ノート:戦死/過去ログ1

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「散華」で編集合戦。保護措置

個人的にはこういう比喩表現を取り上げだしたらきりがないなので要らないと思います。昇天したとか殉教したとか全部リダイレクトリンクする気ですか--Tabunoki 2008年4月20日 (日) 08:08 (UTC)

えーっと…特攻関連の掲載の有無([1][2])に関しての話でしょうか。それに関しての小生の見解は利用者‐会話:Worldtravelerを参照してください。編集保護に関しては相手への説明と並行して作業した小生の不徳の致すところではありますが、Worldtravelerさんが既存の等価の重みづけで散華玉砕へリンクしていたところを、それぞれ別扱いとしたうえで連想的に関連性が副次的な特攻へとリンクしたことは不適当(Tabunokiさんが指摘される所の「きりがない」問題の入り口化する)だと考えます。
なお「全部リダイレクトする気ですか」とのご指摘は意味がよく分りません。昇天は宗教的概念における生死観であり、殉教は宗教活動において教義に殉じて人が死ぬことで、この双方はそれぞれ全く異なる死に関連する概念のひとつで、これを戦死ないしに単純にリダイレクト(→Wikipedia:リダイレクト)させることは妥当だとは思われません。余りにも概念ないし価値観も異なり過ぎるため、関連項目に並べることも不適切といえましょう。--夜飛/ 2008年4月20日 (日) 10:38 (UTC)
散華も仏教用語としてのそれは全く違う概念ではないですか。聖戦による戦死が殉教の一部にすぎないように、戦死を婉曲する散華もまた散華の用法の一つにすぎないのだと思います。戦死の婉曲表現の一つ記事中で解説を加えるのはいいのですが独立した関連項目としては整理対象にしていいのではないかと思います。wkipediaの関連項目で解説を併記してまで載せる例をあまりみないですし--Tabunoki 2008年4月20日 (日) 18:17 (UTC)
散華は仏教用語からの誤用ではありますが、対象記事に大戦時に戦死の代替え語として用いられた経緯が言及されているため、特に問題はないと考えます(広辞苑など辞書を紐解いても誤用として戦死に言及しているわけですし)。こと本項(戦死)では、大量の戦死傷者を出すようになった第一次大戦よりを主題として説明しており、近代戦においてこれらは当事者の感傷的な思惑を超え、戦略の上で管理すべき要素にまでなっている現状を説明しているものの、日本語の範疇(ここは日本語版Wikipedia)では当事者らの感傷的な言い換えないし軍当局の戦争継続のための世論誘導として散華・玉砕が代替え語として使われた純然たる事実が近代史にあり、それは現代においても(存命中の者が十分使う範疇として)用いられる用法だと考えております。一方殉教は歴史上に散見される宗教戦争において死亡することを宗教戦争が宗教活動の一環であったことを捉え、十字軍行軍中の死亡が殉教と捉えられたり、キリシタン弾圧において焼き打ちをくった側を殉教と表現するものはあっても、そこには明確に宗教が介在しております。もう一方の昇天に至っては死全般を宗教的価値観から表した用語であり、その用法のレベルで明らかな差異があります。関連項目は関連性の多少に応じて書くべきか否かを判ずる個所でもありますので、日本語の用法として強い関連性が見いだせればそれほど問題はないのでは。なお説明を関連項目に書くことに関しては、主流ではないがしばしば関連の度合いや関係が明示しないと対象記事内で判り難くなる場合に暗然と使われる方式であります。これはそれぞれを記事中で書くには断片的すぎてWP:TRIVIA化するが、関連項目として示すには一応の説明をつけたいという場合などに見られます。--夜飛/ 2008年4月21日 (月) 11:57 (UTC)
そういうものですかね。私は関連項目はリダイレクトを淡々と列挙してある方が読みやすいし、統一性があってよいとおもいます。もし保護が解除されたら私は本文中に戦死のとらえ方についての項目を追加して今の状況に代えようと思っています。--Tabunoki 2008年4月23日 (水) 00:50 (UTC)
すみませんが、「リダイレクト」という言葉を誤用していませんか?Wikipediaの上におけるリダイレクト(自動転送)項目に関してはWikipedia:リダイレクトを参照してください。それ以外も、誤字なのか脱字なのか何を述べられているのか大意において通じておりません。その現状では、Tabunokiさんが自身の考えを述べる上で日本語の文章として意味が通らない側面が多過ぎるため、正直に申しまして「事物の説明をする」という百科事典記事への参加は難しいのではないかと感じます。
  • 「保護依頼が解除」→「記事の保護状態が解除」?
  • 「今の状況に代えようとと持ってました」→「現状の記事に加えようと思っていました」?
その点で、「戦死のとらえ方」というのも何を意味しているかも不明瞭です。個人が主観において戦死をどう認識するかは、それをクオリアにまで言及しないまでも価値観によって無数の類型が存在し、まして地域の文化性にもからんでやはり無数の考え方が存在し、更にはこれを所定の発表済みの文化論に依って書けばWP:NPOVの観点から所定の視点に誘導的になるため不適切であり、ましてそういった既存資料によらずいつぞやのクラスター爆弾で行われた編集のように個人的な価値観に基づいて書かれれば、最早存続させるほうが難しい私的なエッセーに陥る恐れを含んでいると考えます。
なお百科事典の記事は事物を説明するのが第一義、編集者の視点で視覚的に見易いかどうかはその意味において意味を成さない論点だと思います。情報を提供する上で、関連項目は関連性が強く見出されるテーマの記事へ誘導する性質のものですが、そのキーワードを挙げる上で、編集者自身がそのキーワードから何を連想するかというのではなく、読者がそのキーワードを見てどれを開くべきかの参考となる情報を示すのは事物の説明で妥当な範疇であり、むしろ編集者の主観によってのみ連想的にキーワードだけを並べた状態は、事物の説明にならないだけではなく情報を提供するという視点において混乱したイメージを垂れ流す行為に等しく、それはWP:TRIVIAに示されたとおり雑多な内容(主題となるテーマに対してノイズにしかなりえない)だと考えます(その観点から特攻は関連性が副次的だと考えてWorldtravelerさんの編集を差し戻した次第です)。--夜飛/ 2008年4月23日 (水) 10:50 (UTC)
私の提案は「関連項目から削除するつもりだが、存続させたい人が居るようなので項目を設けてはどうか」というものです--Tabunoki 2008年4月24日 (木) 03:55 (UTC)
少なくとも現状の関連項目の記述で、過不足はないと考えています。一方、Tabunokiさんは対話の場にあってすら用語の誤用や誤字を放置したりするなど、文章として表現するという行為に際して不適切な行動が目立ち、その表現の不備もあってどのような考えを持って行動しているかも判じ難い部分もあり、記事本体に手を出してほしくはありません。現状において過不足がないものを、その記述の考え方を十分に理解しているとは思えない者が書き換えたとしても、それは意味不明化するのが目に見えています。「存続させたい人が居るようなので」などという認識では、到底現状以上の状態は期待できませんが故に。--夜飛/ 2008年4月24日 (木) 11:05 (UTC)
貴方の主張がWikipedia:関連項目と対立していることに困惑を禁じ得ません。変わった用法は総じて強調表現として機能しますから補足内容は読者に強くアピールされることになります。私が読者として関連項目に期待するのはリンク機能であって説明でありません。これこそWP:TRIVIAに該当するのではないですか?それに私が書きたかったのは少なくともこのような箇条書きの列挙ではありませんよ。できるだけ本文で説明せよが関連項目に関する指針ではないのですか?そして関連項目においては余計な補足説明こそがノイズだと考えます。はたして関連性に補足説明が必要が記事が関連項目に値するのか?私はそうは思いません。
そして該当の文章は形式ではなく単純に内容に問題があるのです。
  1. 玉砕 - 散華(日本軍で使われていた、戦死を美化する言葉)
・玉砕は戦死というより部隊の全滅を意味する表現です。
・散華に至っては華と散るの形容表現もしくは仏教用語の誤用であって戦死と意味的なかかわりが薄い。
  1. 英霊(戦死者に対しては用いられるも、戦病死した場合には含まれないなど、扱いが微妙である)
・間違いです。ただの尊敬表現にすぎない英霊にそのような明確な基準が有ろうはずもなく、靖国神社にも合否されています。
そしてwikipediaは百科事典であって字引ではないのだから、散華のように現状で戦死についての内容をあまり含まない言い換え語にリンクを張る行為が適切とは言い難いと主張します。Wikipedia:関連項目で言うところの「語彙が類似しているだけの項目や、多少の関連性が有るに留まる項目を紹介する一覧表ではありません」です。
クラスター爆弾で行われた編集についても個人的な印象と断定されるのが不服ですので該当記事を再加筆せていただくことにします。独自研究に当たらないように対人地雷禁止条約の頓挫についての事実に絞った記述にするよていです。あなたが何らかの政治的な価値観に基づいて記事の執筆をしていないことを期待しています-Tabunoki 2008年4月24日 (木) 12:16 (UTC)
関連項目に関しては、過去にこのような議論もありましたが、いずれにしても「合わせて参照してほしい内容が記述されている項目」という合意形成がみられます。その観点から、少なくとも直接的な関係性に基づいて付与している次第で、それは「多少の」や「語彙の類似」に基づいている訳ではありません。件のWikipedia:関連項目は草案段階で「実際にはまだ合意形成以前」ではあるものの、それに配慮することはやぶさかではありません。しかしTabunokiさんの視点は、余りにもこの草案段階にあるガイドラインの理念を、取り違えて解釈しているように思えてなりません。ガイドラインはLawではないのですし、ましてその理念を解する上で、勝手に誇大解釈して何らかの記述を否定するためにのみ利用するのは筋違いというものです。
玉砕・散華に関して言えば、玉砕が部隊ないし何らかの軍事的集団が全滅することを指すとはいえ、それら軍事的組織の構成が人によってなされている以上、その各々の人がすべて戦死することが全滅であり、これを指して玉砕と表現したもので、一方の散華では実際にそのような誤用から発した用法が言葉として定着し、利用されてきたという実史に基づいた・言葉としても辞書に掲載された用法として存在しています。更に言えば、玉砕に関しても元より軍事用語ではなく、全滅と同義とは言えません。純粋に日本語の範疇および日本語としての価値観念において、玉砕と散華は戦死に関連して用いられてきたという観点は、言を弄して否定するほうが無意味だと判じます。
なおWP:TRIVIAは、その理念において連想的に関係性が存在する事柄が、その多少にかかわらず羅列されることへの懸念を示すものであり、直接的な関係性のある記事を紹介する限りにおいてこれを否定しうるところではありません。
以上の事柄をもちましても、Tabunokiさんはまず言葉の意味・用法やその理解という範疇において、余りにも不注意な印象を受けます。英霊に関しても英霊#cite_note-1を読んだ上でそのように申されているのだとしたら、もはや「その程度の認識で記述に口を挟まないでください」としか言いようがありません。同じことは「散華のように現状で戦死についての内容をあまり含まない」という表現に対しても言え、何処をどう見たらそういう発言が出るのか理解に苦しみます。
クラスター爆弾での編集では、過去のTabunokiさんの記述は余りにも不注意で他の記述に重複した上に自身の主張にしかなっていませんでした。書くにしても既に説明されている事柄と重複しないようにしたうえで自身の価値観など抜きにして参加してもらいたいところ…ですが、既に「対人地雷禁止条約の頓挫」という表現一文をもってしても、妥当性を判じる上で厳しい目で見ざるを得ないと感じます。「政治的な価値観」とやらが何を述べたいのかは知りませんが、言葉を繰る上でまずは自身の書いた文章を今一度読み直す冷静さを持つよう願います。--夜飛/ 2008年4月24日 (木) 12:56 (UTC)

