします。--Tourist 2008年10月1日 (水) 12:08 (UTC)[返信]

1980年代中頃の大阪大学における化学系学科(工学部応用化学科や理学部化学科・高分子学科)の出願要件では、色覚異常がないことが条件づけられていました。その後随分経ってから撤廃されました。BB-45 2009年4月4日 (土) 01:03 (UTC)[返信]
1978年、大阪芸術大学を受験しましたが、記憶している範囲だけですが、芸術学部美術学科、写真学科、映像学科の願書には「色覚異常が認められる者は除く」とありました。私は、文芸科と舞台芸術科を受験してますが、私自身、小中学校は「赤緑色盲」高校時代に「第二色覚異常」と判定されてます。

『たたかえ!色覚異常者』(高柳泰世 ISBN 4-07-221267-9)の42~43ページによれば大学の入学制限については以下の通りです。 これを信用するとなると現在の本文の「1993年以降すべての国立大学で色覚による制限はなくなり、私立大学もそれに準じている。」は間違っていることになりますね。同227ページによれば1996年度の国立と私立の残りの各2校は東京商船大学、神戸商船大学、早稲田大学教育学部地理学科地学専修、東海大学海洋学部航海工学科です。--X1RqXf1 2009年8月25日 (火) 15:32 (UTC)[返信]

1 入学制限の多かった国立大学の学部・学科(1986年度)
大学数 制限校数 %
 教育学部  小学校教員養成課程 33 24 72.7
中学校教員養成課程 国語 17 3 17.6
技術 20 17 85.0
芸術 26 25 96.2
理科 36 22 61.1
 農学部  農芸化学科 18 11 61.1
獣医学科 6 2 33.3
林学科 15 6 40.0
2 色覚異常者に対する大学入学制限の緩和状況
 (大学数)  国立(94) 公立(39) 私立(333) 大学校(18) 計(484)
1986年 47 5 21 5 78
1987年 23 2 14 5 44
1988年 9 1 11 5 26
1990年 5 2 10 5 22
1991年 4 1 8 5 18
1992年 3 0 6 5 14
1993年 2 0 4 5 11
1994年 2 0 4 5 11
1995年 2 0 2 5 9
1996年 2 0 2 5 9
1997年 2 0 2 5 9
3 色覚異常者に対する医学部入学制限の緩和状況
 (大学数)  国立(43) 公立(8) 私立(28) 計(79)
1986年 24 3 4 31
1987年 5 1 2 8
1988年 2 1 1 4
1990年 1 1 0 2
1991年 1 1 0 2
1992年 1 0 0 1
1993年 0 0 0 0
1994年 0 0 0 0
1995年 0 0 0 0
1996年 0 0 0 0
1997年 0 0 0 0

色覚異常を扱った作品[編集]

  • 高橋治『名もなき道を』 - 医師になることを期待された病院長の長男が、色覚異常のため医師になれず、司法試験に20回挑戦した後、奇行をくりかえすようになるという内容。著者の旧制高校時代の同級生がモデルになっていた。このため、この同級生の妹夫婦が、「兄を主人公のモデルにされ、プライバシーを侵害された」として、慰謝料の支払いを求めて著者と出版元の講談社を提訴、1999年に東京高裁で和解が成立した。
  • 古川日出男『13』 - 左目だけ色弱の少年がデジタルアーティストとなるという内容。
  • David Hunt "The Magician's Tale" - 色盲の女性写真家を主人公とするサスペンス小説。
  • 横溝正史『深紅の秘密』
  • 鮎川哲也『りら荘事件』
  • プレイステーションのゲームソフト『クロス探偵物語』 - 殺人犯の色覚異常から事件を解決する話がある。この話の中でも色覚異常という差別的表現に対して批判的な表現がされている。
  • 映画『リトル・ミス・サンシャイン』 - ジェット機のパイロットを目指していた兄ドウェインが色弱だと分かり、パイロットは無理だと半狂乱になる場面がある。

以上各項目について、本文に記載されていたものをそのままノートに移動した。上記各内容の正確さについては不知。--Color_vision 2010年5月14日 (金) 14:33 (UTC)[返信]

「外部リンク」について[編集]

外部リンク欄へ、某企業のリンク掲載が幾度も試みられている。この企業は特定非営利活動法人に登録されているようだが、基本的な性格としては営利目的をもった私企業であるため、リンク掲載は広告宣伝にあたる。広告宣伝は削除されるので、関係者はご理解されたい。--Color_vision 2010年3月25日 (木) 20:47 (UTC)[返信]

思い込みで裁量することをもっと警戒して下さい[編集]

さきごろ独自研究の疑いがかけられた一連の編集についてです。多くの編集者が独自研究と判じているようですが、本質的には独自研究ではありません。体裁の不足は、執筆者の知識の不足とも考えられ、同様の内容の学識が実在するにもかかわらず、独断的に裁量する姿勢は「百科事典」には不要です。しかも、そういった編集者が複数存在することは警戒すべきことであり、当該記事執筆者の問題点同様注意する必要があるように思います。そういった編集がwikipediaの信頼を損なっており、編集者の正確な知識の充実を期待します。当該記事は今後要求される内容を含んでいることから何らかの形で残す必要はあるように思いますし、色彩科学の著作では、殆ど必ず触れる内容であると認識しています。--Onyx 2010年10月31日 (日) 17:04 (UTC)[返信]

学校での検査[編集]

私は中学生ですが,小学生の時に,希望者のみで色覚異常の検査を行ったことがあります。 Atsushi muroi会話2013年6月13日 (木) 09:14 (UTC)Atsushi Muroi[返信]

記述の移転統合の提案[編集]

  • 色覚検査表を、本記事の「検査・評価」節へ統合
  • 「進化と色覚」節を、視覚へ移行

前者は、あまり加筆されておらず、単独記事として独立させるだけの特筆性を満たしていないと考えました。後者は、人間の医療よりは広範囲の動物の生物学を論点として記述されており、本記事に記述するにはカテゴリー違いと考えました。--希茶 2013年9月20日 (金) 09:55 (UTC)

  • チェック 議論が発生しなかったため、上記2件の転記または統合を実行しました。--希茶 2013年10月9日 (水) 12:25 (UTC)