:ここまで相手の姿勢や能力を否定する表現が並び、wikipediaからの退場まで何度も勧告するとはよほど苛立っておられるようですね。私の書き込みが否定から始まったのはよくなかったですね。文章を操ることに(私より)長ずる人のプライドは思ったより繊細なのかもしれません。私は削除とリバートによる編集合戦や保護による編集停止より、推敲を繰り返しながら双方の主張を取りいれた文章を作る方が好きなのですが不可能なようで残念です(それが総花的でどっちつかずの冗長な文章であっても)。関連項目から削除するというと語弊がありましたがそれはリンクは本文中から行い関連項目に書かないのが望ましいという指針に沿うものです。ごちゃごちゃした説明文がつくのが嫌なだけなので関連項目のリンク自体は残したければ残せばいいんじゃないでしょうか。

あなたの意見をまとめるとこんな感じかな?
  1. 本文に書くとTRIVIAになるけど関連項目に書けばTRIVIAにならない。
  2. 私が記述者に配慮して同内容を盛り込んだ記述を書くという姿勢は間違ってるけど、自分は合意形成前の意見に配慮にする事はやぶさかじゃない
  3. 主要地雷配備・輸出国が批准せず目標を達成できなかった対人地雷禁止条約を頓挫と呼ぶ私の事は厳しい目で見ざるを得ないが、自分が一神教における殉教と神道における英霊、仏教における散華を区別する姿勢は正しい。
  4. 関連項目はリンクのみで構成するという従来の方法はノイズにしかなりえないと考えるけど、説明文を混在させる方法をノイズと感じるのは認めない

--Tabunoki 2008年4月24日 (木) 15:31 (UTC)

おおかた「ダブルスタンダードだ」と言いたいのでしょうが、事物の性質が全く異なる事柄を同列に並べて論じても、詭弁にしかなりえません。そしてその程度の論説で相手を如何こうできると考えるその姿勢には、強い懸念を覚えます。--夜飛/ 2008年4月24日 (木) 23:16 (UTC)

どうしてそうすぐ人格攻撃と取られかねない発言をするのかと思ってしまいますがもう一度論点を整理します yaはYatobiさんの部分ですからご自身の主張で改編しても構いませんよ(本人改編)とでも文の末尾につけておいてください。

  • 形式について
to)本文中に書く形式をとりたい(具体的には日本における戦死とでも項目を作って歴史的経緯を記述したい)
ya)関連項目に捕捉文章を書く形式を支持する
  • 関連項目のリンクに併記されている捕捉文章について
to)一般に関連項目はリンクのみで構成されているので捕捉文章は違和感がある。捕捉文章なしで関連性が説明できないならそこに乗せる意味があるのか
ya)むしろ本文中に書くよりも望ましい。リンクのみで構成されてる現状こそノイズである
  • 殉教など戦死を言いかえる他の言葉について
to)慰霊と宗教の問題は切っても切り離せないが、日本以外の宗教の概念を含めるときりがないのではないか。(載せるとすれば本文中に書いたほうがいい。関連項目に箇条書きするには冗長すぎる)
ya)殉教は宗教が介在しているので適切とは言えない。一方、英霊、散華はそうは思わない(国家神道や仏教は宗教ではない?)。

--Tabunoki 2008年4月25日 (金) 01:37 (UTC)

Tabunokiさんがあなたに対する批判を「人格攻撃」(もしかして「個人攻撃」の間違い?)とみなすのは、その主観および主体性の上においては自由ではありますが、そのような視点で相手からの批判を見ることに関しては、甚だ遺憾としか言いようがありません。そのような視点に立つ限りにおいて、Tabunokiさんの自尊心というか価値観は守られるのでしょうが、その場合においてTabunokiさんが成長することはありえません。そのような態度でいるからこそ、対話の際に誤字脱字や相手に通じない発言を平気でしてしまうのではありませんか?一度、WP:KIDを冷静に読んで、自分の行為を内証して頂きたいものです。
それはさておき、Wikipedia日本語版は、Wikipedia日本版ではありません。その観点に立てば、余りに日本の価値観に特化して記事を書くことは妥当とは言えません。まして価値観は文化性を受け個人の中に発生するもので、その歴史的遷移を記述することは日本人論にまで関係し、それはおそらく新書一冊に匹敵する一大研究となることでしょう。そしてそのような研究書に依って書くのであれば、それはその書籍に説明を譲り、百科事典の記事としてはそのような書籍が存在していることを紹介する程度に留めたほうがよいでしょう。もし、そのような研究書に依らず、Tabunokiさん自身が思うところを書き綴るのであれば、これは絶対的にお止め下さい。それはただの独自研究の発表に過ぎません。
また、上に小生が描いたことを本当に読んでいるのですか?余りに小生の発言を歪曲しています。繰り返しになってしまうので何処がどうとまで書く気すら起きませんが、最早その程度の読解力で記事に携わろうとすること自体が問題だと思います。
殉教云々に関しては、事物の関係性を図表でも作って確認してください。慰霊は死という状態を挟んで戦死と関係しているのであり、その関係性は副次的です。更にその慰霊(死者に対する弔意を示す活動)は、その活動を行う側の宗教観によって様式が存在するのであり、慰霊という概念自体は宗教を抜きにしても存在しえます。
そういう視点が無いようでは、Tabunokiさん自身の事物への理解があまりにお粗末で、その観点は事物を説明する百科事典としては余りに未発達で、その程度で記事に関わろうという姿勢自体が論外です。
「方針文章の要熟読」というのはしばしばトラブルを起こす利用者に対してブロック期間を設ける際に使われる理由なのですが、Tabunokiさんに関して言えば、「百科事典と国語辞典の要熟読(ついでに国語の教科書も)」の期間が必要なように思われます。もしTabunokiさんがまだ学校教育を受けている世代であるのなら、今からでも遅くはありません。きちんと教育を受け、事物をよく見て理解するための訓練を受けて下さい。もしその年齢を過ぎていても遅くはありません。(少し大変ですが)本を読んだりモノを考えたりしながら、物事を客観的に見る目を養って下さい。Tabunokiさんの人格を否定する気はありませんが、Wikipedia利用者(記事編集者)としてのTabunokiさんの能力に関しては、現状においてはその余りの言動もあり、否定的にならざるを得ません。--夜飛/ 2008年4月25日 (金) 12:44 (UTC)
外野ですが、Yatobiさんは「百科事典記事への参加は難しい」「詭弁にしかなりえません」「その程度の論説」「成長することはありえません」「その程度の読解力」「事物への理解があまりにお粗末」「その程度で記事に関わろうという姿勢自体が論外」「百科事典と国語辞典の要熟読(ついでに国語の教科書も)」という表現は攻撃的じゃないとお考えだということですね。仮に今後Yatobiさん向けてこのような表現が使われたとしてもそのお考えは変わりませんね?--219.164.45.116 2008年4月26日 (土) 09:27 (UTC)
初回なら、穏当な表現のみで済んだでしょう。しかし一度ならず二度三度と意味の通らない(意思疎通の基本にすら理解が示されていない)発言の相手をさせられれば、また以前と比較して進歩の様子が見られないのであれば、相応の応対をせざるを得ません。また、これらの発言は攻撃的なニュアンスで相手を貶めるために投げ掛けたのではなく、実際にそうしたほうがいいと考えてのものであり、形容に関しても事実その通りの状態だとみなしていることを有態に表現しているだけに過ぎません。
なお、表現の形式だけを問うにしても、文脈の一部だけを抜粋することは、特定視点に誘導するための作為を含んでいるのではないかという警戒心がうずきます。確かに初見から斯様な文言を事実に反したり誇張して投げ掛けられたら、それらは確かに攻撃的な表現群だといえますが、しかしそこに至るまでに、相応のやり取りが存在していることにはご理解頂ければ幸いです。--夜飛/ 2008年4月26日 (土) 10:02 (UTC)
なるほど。つまり、意思疎通ができず議論が長期化し、なおかつ発言者が「実際にそうしたほうがいい」と考えたり「形容に関しても事実その通りの状態」であると考えたら、不穏当な表現であっても相手を貶める表現とはならずWikipedia上で発言するのは問題ないとお考えなのですね。
なお、「文脈の一部だけを抜粋する」のは、私がまさにその部分について疑問を投げかけているからです。上記引用した部分に関しては明らかに「戦死」とは無関係です。では一体何であるかと考えるなら、私の目には個人攻撃としか見えません。個人攻撃は禁止行為ですし、攻撃的な表現に対するあなたの考え方にも同意できません。個人攻撃への対処法に従い、(このノートに限らず)今後はそのような個人攻撃を停止していただくようお願い申し上げます。もしご同意いただけないなら、コメント依頼にサブページを作成いたしますので、客観的な判断を求めるべくそちらに移動いたしましょう。--219.164.45.116 2008年4月26日 (土) 12:26 (UTC)
個人攻撃とみなすのなら、どうぞご随意に。とめません。--夜飛/ 2008年4月26日 (土) 12:51 (UTC)
私は今は事情があって編集活動を休止中です。冷却期間をおいてもyatobiさんの姿勢に変化が見られず残念です。人格攻撃で相手の意志を挫こうとする姿勢は全く建設的ではありません。ほかの記事でも私の意見を全否定する編集を繰り返してることも同様に前向きではありません。活動再開したときやはり同じ姿勢をとり続けているならばコメント依頼などの形で第三者の意見を仰ぎます。それまでに考え方を変えていただけるよう願ってます--Tabunoki 2008年5月5日 (月) 16:22 (UTC)
私の意見って・・・・ウィキペディアは何がしかの意見の発露をする場所ではないので、否定されて当然かと。何か意見を世に知らしめたいのなら、2ちゃんなりブログなりでどうぞ。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかを読んでいないようですね。--125.30.24.95 2008年5月5日 (月) 16:53 (UTC)

私の編集と表現を訂正します。クラスター爆弾に関する編集のように部分的な瑕疵を指摘して、あるいは意味不明と断じてリバートを繰り返す行為は感心できません。--Tabunoki 2008年5月5日 (月) 17:45 (UTC)

訂正するとのことですが、Tabunokiさんの執筆方針が非常によく見て取れました。自分は悪くない、という姿勢はまったく感心できませんね。クラスター爆弾での一連の流れを見てきましたが、あれだけ日本語の文法上の間違いを見落としたままでの記事編集を繰り返せば、穏当を超えた指摘をされるのは当然かと。意味不明な文章を書き込んだ人間が文句を言える点ではありませんね。はっきりいって、部分的な瑕疵がないような慎重な編集をしているようには見えません。ここは戦死のノートなので長く指摘はしませんが、Tabunokiさんは「軍事専門家でない市民団体の主張は正しいとは限らない」から「両論併記で」という発言をされていますが、これひとつとっても、ウィキペディアの方針をまったく理解できていないと思われる原因のひとつではないでしょうか。他所でも、ソースの提示を求められてまともに回答できないことが多々あるようですが? 同じ姿勢をとり続けていると、コメント依頼などの形で第三者の意見を仰がれちゃうのは、あなたですよ? とりあえずWikipedia:善意にとるを読んで落ち着いてください。また、記事執筆で誤字脱字を皆無にするのは難しい命題ですが、あなたの編集の場合、はっきりいって多すぎです。--125.30.24.95 2008年5月6日 (火) 00:57 (UTC)

(インデント戻し・Tabunokiさんへ)活動休止中だか何だかは知りませんが、一方的に対話を放り出しておいて「(対話相手の)冷却期間」だというのは、余りに独我論的というか認識レベルで相容れないものを感じます。して人格攻撃(いやそれ絶対「個人攻撃」の間違いだと思う)だと主観においてみなすことの是非はともかく、それに違いないとして他の意見を前提以前で否定してしまうことは、もはや対話にすらなりません。また毒ガスで何やら妙な括弧書きを書いてるし…いずれにしてもTabunokiさんの行動に変化がなければ、それに起因して発生した小生の態度も変化することはあり得ないと申し上げておきましょう。してコメント依頼に関してはIP:219.164.45.116会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんが何か行動するかと思って待っていたのですが、何もしないし…で、Tabunokiさんご自身がコメント依頼を出すというのであれば、改めて「ご随意に、小生は止めません」と申し上げます。--夜飛/ 2008年5月6日 (火) 04:59 (UTC)

ご両人のよく似た意見は拝聴しました。しかし私はyatobi氏の「君は能力が欠如しているからwikipediaを去れ」という「提案」はどう善意に解釈しても最後通告・命令に類するものにしか思えません。私が一方的に正しいなんてこれっぽっちも思ってませんが、一度第三者の意見を聞いて見たいと思います。冷却期間といったのもyatobi氏が冷静さを失って感情的になっているだけかもしれないという私なりの配慮のつもりでしたのに。そんな風に一挙手一投足を相手の批判につなげないと気がすまないyatobi氏にこそWikipedia:善意にとるというリンクを贈りたいです
ガスについては書いたとおり、ほとんどの気体・ガスは高濃度になると人を死に至らしめかねない(ゆえに兵器としては使いづらい)という事実を言いたかったのですが。最近もロシアで治安部隊が用いた非致死性ガスで100人以上が死亡する事件がありましたし、日本でも液体窒素から二酸化炭素に至るまでガスが原因による死亡事故は日常的に起こってます。まあ、今の状態で理解していただけるとは思っていませんからこの問題が片付いてから処理したいと思います。--Tabunoki 2008年5月6日 (火) 07:00 (UTC)
善意に解釈することと無条件に甘やかすことは別問題です。まあWikipediaにはWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいのようなガイドラインもあり、記事に携わる知識の不足している側を弁護しているのではありますが、これはあくまでもWikipediaというシステムに関する無知に関連する事柄であって、コミュニケーションだとか文法ないし言葉の用法レベルで無知・無理解、更にはそれを指摘されてなお自発的に直そうとすらしないような者を受け入れることは別の話であり、有態にいえばWikipediaは技能訓練所や託児所ではないので「百科事典の記事を書くために集まっている」という前提に応じた行動を取れない者にすら門戸を開いているわけではありません。
毒ガスに関しては項が違うので余り述べませんが、専門的な本を紐解いての定義を再確認してください。それでなおそのような認識で件の記述をするというのであれば、もはやお話にもなりません。--夜飛/ 2008年5月6日 (火) 09:01 (UTC)
あなたが「催涙ガスは非致死性の毒ガス」という文意を読み取れなかったのは私の国語能力不足なのかもしれませんが、そうやっていちいち個人攻撃・人格攻撃をしなければ気がすまない姿勢が問題になっているのですよ。残念ですがコメント依頼に踏み切ります。--Tabunoki 2008年5月6日 (火) 15:21 (UTC)

保護解除に向けて

私としては保護解除を現実的なものとするため、関連項目についての意見の相違はいったん保留としたいと思います。本文に関連項目に相当する文章を加筆するため保護解除を提案します。関連項目についての議論は様子を見てまた行いましょう。これについてyatobi氏は私の能力が不足している事および、「日本の価値観に特化」する事はよくないとの主張から反対しています。前者については氏の主観的な視点であること、後者はではなぜ関連項目にのみ玉砕、散華といった日本の価値観に特化した記述が許されるのかという矛盾があるので私は同意できません--Tabunoki 2008年5月8日 (木) 04:01 (UTC)

  • (反対)保護の発端となったWorldtravelerさんは別件で暴言により2008年5月7日から2ヵ月のブロック期間にある(→Wikipedia:投稿ブロック依頼/Worldtraveler 追認)が、その一方でTabunokiさんの関与で、余計に保護に至った経緯が再開される可能性が高まっただけで、解除に至る合意も形成されていない。編集合戦に関連する記述に関しては「いったん保留」ということだが、言いかえればTabunokiさんの一存で繰り返される可能性を含んでおり(しかもTabunokiさんの一連の行動には合意形成を成す意図すら見いだせない)、現状Tabunokiさんが一向に記事に手を出すつもりであることを表明している以上、当面は現状維持でもいいくらい。--夜飛/ 2008年5月8日 (木) 12:25 (UTC)
  • (反対)上の議論での合意形成ができていない以上、「意見の相違の保留」は空手形。もし保護解除をしたとすれば、どちらかが我慢できなくなって自己意見での編集を強行してしまえば、合意形成ができていないわけですからそれを互いに直しあう編集合戦が起きるのは目に見えてますし。直せないのであれば早期に保護を解除する必要もなくなるわけで。状況を保護という枷によって抑えているのが現状ですから、この枷を外してしまうのは現状を悪化させる以外の何者でもない。保護解除に向けた合意形成を行うのであれば、合わせて上の議論に対しても第三者から意見をもらって合意形成すべきでは?この件に関して言えば議論の先送りは完全にNGでしょう。お二人の意見は完全に対立しているようですし、上の状況を見る限りお二人だけで話し合っていても既に感情的な対立となっている以上、今後も建設的な議論は望めないと思います。何なら私が依頼してきましょうか?本当はお二人どちらかが依頼していただくのが筋だとは思いますが。保護解除の合意形成の前にとりあえず、意見の摺り合わせ→合意形成。これが最優先事項ですな。--GF 2008年5月8日 (木) 16:49 (UTC)
確かに私が一定期間関連項目に手をつけないと約束しても、yatobi氏の方が私の本文加筆を許容しなければ編集合戦が発生し、再び保護案件となってしまうでしょうね。ここは保護措置を継続しつつ私が加筆相当分に対する原稿をここに提出し、査読を経てから管理者に加筆してもらう方法を取りたいと思います--Tabunoki 2008年5月10日 (土) 08:15 (UTC)
  • (コメント)まあ落とし所としては「玉砕 - 散華」を除去して、同時にTabunokiさんが記事に触れないこと辺りが妥当なところでしょうね。Tabunokiさんの、記述を査読させられる側の労力を顧みない姿勢には閉口させられます。--夜飛/ 2008年5月10日 (土) 13:07 (UTC)
(質問)ええっと・・・・TabunokiさんがおっしゃられているのはWikipedia:保護の方針#単純な修正のことですか? 原稿を提出する? 提出って、受け取ってくれる人がいる前提でないと成立しない言説ですが、いったい誰に提出して誰が査読してくれると思っていたのか非常に興味があるので是非教えてください。まぁ査読が必要なほどの加筆はおそらく受け入れられないと思われますが、面白いので、ためしに管理者伝言板で聞いてみてください。--baku13 2008年5月10日 (土) 14:44 (UTC)
私が言う査読というは私が書いた原案に対して反対する人が理由をつけて批判する作業を上品に言い換えただけ

です--Tabunoki 2008年5月11日 (日) 08:09 (UTC)

他の参加者を下に見る姿勢がよくわかりました。また、この程度の単文にすら脱字が発生するというのが非常に不思議です。いったいどういう脳内環境から投稿されているのでしょうか・・・しかし、富山市立図書館から投稿しているのに、出典の提示を求められてほとんどまともに応えたことがないというのも、これまた大きな不思議です。--baku13 2008年5月12日 (月) 03:06 (UTC)

まぁなんか直近の議論を読んでいると当事者お二人とも目指す方向が全然違うから、議論の交差のしようが無いのかなぁという印象も受けますが。とりあえずコメント依頼出してみますかね。加筆云々は別として、議論が拗れてからその先一歩も進んでいないのが現状な為、これを打破するために第三者に意見を求めましょう。問題としては、どの事柄を中心にコメントを求めるかですが。現行記事内容の妥当性でいいですかね?本はそこから議論が始まったみたいですし。お二人からの承諾あり次第出してきます。--GF 2008年5月10日 (土) 15:27 (UTC)

Tabunokiさんがなにを書くかは誰にも予測付かない(たぶんTabunokiさん自身にも)のでそれは脇にのけておいて、「戦死#関連項目に何を残し何を外すか」でコメント依頼を出すのが筋じゃないでしょうか。小生は今となってはTabunokiさんに無用にかき回されるのを警戒するのみで、関連項目に散華や玉砕・英霊などの旧日本軍/日本人的価値観や近代史(そしてそのために起こった日本語としての語彙の変化なども)に関連した言葉を残すかどうか(特攻を加えるのは反対ですが)は意見を求めたいところですので。--夜飛/ 2008年5月11日 (日) 01:24 (UTC)
私もコメント依頼に賛成します。私には本文には日本に特化した項目を設けるのが駄目で関連項目は許されるという主張は理解できません(単に私が書くのが駄目ってだけなんじゃないかという気がします)し、あいつに編集させるぐらいなら全部編集できないほうがましだ!的な発想は建設的じゃないと思いますよ--Tabunoki 2008年5月11日 (日) 08:09 (UTC)
コメント依頼出しました。--GF 2008年5月11日 (日) 15:44 (UTC)
おつかれさまです--Tabunoki 2008年5月12日 (月) 11:16 (UTC)

仕切りなおし。論点は何なのか

私の能力がどうとか、Yatobi氏の姿勢がどうとかはコメント依頼などに方に分離する体制ができたところで再び問題の整理を行いたいと思います。

私は現状の関連項目について一時期の日本の民衆からみた視点に大きなウェイトを与えすぎているのではないかと思います。徴兵は戦死と直接関係ないですし、散華や英霊に補足説明をつけてまで誘導する必要があるのかとおもいます。また玉砕をあげるなら全滅など特定の文化の色のついてない項目名の方が適していると思いますし、MIAや戦病死といった軍事上の世界共通概念を載せた方が良いと思います。 もちろんここはwikipedia日本版ですから日本の事例が多いも当然でしょう。それならば「日本における戦死」とでも項目をつくって補足説明に相当する文章を書き、そこからリンクを張るほうがよっぽど一般的でスマートなやり方じゃないかというのが私の提案でした。 「靖国を取り上げるなら各国に必ずある慰霊施設(アーリントン国立墓地等)も取り上げた方がいいんじゃない?」「仏教や神道の概念を取り上げるなら殉教やヴァルハラみたいな異教の概念も取り上げた方がいいんじゃない?」見たいな疑問に対しても項目で小分けすることで対応しやすくなると思います --Tabunoki 2008年5月12日 (月) 11:23 (UTC)

まずは、当事者同士で「戦死」をどのように理解されているかを確認されてはいかがですか? それと同時に双方が自ら理解されている「戦死」の定義の根拠たる出典を明示するのはどうでしょう。要するに、当事者同士で「戦死」についての基本的理解に食い違いがあるから、上記のような衝突が起こっているのだと思います。--M.M 2008年5月12日 (月) 12:21 (UTC)
私は戦死を「狭義には戦闘員が戦闘で死ぬこと、あるいは戦傷が原因で程なく死ぬ事。狭義には戦闘や戦争に参加して死ぬ事」だと思っています--Tabunoki 2008年5月13日 (火) 05:36 (UTC)
(追記)戦傷が原因による死亡をどこまで戦死とするかは国や時期によって異なるので「程なく」という表現を使用しましたが、概ね一日以内です--Tabunoki 2008年5月23日 (金) 10:10 (UTC)
(>M.Mさん)「戦争(ないし紛争)で戦闘に参加して死ぬこと全般」だと考えております。
(>Tabunokiさん)散華や英霊に関しては日本語版Wikipediaの記事という視点から日本語の範疇で「戦死者の扱い」という強く関連性の見いだせるテーマと考えてのことです。まあ「徴兵」は「兵士」に収斂され不要だと思いますけどね。「日本における戦死」では、その表題が実質的に何を指すものかも意味不明瞭であるため妥当だとは考えません。「世界大戦時における日本での戦死者の扱い」とでもして
日本では第一次大戦以降に神道的価値観から戦死者を靖国神社に祭る風習が出来上がった。なお英霊は戦死者のみならず広島護国神社に見られるように軍の支援活動中に原子爆弾の犠牲になった者も祭るなどの様式も見られる(→英霊)。その一方で、この神道的価値観とは別に仏教用語の誤用から戦死することの代替語として散華という言葉も使われ、また戦闘部隊が全滅することに対しては玉砕という語もつかわれている。
とでも書くのも一つの手ですが、これでは一節として分量が少ない上に既存記事のいずれとも絡まず加えて日本中心的記述過ぎて、これなら簡潔に関連項目に記載する程度で必要十分な関係性の提示を行えると考えます。まあ少なくともTabunokiさんが戦病死初版でやったような未整理な記述だけはご勘弁。戦死にまつわる慰霊のための施設に関しては、列挙すると膨大な分量になることが予測されます。これは「戦死者慰霊施設の一覧」とでもして別一覧記事を起こし、国ごとに節分けした各々に追記したほうがいいでしょうね。--夜飛/ 2008年5月12日 (月) 13:14 (UTC)
yatobiさんの原案は悪くないと思いますよ。分量の多寡については増やすほうが削るよりも簡単ですから問題にならないでしょう。私が言っていたのは戦死の中に「日本における戦死」を設けることなので小項目といったほうが正しいのかな。日本中心的な価値観にではないかという視点についてはだからこそ多くの記事で項目で分けるのだと理解しています。日本特有の概念だけど取り上げる価値があると思う内容を日本項目にを分離してしまうことで総論に影響を与えすぎないようにしているのだと思います。もし分量が多くなりすぎれば独立させるというのもよく見ますね。慰霊施設一覧を設けることについては、「靖国問題などを語る上で国立慰霊施設という概念が必要なはずなのに何でないんだろう」と思っていたぐらいなので賛成です。--Tabunoki 2008年5月13日 (火) 05:36 (UTC)
すみませんが上記斜体の文は「一例として書いてみた」のであり「原案」ではありません。して、それは一節として挟むには分量が無いだけではなく、主体となる文章にも絡まない断片的記述であり、それらは幾ら後から他の概念を盛り込んで増量されたとしても、もはや本文の主体性とは関係のない方向にいくしかない(言い換えれば記事の説明に寄与しない)記述であり、逆にそれらの記事を開けば書いてあることをわざわざ戦死の項に重複して書いてあるだけに過ぎません。そんな記述はいくら増えたとしても記事の可読性を損ないこそすれ、記事の情報的価値を押し上げたりしないでしょう(水増し位にゃなるかもしれませんが)。慰霊施設一覧に関しては、施設の一覧のみを簡潔に列挙することをお勧めします。靖国神社問題云々は既に独立記事があるので。--夜飛/ 2008年5月13日 (火) 12:55 (UTC)
yatobiさんの言う主体とは日本から離れて世界の戦死の共通項を抜き出し、汎化(一般化)した本文のことですよね。そして「日本における戦死」小項目は日本の戦死を説明するために汎化された本文を継承し、さらに日本独自の事柄(など)を追加して説明する形式になると思います。本文だけでは日本における戦死という言葉を説明しきれないし、yatobi氏が例を作った日本についての戦死文だけでも必要な説明が抜けてしまう。ゆえに、「世界の戦死を説明する本文」と「日本に置ける戦死を説明する小項目」は同項目に存在する意味があるのです。もしyatobi氏がこれを認めないというのなら新たに「日本における戦死」についての独立した項目を設けざるを得ませんが、いささか冗長ではないでしょうか(別に私はそれでも構いませんし、戦死の編集保護と無関係に編集できるので楽です)。この手の補完関係をwikipediaで日常的に目にしますが、主体性についての批判は寡聞にして聞いたことがありません--Tabunoki 2008年5月14日 (水) 06:46 (UTC)
はて…継承?どちらかというと「関連性に基づく連想」でしょう。関連性については「戦死という事物(事象・状態)に関して関係性のある(そして対象記事で戦死の項では扱っていない部分を記述してある)」という意味で関連項目に示せば必要十分(読者に百科事典の記事として利便性を提供することができる)だと考えています。逆に他の項で詳しく扱っている事柄を断片的に戦死との関係性のみに絞って書き綴ったとしても、それはその対象記事の事物と戦死との関係性の説明の域を出るものではなく、戦死そのものの説明ではありませんので、戦死の項に書くこと自体が脱線となりうるのであり、それでは「百科事典の記事として戦死を説明している」という記事主体性を損なうものだと言っているのですが。これは補完関係を他の記事に「より詳しい記述がある」として譲っているのであり、重複して戦死の項に書き綴る必然性も見られません。「主体性についての批判は寡聞にして聞いたことがありません」に関しては、それは事物を百科事典の記事として説明するというWikipediaの存在理由そのものに基づく前提であり、その面において記事の主体性に沿った文章以外が記事に存在すること自体がWikipediaの記事としては異常だといえましょう。もはやそれは前提レベルでの話であり、関係性から連想してつらつらと思うところを書き綴ることは、もはや百科事典の記事にあらずして、コラムでしかありません。
なお「日本における戦死」なる記事を起こされるということであれば(何を書くつもりかは存じませんが)とめだてしません。とめだてしませんが、その内容如何によってはTabunokiさん自身の有り様に関わる事態の発火点(の一つ)になりうることだけは予めご了承ください。--夜飛/ 2008年5月14日 (水) 11:56 (UTC)

再び論点の仕切り直し?

どうやらまた議論が白熱してきたようですので、論点を整理してはいかがですか? 基本的な定義については夜飛さんもTabunokiさんも大きな違いはないようですが、議論を拝見していると「戦死」に関する派生事項を付け加える、付け加えないともめているようですね。まずは、両者掲載すべきとする事項を列挙して、第三者からどれを取捨選択すべきかを募ってみてはいかが? どうも今までと同じく堂々巡りの議論になっているように見えます。

ところで、「世界の戦死を説明する本文」と「日本に置ける戦死を説明する小項目」と分ける必要性を感じないのですが、なぜTabunokiさんは、日本の場合だけ「戦死」を特別視するんでしょうか? ひょっとして「玉砕」は日本独特の戦死の形態だと思っていらっしゃいますか? それは違うと思いますよ。それから、慰霊施設に関する内容は「戦死」という事象とは区別して考えるべきだと思います。まあ、関連項目として慰霊施設へリンクを張るだけでもいいと思いますが・・・(という感想をいちおう書き込んでおきます)。--M.M 2008年5月14日 (水) 13:25 (UTC)

元々の私の主張を見ていただきたいのです。それは「日本に特化したリンクを無理に関連項目に乗せる必要があるのか?乗せるとしたら様々な文化圏の事情を乗せないと公平じゃない。ましてや補足説明をつけてまで存在を主張するのは誘導的ですらある」というものです。ただ、yatobiさんの戦死という日本語の成り立ちを考えると散華などが無関係でいられない考え方があることは認めますし、多数の記事で「共通項目+各国各文化の事情」という形式をとってるので戦死もそれを踏襲したら良いんじゃないってことです。「日本における戦死」を作るということは今後「アメリカにおける戦死」とか「イスラム圏における戦死」みたいな小項目が作ってよいことを示唆するものです
なお玉砕は基本的に日本の概念だと思います(この点はyatobi氏の主張にもあります)。普通は文化的な色のついてない表現として全滅とか全員戦死とかいう訳され方がされると思います。まあ外国で降伏が許される状況でも全員戦死するまで戦うという事はかなり珍しいことだと言うことが原因なのですけどね。アラモ砦の戦いが米国人の記憶に強く残ってるのはそのためです。--Tabunoki 2008年5月16日 (金) 06:47 (UTC)
お手数掛けてすみません。もしかしてTabunokiさんは上の表現から推理するに靖国神社問題に関連して何やら書きたいんじゃないかなーーーとか思ったり(いや、思っただけなんですが)。まあ、そんなこと(靖国神社問題とか)を戦死の項に書かれたらたまりませんけど。また「堂々巡り」っていうよりは「論点が彼方此方に散歩に行ってしまっている」んじゃないかと…Tabunokiさんが最終的に何をしたいのかもさっぱり解らないし。(とりあえず別件扱いで横線)
再掲載の可否判断の呼び掛けに関しては賛成します。小生としては大本のテーマとして『日本語版Wikipediaであるからには日本語の範疇で関連項目に戦死の代替え表現たる散華玉砕が顔を出す(まあ冒頭文に「類義語ないし代替え表現」として置いてもいいとは思いますが)のは妥当だが、それはわざわざ文中で節を設けるほど主要なテーマとはなりえない』という考えを示します。慰霊施設(およびこれの一覧記事)は戦死自体とは区別して考えることや関連項目にはリンクを設置することには異論はありません。--夜飛/ 2008年5月14日 (水) 14:08 (UTC)
まさか靖国問題を取り上げたいなんて思ってませんよ。yatobi氏が靖国神社や護国神社へのリンクを残すつもりなら公平性(または日本特化を防ぐため)の観点から各国の慰霊施設も記載しないとおかしいということです。理想は国立慰霊施設もしくは国立慰霊施設の一覧に集約してそれを戦死からリンクすることです。
あとどうも論点の食い違いの原因はyatobi氏が「戦死は日本語」という意識を強く持ってる事だと思います。私は戦死と翻訳される世界中の言語、あるいは軍事学的概念全般をイメージして議論していますから、散華とか玉砕はたくさんある事例のひとつに過ぎないのです。例えば私が「なんで殉教はだめなの?」と繰り返すいってるのは実際に殉教が戦死の言い換え語になっている地域がかなりあるからです(例えばパレスチナ)。英霊、慰霊というものは宗教と切り離せないものなのでどうしても各文化圏で差が生じるものです(唯物論者の共産圏では英雄というような言い方をしますね)--Tabunoki 2008年5月16日 (金) 06:47 (UTC)
(Tabunokiさんへ)正直申し上げて、いままでのお二人の議論を見てみても、議論の焦点があっちへ行ったりこっちへ行ったりと定まらず、よく分からない論議になっている気がするんですよね。Tabunokiさんご自身もわざわざ「論点の整理」という節を立てているわけですし、論点を明確にするためにもTabunokiさんが「戦死」の記事で必要と思われることと必要でないと思われることを箇条書きにしてみてはいかがですか?
>「日本における戦死」を作るということは今後「アメリカにおける戦死」とか「イスラム圏における戦死」みたいな小項目が作ってよいことを示唆するものです。
とおっしゃっていますが、これまでの議論の内容を拝見しても、その意図は夜飛さんには伝わっていないと思います(少なくとも私はそのような意図があるものとは思いませんでした)。ご自身の意図するところが相手に伝わっていないということが、やはりネックなのではないですかね。
>私は戦死と翻訳される世界中の言語、あるいは軍事学的概念全般をイメージして議論しています
これもTabunokiさんの主張の意図の分かりづらさを示しているような気がします。日本語であっても外国語であっても「戦死」という事象の持つ意味は唯一つですし、軍事学上においても「戦死」の意味するところは、先にTabunokiさんが挙げられている定義以外にはないのではないですか? どうも間口を広げすぎて話をされているような気がします。
あともう一つ感想を付け加えると、宗教上の概念や各国各文化の事情とかを持ち出すと、「戦死」という事象にどのような意味づけを加えるかという、違った方向へ話が進んでいくような気がしてなりません。--M.M 2008年5月16日 (金) 11:43 (UTC)

論点の明確化

ということで、双方の論点を箇条書きにしていただき、そこから合意へ至る道筋を探っていきましょう。これは、第三者にこのノートでの議論を分かりやすく把握してもらうという意図もありますので、ご協力ください。なお、夜飛さんからは明示的な回答をいただいていますので、その部分を箇条書きにさせていただきました(もし、誤りや付け足す必要がある場合は修正願います)。--M.M 2008年5月16日 (金) 12:02 (UTC)

【Tabunokiさんの見解】

  1. 「戦死」の関連項目に散華玉砕へのリンクを入れたくない。
    (理由)散華は仏教用語からの誤用であり、本来の概念ではない。玉砕は主に部隊ないし軍事的集団が全滅することを指すため、戦死とは意味が異なる。Wikipediaは百科事典であって字引ではなく、Wikipedia:関連項目では「語彙が類似しているだけの項目や、多少の関連性が有るに留まる項目を紹介する一覧表ではありません」ともされており、散華や玉砕を入れるとこれに反すると考える。
  2. 関連項目のリンク形式は、説明を付加せずリンクのみで構成したい。
    (理由)関連項目に求められるのはリンク機能のみであって説明ではないと思われる。Wikipedia:関連項目にも「本来、内部リンクは本文記事内の文中に包括されるのが理想的であり、「関連項目」のセクションに挙げられる項目は深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目に限られるべきです」とされている。
  3. 妥協案として、関連項目から同リンクを取り去り、それに代えて本文中に小項目を追加、散華や玉砕の説明とリンクを入れたい。
    (理由)上記2つの意見について同意が得られないと判断した。また、上記「本来、内部リンクは本文記事内の文中に包括されるのが理想的」にも合致する。記事を豊かにすることにもつながり建設的である

【夜飛さんの見解】

  • 日本語の範疇で関連項目に「戦死」の代替表現である散華玉砕を載せることには異論はなく妥当(冒頭文に「類義語ないし代替表現」として置いても可)。
  • ただし、散華玉砕を「戦死」の記事として節を設けるほど主要なテーマとはなりえないので、載せる必要はない。
  • 慰霊施設(およびこれの一覧記事)は戦死自体とは区別して考えることや関連項目にはリンクを設置することに異論はない。

第三者からのコメント

上記の論点をご覧いただいた方から以下にコメントを頂き、方針を決めていきましょう。

  • 注意:戦死の記事でTabunoki氏と夜飛氏が提起した見解について、第三者からの意見を募り、記事に反映させようというものです。ここでは、両氏の議論における姿勢、他記事における投稿についての是非等の「戦死」の記事とは関係のない意見を求める場ではありませんので、ご了承の上、議論に参加いただくようお願いいたします。コメントにはレス(返事)はつけないようにしてください。--M.M 2008年5月18日 (日) 13:05 (UTC)
再度コメント依頼を出してきました。--M.M 2008年5月23日 (金) 11:59 (UTC)

【以下、コメント】(なるべく簡潔にお願いいたします)

(コメント)んー、関連項目から説明を除去するのは別に構わないと思うが、節を設けることには反対。理由は各関連項目に詳細説明があるから。戦死の代用語として今思いつくのは、散華、討死、殉教くらいかな。殉教に関しては条件によっては同義語としては適用されないけど。玉砕は戦死の同義語としては微妙。散華の関連項目ならわかるけどね。だから誤解を防ぐために削除。散華の適用は殆ど大戦時の空中戦による戦死においてでしょう。討死は中世日本のみでの適用だし。概要として極めて簡潔に使用法を説明した一文を添えればいいのでは?わざわざ関連項目と重複して同意のことを書く必要はないと思う。--GF 2008年5月18日 (日) 13:35 (UTC)
(コメント日本軍の死体検案書には、戦死、戦傷死、戦病死、自殺等の区別が最初からあるわけですが、それらが軍務上必要とされたのは、恩給法により遺族が遺族年金がもらえるか否かに置いてでしょう。自殺と自決をあえて区別する意味は、検死の項目が自殺では恩給がおりないということです。なお、戦死と戦傷死を混同しているようですが、厳密には違います。戦死は軍人の死であり、軍属や準軍属は同じ場所で同じ作業をしていても戦死ではありません(援護年金制度という別の制度によって、遺族年金や傷害年金が支給されますが)。つまり、戦死は戦没者に辞典の分類では下に区分され、戦傷死、戦病死、自殺等と横に区分されるので、言葉のそれぞれの範囲を考えて組み立てるべきでしょう。結論としては、散華や玉砕や特攻も、社会福祉、恩給法、靖国神社などとともにリンクも関連項目、記事内で当然リンクしてよいものです。ただ記事自体に誤りが見られ、改善の要求が高いでしょう。--KOGARASI 2008年5月19日 (月) 16:22 (UTC)

コメントに関する議論

上記、コメントを受けて記事の編集方針について議論願います。--M.M 2008年5月18日 (日) 13:05 (UTC)

再度コメント依頼を行いましたが、一週間を経過しても上記のお二方以外にコメントがきませんでしたので、このまま待っていてもしょうがありませんし、議論を再開したいと思います。とりあえずはTabunokiさん、夜飛さん、GFさん、KOGARASIさんの4者の意見を踏まえて合意形成を図っていければと思います。--M.M 2008年5月30日 (金) 13:57 (UTC)

KOGANEIKOGARASI氏の意見にほぼ同意です(ただし、関連項目のあり方は上での述べたとおりです)。現状は限られた時代の日本民衆の感覚(yatobi氏のいう戦死という日本語の成り立ち)に特化しすぎなのです。載せるなら世界的な戦史や軍事学上同程度に重要な大項目(記事)とも本文記述やリンクをしてしかるべき、どうしても削る必要があるなら全て削るべきです(私はその必要は無いと思いますが)。そして本文記述リンクが多くなりすぎるのならば小項目に分割して整理するのが一般的で合理的なそして現実的な解決法だと思います--Tabunoki 2008年5月22日 (木) 06:35 (UTC)
    • Tabunokiさん、もう少し意見が集まるのを待ってから議論を始められてはいかがですか? 新たな節を立ててからコメントがあまり集まりませんので、改めてコメント依頼を出してみましょうか? ところで、上のコメンテーターはKOGANEIさんではなくKOGARASIさんですのでお間違えなく。--M.M 2008年5月22日 (木) 11:39 (UTC)

議論打ち切りについて

Tabunoki氏の一年間のブロックによって当事者の片方がいなくなってしまったため議論が進まなくなりました。 よって一旦議論をTabunoki氏のブロック解除まで凍結とするか、もしくは議論自体を現時点で打切りにするか皆様のご判断を仰ぎたいと思います。--GF 2008年6月9日 (月) 12:53 (UTC)

Tabunokiさん側の論点自体は既に要約として示されているため、続行しても良いんじゃないですか?小生としても後付追加概念を次々並べ立てて上に示した論点をひっくり返したり脱線してまでして話を交ぜ返したりするつもりもありませんし。--夜飛/ 2008年6月9日 (月) 13:23 (UTC)
議論再開を宣言してから、放置状態が続いていたので皆さんの関心は別な方へいってしまって、記事:戦死の議論どころではなくなってしまったのかと思いましたが、そうではなかったようですね。さて、GFさんからの議論打ち切り提案ですが、現時点では賛成しかねます。なぜなら、Tabunokiさんが提起された論点以外に、記事の内容に間違いがあるという指摘がありましたので、保護を解除し、記事に手を加える必要があるか否かという議論も必要になってくるのではないかと思います。また、KOGARASIさんから恩給法による定義という新たな論点が提起されましたので、それについても議論の余地ありかと思います。
Tabunokiさんには申し訳ないのですが、Tabunokiさんが復帰されるまで議論を凍結してしまうと記事が中途半端な状態で据え置かれてしまって、あまりよろしくないと思います。少なくとも、今議論に参加していただいている皆さんで、ある程度の方針を決めて、保護状態を解除できるように合意形成を図っていった方がよいでしょう。--M.M 2008年6月9日 (月) 15:59 (UTC)
議論参加している皆さんが続行を希望されるのであれば、私に異論はありません。打ち切りを提案したのはM.Mさんも仰っているように議論が停滞していたからです。ただ、実際のところかなり議論自体が手詰まりに近い形を呈してしまっていますので、例えばKOGARASIさんの言うような、記事の誤りという指摘をどう扱うのか、また、現在のスタイルのままでいいのかなど、議論の方向性はしっかりと決めてから議論を始めないと、また迷走してしまうような危惧は若干あるのですが、皆さんの意見は如何でしょう?とりあえず議論の論点だけでもきっちり明確に整理しませんか?--GF 2008年6月11日 (水) 12:19 (UTC)
恩給法関連に関しては概要の下部などに節を設けるなどの形で、国家が個人を動員した結果として戦死した場合にその死を補償するという側面にも言及しても良いかもしれない…とは個人的に思っているのですが、誤り云々に関してはKOGARASIさんがまだ具体的な指摘をされていないので、さしあたり別件として進めた上で、KOGARASIさんが改めて箇条書きなどで各々の「誤りと考える場所」を示されるのを待ってからで遅くないと思います。人間はタコじゃないので、なんでもいっぺんに進めようとするとこけるです(漏電中:「一つづつ片付けたほうがいい」という意味)。--夜飛/ 2008年6月11日 (水) 13:05 (UTC)
そうですね。とりあえず、最初の論点だけでも片をつけてしまいましょうか。
Tabunokiさんと夜飛さんは、ともに玉砕および散華の語を記事中に載せることには同意しておられますので、掲載方法が問題となると思います(当初、Tabunokiさんはこれらの比喩表現はいらないと主張していましたが、その後方針転換をして、載せるのであれば他にももっと載せなければならないものがあるという主張に変わっています)。
1.本文中に玉砕と散華を載せるか、それとも関連項目に載せるか(いずれか一方に載せればOK)。
2.本文に載せる場合は、節を設けて説明をするか否か。
3.関連項目に載せる場合は、用語に説明を付するか否か。
4.諸外国の戦死の概念を逐一取り上げる必要があるか否か。
上記4点が今回のTabunoki-夜飛論争の焦点だと私は理解しています。さて、この4点について私の見解を述べておきたいと思います。1についてはどちらでもよいが、本文中に載せる方が望ましいといったところです。本文中の適切なところに「日本では、戦時中に戦死を美化して玉砕・散華などの語が代替表現として用いられた」という程度の記述を載せる程度でいいと思います。2については必要ないと思います。あくまで戦死の代替表現として用いられていたものですし、玉砕散華それぞれの記事に詳細が載っていますからね。そちらを参照すればよいということです(そのためのリンクですからね)。3については必要ないと思います。一部の語にだけ説明を付すのはちょっと変ですしね。例えば、記事:キリスト教の関連項目の表示のように、リンク先を項目別に分類して分かりやすくするというのも手です(さすが秀逸な記事に選ばれるだけあって、分かりやすい構成になっています)。4については必要に応じて載せればよいと思いますので、ここで確定させる必要はないのではないでしょうか? ただ、Tabunokiさんは殉教英雄などの戦闘によって死ぬこととは異なる概念も載せるべきだと主張されているので、そういったものは切り離すべきでしょう(風呂敷を広げすぎですね)。
以上の点については、皆さんはどうお考えですか? --M.M 2008年6月11日 (水) 13:30 (UTC)

保護解除の提案

この記事は2008年4月20日より、関連項目をめぐっての編集合戦により無期限保護[3]されていますが、編集合戦の片方の当事者が2008年5月7日に2ヶ月ブロックされ、その後活動を止めておられるようです。という訳で、ひとまずは原因が消えたと見なして保護解除しませんか。

特に異論がなければ、タイミングを見て保護解除を依頼します。--Tatsujin28 2008年9月14日 (日) 16:30 (UTC)

  • (コメント)もう一方の懸念案件であるTabunokiさんがソックパペット使用疑いでブロック期間リセット(2008年7月8日)という状態にあり「再び彼がソックパペットを汎用すれば自らの首を絞める結果になる」可能性が悩ましく、またそうなった場合に「Wikipediaへの接し方の改善を期待して有限ブロックを申請した側」である小生としても、彼が拠り良い参加者となって帰ってくることに対する期待を踏みにじられた気分に襲われそう…などと要らん想像をしてしまったりもしますが、それは別件として(パターナリズム的な何かを発揮して彼が余計な誘惑に負ける事態にならないよう気を回しておくのは小生や百科事典の仕事ではないし)、編集合戦と保護に陥った顛末のもう一方の当事者として、保護解除の可否とタイミングの判断は他の皆様にお任せします。小生としては反対する所存ではありません。--夜飛/ 2008年9月15日 (月) 09:14 (UTC)


兵器の殺傷力と負傷

本記事で書かれている「現代の兵器は敵を殺傷より負傷させる事を狙う」という戦略が明確に見て取れるのは対人地雷などに限らていると思います。兵器全体に普遍的に見られる現象ではありません。戦場で直接交戦する場合には、こちらの命がかかっていますので確実に相手の攻撃能力を奪う殺傷力、いわゆる「ストッピングパワー」が重視され続けています。(地雷ならば敵が踏むだけですから関係ありません。負傷させるだけで十分です)たしかに、負傷させる事で相手に介護の負担を強いれるのだから、必ずしも殺害する必要はないという認識はよく共有されるようになりましたが、兵器の全体的な発達史とはあまり関係ないと言わざるを得ません。編集で6.5mm小銃弾の殺傷力不足を、負傷を狙ったものと説明された実例を挙げましたが、結局は殺傷力の高い7.7mm弾に更新されました。これは限られた例外では決してなく、戦後の小口径小銃弾(M16の5.56mm弾など)でも同じ現象が見て取れます。(中長距離での)威力不足が問題になったため、弾丸内に空洞を殺傷力を向上させる改良が続けられています(例えば弾丸内に空洞を設けてダンブリングを起きやすくする)

ついでに本記事では強力な兵器が総力戦を生んだとの解説がなされていたことについて説明します。
たしかに強力な兵器が死傷者の激増をもたらした一面があることが確かなのです。とくに機関銃の登場は戦線の膠着化に決定的な役割を果たしました。しかしながら、強固な防衛線をなんとか突破するために毒ガスや戦車、航空機などが戦争に投入されていった経緯を見れば、実際には簡単に決着が付かなくなったらから、強力な兵器が次々と開発された、というのが実情にあっています。つまり順序が逆なのです。
背景にあるのは、鉄道網と電信が完備された事です。ロジスティクス(戦略的な兵站)の革命が起こったのですね。これにより前線の戦場で局地的な勝利を収めても、すぐに敵の増援部隊が送り込まれてきて決定的な勝利に結びつかない、そういう現象がすでに南北戦争で起こっており、第一次大戦で決定的なものになったのです。すなわち何度かの会戦の勝敗が決まる時代は終わり、何ヶ月何年も延々と戦争が続く総力戦の時代となったのです。
すでに機関銃が運用されていた日露戦争が、お互いの兵站不足からすんでのところで膠着化しなかった事を考えると、兵器の威力向上が総力戦に直結したとするのは少々短絡的ではないかと思いました。実際、第一次大戦時に機関銃と並んで猛威を発揮した榴弾、そして毒ガスは兵を殺すよりも負傷させる兵器でした。そして、敵軍に負傷兵を大量に発生させ負担を強いた歴史的な事実があります。 --Littlefox 2010年12月14日 (火) 12:38 (UTC)


取り急ぎコメント。本文側は「第二次世界大戦以降の戦闘」で負傷させることを重視しているとを述べているのであり、兵器そのものというよりも兵器の運用思想のほうの話でしょう(この辺りは参考書籍にも挙げた『新・戦争のテクノロジー』に拠っていますが)。また、あなたの御説は幾つかの話を合成しすぎています(記事の側に反映させ難い)。第二次大戦後の小口径小銃弾は主に扱いやすさを求めてのもので、威力を求めて高速小口径化というのを聞き及んでおりますので、単に小口径化を非殺と短絡するのもどうかと思い編集対応いたしました。なお「本記事では強力な兵器が総力戦を生んだとの解説がなされていた」というのは何処から出た視点ですか。文章の並びからして「総力戦まずありき、故に兵器強力化」でしょう。まあもっとも、兵站(輸送)や通信の発達が膠着状態を長期化させやすくなった一端にあるというのは異論がありませんが、更にいえば政治的決着で収まり付けられなくなっていた(大戦景気を期待した産業界・軍事主導などの要素)といった様々な事情も絡みますので、その辺りは一々本項で書き綴らなくても総力戦の項に誘導すれば済むだけの話だとおもいます。とはいえ、ちょっと想う処もあるので、今日の夜にでももう少し見直します。--夜飛/ 2010年12月14日 (火) 23:39 (UTC)
ご負担をおかけしてしまって、もうしわけない。たしかにこだわりすぎなきらいがありますので、yatobiさんの編集でひとまず確定でかまいません。しかしトレンチナイフでも表現が問題になった事からすると「新・戦争のテクノロジー」は大げさな表現が好きな書籍のようですね。機会があったらどんな本かよませていただきます。--Littlefox 2010年12月15日 (水) 08:33 (UTC)
『新・戦争のテクノロジー』は「大げさ」というよりも、読み物としても楽しませるよう構成されているという側面もありますが、兵器マニア視点のストラジーゲーム的な「アメリカ軍(の装備)とイギリス軍(の装備)が戦ったらどうなるか」なんていうものではなく、戦争を集団力学的な現象として捉えたり、軍事を経営の視点から捉えたりなど、より多角的な視点に拠っているため、まあ温い小生としては「『新・戦争のテクノロジー』にはこんな面白げな表現があるから、読めばもっと理解が出来るだろうし読んでみれば?」という意味で引用したところもありますが、実際には興味深いデータがテーマごとに充実していることもあり、そのデータやその解釈自体は客観性に立つものであって、本来であれば「大げさな表現が大好き(かも?)」なんていう評価をするのもどうかと思います。まあなにはともあれ(ちょっと高めの書籍ですが)腰をすえてお読みいただければ幸いです。なおちょっと思う箇所は主に追記の形で加えておきます。--夜飛/ 2010年12月15日 (水) 09:27 (UTC)
調べたところ軍事マニアの間でも評判いい本みたいです。冷戦時代の本なのでやや古典になりつつありますが、資料にはなりそうです。古本を探したらで毀損本が安く出品されていたので注文しました。次からは出典に目を通してから編集ができると思います--Littlefox 2010年12月15日 (水) 10:06 (UTC)
入手しましたが、そこまで持ち上げるような本ではありませんでした。あたり前のことですが、これ一冊読めば軍事のことが何でも分かるなんて本はありません。特にこの本は冷戦末期の事情に限定して詳しく書かれた本であって、他の時代のことを語る出典としては不適当です。また、軍事技術全体を総記するという性質上、細部は端折った書き方になっています。複数の本を読み比べる事をおすすめします(これは一般向けの文芸書などを読むという意味ではなく、時代やテーマに沿った専門書を読み比べるという意味です。)--Littlefox 2011年3月20日 (日) 08:39 (UTC)
小生の発言の肝は、自身の関心のある事柄・幾つかの情報を合成した解釈(WP:NOR)を滔々と記事で述べようとするなということです。Littlefoxさんの放り込んだ文章や概念を記事に組み込む段階で散漫化していますが、記事の主体は「戦死させるよりも(戦闘不能な)負傷させたほうが戦争の目的の上では効率的」という側面です。っていうか、歩兵銃云々に関して言及した箇所は本当に余事っぽいので除去したほうがいいように思えてきました。--夜飛/ 2011年3月20日 (日) 10:01 (UTC)

表現問題について

まず全滅という表現について。これは詳しい人でも混乱の元となる言葉で、できるだけ避けるのが正しいと思います。部隊単位での全滅というのは一時的に戦闘力を喪失した状態のことを言うのであって、たとえ負傷者や遺体を残らず収容して撤退したとしても、その部隊が戦闘できない状態に陥ってしまったとしたらそれは全滅判定です。負傷者や遺体を後送するために人手やリソースが取られて全滅判定となるといえば、本文の使い方と相反する事が分かりやすいでしょうか。本文では全員死んだから後送する人がいないという使い方になっています。普通、部隊が機能しないほどの損害を受けたら壊滅という表現を使い、ほとんどが死傷するような状態を殲滅といいます。一般には玉砕のほうが通りがいいです。 次に節移動の問題。私は遺体の扱いは独立した節で語ったほうが混乱を与えないと思います。そもそも「第二次大戦当時の日本軍将兵の遺骨は、今なお相当数が戦地から還っていない」という文章を私が書いたのは日本軍の非人道性を訴えたいからでは無く、遺体を遺棄せざるを得ない実例として書いたのです。それがyatoiさんの加筆は上層部の功績のために兵が使い捨てられるという文脈になってしまっています。将に取って兵が駒であるという側面は確かにありますし、当時は一銭五厘と揶揄されるように現代より戦死に対する許容度が低かったのは否定しません。それはまた別の文で説明していただきたいものです。 他にもいろいろ言いたいことはありますが、トレンチナイフの編集での姿勢を鑑みるとあまり協力的な姿勢はとっていただけそうもないのでさしあたって、この2点を挙げました--Littlefox 2011年3月20日 (日) 08:39 (UTC)

国語辞典の語義を重視しましょう。自称「詳しい人」の意識の上で語がどのようなニュアンスを持っているかは、どうでもいいことです。なおLittlefoxさんが「書いた」と主張されている日本軍関連ですが、この編集のことですか?申し訳ありませんが、日本軍将兵の遺骨(また米海軍アリゾナの乗務員のそれも)がいまだ未回収なことに言及したのは小生の編集であり、それは日本軍の姿勢云々という以前の、戦争という状況の悲惨さ(遺体を遺棄せざるを得ない状況)に言及したものであり、いわんや日本軍限定で書き綴ることは脱線的な「自身に内在する価値観を記事に反映しようとして偏った記述に邁進する」かのような行為といえましょう。「一将功なりて万骨枯る」の「一将」に注意が向かってしまった…というより、そこでまた意識が停滞してしまっているようですが、その文脈の肝は「戦時においては(本来個人に対する敬意を持って扱われる)遺体もしばしば遺棄され省みられることもない」という部分であり、上層部が功を焦って人命軽視に走るかのような解釈をするのは、まったくもって曲解といわざるを得ません。Littlefoxさんが読者の視点で記事をどう解釈しようと、それはLittlefoxさんの勝手というものですが、記事に手を出そうというなら、それは過去記事に関わってきた全ての利用者さんたちに対して、品質を維持するという責任を負うものであり、その意識もなくおかしな解釈を振り回そうとするのは、迷惑以外の何物でもありません。--夜飛/ 2011年3月20日 (日) 09:15 (UTC)
いえこれです。いま確認したら無記名編集だったので著作人格権的なことを言うのはやめます。私が言いたかったので説明も無しに文章をつなげてしまうと現地の土とするしか無かった古代と、原則として遺骨を持ち帰っていた近代日本における兵士(遺体)の扱いが変わらなかったごとく読めてしまいます。「一将功なりて万骨枯る」という言葉は将の功績の影で多くの兵士が犠牲になっているという意味で詠まれた言葉ですし、一般にもその意味で使われる事が多いでしょう。私の個人の曲解だと決めつけててよいのでしょうか?。おっしゃるとおり、日本軍の事情を書きすぎるとその節で何を言いたいのかが分かりにくなってしまうので、遺体の扱いの節に移したしだいです(今思えばはじめからそちらに書けば良かったのですが)。そして全滅の問題。国語辞典的な意味にしたところで残らず無くなるとしか書かれていません。私が行ってるのは「部隊の構成員が残らず死んだ」のか「残らず組織的な戦闘力を喪失したのか」どちらの意味で書かれているのか判断に困るという意味です。どちらも国語辞典的な意味では間違っていませんが本文では明らかに前者の意味(生き残りがいないので遺体を持ち帰る人がいない)なのですから、どちらか判断にこまる表現は避けるべきです。逆になぜ避けてはいけないのか、わざわざ誤読の可能性のある表現を残さないといけないのか不思議でなりません。落としどころとして、軍事的な全滅の定義について出典をつけるので壊滅に改めることを提案します。壊滅という言葉は十分に一般に通用している言葉ですから問題ないでしょう。--Littlefox 2011年3月20日 (日) 17:04 (UTC)
石や土は何も古代の話ではなかったと思いますが、まあどうでもいいでしょう。「一将功成りて万骨枯る」に関しては、前後の文脈を無視して「一将」で思考停止するのはLittlefoxさんの勝手ですが、それで想像逞しくして記事を弄ろうとするのは止めてください、迷惑です。「全滅」にしたってそう。国語辞典的な意味に勝手に独自解釈を重ねているだけで、Littlefoxさんの感覚などは関係ありません。Littlefoxさんが空想逞しく誤読しているだけでしょう。まあ別に「壊滅」(組織・集団が致命的な状態になってるニュアンスもあるし)でも構いませんが、どうも「全滅」と比較しても語義が緩く、今一。ともあれ、それこそ辞書にも拠らない自身の勝手な解釈で言葉を弄るのはやめてもらいたい。--夜飛/ 2011年3月20日 (日) 22:15 (UTC)
なお日本軍の例とアリゾナの例を並べて(規模こそ段違いだが)第二次大戦当時であってすら遺体が回収されないこともあったことを述べた記述を、それこそ日本軍批判のような形にしてしまったのはLittlefoxさんご自身(無記名IP編集)だったんですね(嘆息)。水葬の話を挿入してしまったので件の箇所全体が散漫化しましたが、どうも説明の主体が余事(周辺事象)に場所を取られすぎている感があり、整理を考えますが、かき回しといて自分が誤解していれば世話ないです。--夜飛/ 2011年3月20日 (日) 22:27 (UTC)
一般に損耗3割で全滅、損耗5割で壊滅、損耗10割で殲滅(玉砕)などと言います(yatobiさんの考えてる意味だと殲滅が近いと思いますが、遺体を後送する余裕が無いという意味ならば壊滅でもいいです)。これとて部隊規模や時代によって異なってくるので難しいのです、だから私は記事を書くようなときはできるだけ避けることにしています。さて次に海軍関連についての返答です。正直、yatobiさんがアリゾナにこだわる理由が未だにわかりませんが(有名だから?、モニュメントとしてなら国立慰霊施設などと並べて記述した方が良いのではないかと)、遺体の扱いについて記述しているのに、陸軍と海軍(というより船上)では遺体の扱いが全く異なる事を触れないというのは考えられないことです。本来なら一小節を設けるべき題材ですよ。--Littlefox 2011年3月21日 (月) 00:15 (UTC)
注釈が無ければ辞書的定義からすら食い違い意味が通じないような用語を使う必然性は見出せませんねえ…こと「戦死」のような広い概念では。まあそんなに日本軍限定で書きたければ「日本軍における戦死」とかなんとか別項作ってやってればいいような気がしますね。ところで昼間つらつら思ってたんだが、まさかLittlefoxさんは曹松の詩を「将が功を積むのには否定も肯定も無く、ただ戦場に骸を晒す兵の哀れさを詠んだもの」とは別の、また件の英慣用句でも「目的達成の上で犠牲が出ることを肯定しつつ、犠牲を厭うようでは成功もおぼつかないことを示唆するもの」とは違う意味で解釈してるんじゃなかろうかと思ったり。ちなみにアリゾナに言及するのは太平洋戦線で両陣営に分かれて戦った、片や戦勝国・片や敗戦国という立場を超えて「状況次第では遺体未回収」という同じような結果が存在することをまず説明の枕として据えているのです(それだけに海軍式水葬がどうとか言うのは件の箇所では邪魔なだけ)。
まあどうも一連のやり取りを通してLittlefoxさんの文章理解力に奇妙なバイアスが見出せ、意図してやってるんだとしたら「曲解だがナチュラルな感じで議論攪乱する目的に最適」と評する一方で、もし意識できずやっているとすれば「傍迷惑なので読解力を付けるか記事に関わるのをやめて欲しい」と述べさせて頂くところです。ともあれ小生はLittlefoxさんに何も期待しませんので、記事の趣旨を鑑みず余事脱線を混ぜ込むようなら、以前なら追記箇所の趣旨を汲んで可能な限り記事に織り込むことをしてきましたが、今後は邪魔であればさっさと見切りをつけて、脇にのけたり取り除いたりすることも吝かではありませんのであしからず。--夜飛/ 2011年3月21日 (月) 09:01 (UTC)
>注釈が無ければ辞書的定義から~気がしますね。
これは、慣用句を説明する節と日本軍人の遺骨の処理の話とアリゾナの話を別の節で説明しようということに同意していただけた考えれば、嬉しいのでしょうが、言葉じりからして違うのでしょうね)。私としてもyatobiさんの美的感覚に合わせてあげたいのは山々ですが、百科事典である以上、客観的な事実を正確に伝えることを重視して編集していきます。yatobiさんがどれだけ「俺の感覚が正しい」と主張しても、それは客観的なものとはいえないのです。もちろん私の感覚についても同様ですので、必然的に誤読の可能性だけは排除しつつ両論併記とならざるを得ないです。冗長になりがちですが、それがwikipediaのように多人数の人間が筆を入れる媒体に必然のなのでしょう。
>「状況次第では遺体未回収」
状況次第でもなんでもなく、海戦での死者は原則未回収です(現代でも)。特別な理由がある場合のみに回収されます。どちらにせよ、そこは書かなくてはバランスが取れない部分ですので部分ですので船上での遺体の扱いについては節を分けて加筆いたします。アリゾナについて書きたいならばそちらにまとめて書くのが適当でしょう。船上の遺体の扱いについて記述するべきでない合理的かつ客観的な理由があればおっしゃってください。
なんいせよyatobiさんの日本語能力が高いのはわかりましたから、必要のないところで誇示しようとするのはやめてください。どんなに頭のいい人でも知らない事は知らないのです。放言については大目に見ていますが、他人の目にどう映るかを考えるべきですね--Littlefox 2011年3月21日 (月) 13:03 (UTC)
コメント「長年、本を多読したり軍事趣味の人達と議論を通して取捨選択してきた知識です。」とか発言されている時点で、ウィキペディアには相応しくない執筆者だと思うんですけど、他人の目にどう映るかを考えるべきですね。はっきりいって傍迷惑です。--125.30.24.168 2011年3月21日 (月) 13:49 (UTC)
(>Littlefoxさん2011年3月21日13:03 (UTC)分へ)曲解著しい…曹松の詩や英語慣用句は、戦死という死の状況を古代中国や近世の例を示唆したものであり、日本軍のそれやアリゾナの例は現代に連なる近代化された戦争形態におけるそれへの言及であり、それらは連続している一連の説明だということが何故読み取れないのか。現時点での小生の感覚を有体にいうと「(嘆息交じりに)もはやアメージングだ」です。そしてその「アメージングぶり」はウィキペディア以外(例えば個人設置のブログなど)で発揮されたほうが宜しいだろうと考える次第です。海軍における水葬への言及は、戦死という事象において軍事組織の分野別に見る遺体の取り扱いについての言及として、どこかしかで言及されるべき事柄でしょう。しかしそれは、冒頭概要部で要約的に書かれた箇所に無造作に放り込むのではなく、別枠として記述すべき事柄であり、まず「戦争(戦闘)で死亡すること」という語の前提を説明してからでなければ入れない話です。件の冒頭箇所は、全般的な話から入っているのに、そこで説明を断絶させてまでして挿入しようというのは、説明の放棄でしかありません…こんなことを説明しなければならない時点で、Littlefoxさんは百科事典というものを、いわんや総体的な説明というものを理解されているのかという根源的なことすら疑わしく思いますし、それだけに再三苦言を呈して現状に至っていることを鑑みるに、これ以上Littlefoxさんの特殊性(敢えてこれ以上の表現は使わないが)に煩わされたくないと考え、そのためであれば余事脱線箇所の排除も吝かでないと述べる次第です。
なんというかな、本来ここでなくLittlefoxさんの会話ページでLittlefoxさんに対する苦言として申し上げることだとは思うが、Littlefoxさんの記事に対する態度は、万人向けの百科事典的説明としてではなく、他者の会話中に自分の得意分野ネタが出てきたのを聞き付け会話に割ってはいるオタクのように、知りうる限りの自分の知識を未整理かつ会話の前後関係もお構い無しに滔々と喋り始めて止まらないかのようなものであり、下手をすれば会話をしている側が「もういい、黙れ」と言っているのに「ここからが面白いんだ」と自分の発言を続けようとしているようなものではないのか?と感じます。
まあLittlefoxさんは戦史関係に素養がありそうな感もありますのでオタク扱いというのも語弊があるかもしれませんし、日本軍には日本軍の事情が、海軍には海軍の事情があるというお説は至極その通りでしょう。しかしそれを冒頭に書き綴って、何の益があるでしょうか。いわんや、ある分野の、そのほんの一部を例示としてではなく、論として全体のバランスを鑑みずに放り込むことは、邪魔でしかありません。
なお海軍における遺体の取り扱いついて書き綴りたければ、海軍における水葬とでも表題をつけて記事にしたほうが宜しいでしょう。そうすれば、(混乱した未整理の内容を放置したり独自研究化しない限り)Littlefoxさんの知りうる限りの事例を書き連ねても、他の記事の邪魔にはなりません。--夜飛/ 2011年3月21日 (月) 14:44 (UTC)
正確に言うと慣用句は慣用句で独立して節を作ったほうが良いということです。それは文化して特筆する価値があると思うこと自体は反対しないし、むしろソレを主役にした節としたほうが良いでしょう。導入部はまた別に用意しましょう。漢詩や英文を提示されて「おお読みやすい」と思う人はあまりしません(こういうひけらかしは教養があるなぁとは思われるでしょうね。ただ、ここは私たちの自慰の場ではないのです)yatobiさんの考える美しい文章は分からなくもないですし、短い文章にいろいろ詰め込みたいコラムなどでよく見られる手法だなぁとは思ってましたよ。特に第二次大戦の戦死についてピックアップして、読者の関心を向けさせたいときなどには有効でしょう。ただwikiepediaは百科事典であり、これは戦死の項目なのですからそれぞれの事実について詳説する事が許されていて、むしろ事実や出典を列挙して補強していくべきでしょう。私は分かりやすく正確な文章を書くことにしていて、美しい文章を書くというのは放棄しています。他人に加筆されて成長していく様を楽しむぐらいでないとwikipediaの編集はストレスが溜まってできませんよ。yatobiさんも相手を貶してささやかなストレス解消をする前にもう少し心の余裕をもってください。--Littlefox 2011年3月22日 (火) 12:17 (UTC)
戦死に関する慣用句が数多ある・それが既に記事の中で無視できない羅列に陥っているなら、その主張も意味があるでしょう。ただし、冒頭部に書いたのは「戦死という死の形態」を示唆する一例として述べたものであり、全般的な説明の一部とするためです。というか、説明をするというテーマにおいて概要が設けられている意味を理解してください。読者の関心を惹くことに、何の問題がありますか?説明とは元来そういうものでしょう。百科事典の記事は、須らく一般に、軍事マニア向けの軍事的な読み物ではなく一般向けの知識となるべくまとめるべきものでしょう。「記事の成長」とはいいますが、Littlefoxさんの余事記述挿入は、それこそ腫瘍のようなもので、そんなのが幾ら膨れ上がっても「楽しめ」ませんね。
しかしもはや小生はLittlefoxさんに何の期待もしませんので、理解できないのであれば理解しなくて構いません。Littlefoxさんは日本軍における戦死海軍における水葬でも新規に興していればいいのです。そういう専門的記事であれば、いくらでも専門的分野に踏み込んで構いません。もちろん、それらはちゃんと記事としてまとまっている必要がありますがね。
とはいえ本項は、ただ戦死全般を説明するためだけのものだということだけは踏まえてください。--夜飛/ 2011年3月22日 (火) 12:50 (UTC)
戦死が軍事的な項目ではなく一般向けの項目だというのはyatobiさんの独自定義であって、それが多数派を占めているような根拠は何もありません。(言うまでもなくここでいう一般的とは「俺の感覚」ではなく、一般的な予備知識で内容を概ね理解できるかどうかです。)導入部は極力一般向けに書いたほうがいいというのは間違いないですしそう努力しているつもりです。しかしながら漢詩や英文の慣用表現が、すべての人にまず読ませる必要のある要素、冒頭部にドンと配置される事については大いに疑問を感じるところです。別に削除しろとは言っていません。こういう慣用表現があるんだよーって項目を作ってきちんと解説すれば良い話です。なお海戦の死者について語るのは一般的でないというyatobiさんの主張は「一般的感覚(俺の感覚)」の最たるものであり、同意は得れないでしょう。海行かばがまず海行かば 水漬く屍と詠むように、山行かば 草生す屍と並んで人々がよく知る戦死の姿です。--Littlefox 2011年3月22日 (火) 13:22 (UTC)
国語辞典にすら載っている語を一般語ではなく軍事用語限定で扱うほうが「どうかしている」と思いますね。それ以前に百科事典(=ウィキペディア:WP:POL参照)は、軍事事典じゃないんですよ(→WP:NOT)。前提として読者は「須らく一般の」であり、まま専門分野(それこそ専門書を紐解かなければお目に掛かれないような専門用語を主題に据えたもの)の記事では「余り一般向けじゃない」こともありますが、それら(専門分野)も実際は俗なことに連なっていく…情報単位としての専門用語も、その実で突き詰めていけば通俗的な説明が出来…ああいや脱線。ともあれ、現代においてなお戦死という形で死別した誰かを見知っている人が存命している・少なくとも戦死者に関わりのある側(遺族の家族など)が広く存在する訳ですから、それは大衆の日常に全く関わり無い専門分野とみなすほうが無茶でしょう。主張のために現実を無視しちゃあいけませんな。--夜飛/ 2011年3月22日 (火) 13:38 (UTC)
「一般用用語と軍事用語で意味が変わってしまう全滅より、どちらでも同じような意味になる壊滅・殲滅・玉砕のほうが好ましい(あえて全滅を使う必要性がない)」この論理自体は普遍的に通用する物のはずで、今更蒸し返されるような話ではありません。さて、どちらの感覚が一般的かというのは主観を言い合っても水掛け論にしかなりません。そこまで自分の感覚に自信がおありなら第三者の意見を募って見られてはいかがですか、興味がないわけでもないので協力しますよ「戦死は軍事的な項目か、日常に関わり深い非専門的な項目か」「海軍の戦死は、マニアックな形態の戦死だと思うか否か」「戦死の記事の中の語句で、軍事用語が使われる可能性があるか否か」「漢詩や英文は戦死の全体像を追う上でまず知っておく必要があるか否か」。いやあ、どんな結果になるか楽しみですね。なんなら私が呼びかけてあげてもいいですよ--Littlefox 2011年3月22日 (火) 14:42 (UTC)
(インデント戻し)まったく…その「壊滅・殲滅・玉砕」で一度でも辞書(国語辞典)を引いたことがあるのか・そこに書いてあったことを理解したのかを疑いたくなるような嘆かわしい発言です。また(今更的で本当に言いかないが)「相手の感覚が間違ってる(偏ってる)」なんていう理屈は、客観的な論拠が無ければ自身にも同じことが言えてしまう鏡対象の問題提起に過ぎず、相手を批判する目的では「自分が正義で相手が悪だ」なんて子供のような価値観の上以外では恥ずかしくて使えませんよ…分別ある大人なら、客観的事実として外部に論拠を求め論拠を求めるところですな。っていうか、なにその「マニアックな形態の戦死」って(何処から沸いて出たんだか…サブカルチャー分野には戦死マニアとかいうジャンルでもあるのか?)。まあ、こんな問題で第三者を煩わせるのも心苦しくはありますが、Littlefoxさんは小生の発言では納得されないでしょうから、コメント依頼しておきましょう…Littlefoxさん個人の態度に対する見解はWikipedia:コメント依頼/Littlefoxのほうでやったほうがいいかもしれないが。--夜飛/ 2011年3月22日 (火) 22:10 (UTC)
私だって重箱の隅をつつくような事は言いたくないんですよ。些細な問題に過ぎないし、普通に書き換えて終わりたかった。でもyatobiさんが私の編集を必要のないといって差し戻しつづけてる為に発生している一連の問題の一つだとご理解ください。俺の文章に手をつけるな、ここは俺の砂場だって気持ちは分からなくも無いですが、wikipediaは果たしてそういう場所なのでしょうかね。なお「マニアックな形態の戦死」というのはyatobiさんは海軍の戦死者が水葬にふされることは概要に書くのがふさわしくないとおっしゃる事についてです。私はかなり普遍的な形態の戦死であって、概要に盛り込むのが当然だと思っています。戦艦アリゾナの遺体が回収されなていない事よりよっぽど特筆性に値すると思いますがね。よしんばアリゾナの遺体に言及するにしても、海軍では遺体をどう扱うのかという事を、書いてからでも遅くないでしょう。はっきり言えば沈没艦の死者は母艦と共に沈みつづけるのが当たり前で、それは古代から現代まで何ら変りないのであり、アリゾナの名前を出す必要すら疑わしいのです(真珠湾攻撃の記念碑としての価値はあるとおもいますが)。--Littlefox
重箱の隅っていうか、Littlefoxさんの突付いてたのはもっと別のものなんじゃないかなあ…とか思いますが、まあそれはそれ。それはともあれ…なんていうかな、Littlefoxさんは現在、酒でも入ってますか?だいぶ彼是小生のことを空想しているようですが、それが一体傍目にどういう風に見えるのかを理解できていたら、投稿ボタンをクリックする前にブラウザ閉じるところかと思います。またアリゾナ関係で書いてますが、現状の脚注以上の記述が果たして必要ですかね。
ところでLittlefoxさんにとっては記事は砂場だそうですが、砂遊びはHelp:サンドボックスを読んだ上で、Wikipedia:サンドボックスでお願いしますね。通常名前空間にある記事全般は、ウィキペディアは百科事典だという前提の元、読者に知識と理解を提供するものですので。
なお現在コメント依頼提出済みですので、現状でコメントすべき対象を無闇に増やさないために、小生はいったん静観に入ります。Littlefoxさんがどうすべきかには(何にも期待してませんから)注文は付けませんが、幾ら演説しても○○と静観する場合がありますので、ご了承ください。--夜飛/ 2011年3月23日 (水) 11:15 (UTC)

コメント横から失礼します。Wikipedia:コメント依頼#合_2011年3月より来ました。当節をざっと拝見しましたが、論点は「全滅」または「壊滅・殲滅・玉砕」の表記(使い分け?)で良いのでしょうか?以下は第三者としてのコメントです。(1) ノートは執筆に関して議論をする場所なので、「○○箇所の記述は現在○○ですが、○○の方が適切と思います。理由は○○だからで、出典は○○、なお他の記事でも○○です」などとお互い具体的に書きませんか?失礼ながら、相手の姿勢を論じ合っている比率が高く、何が論点か第三者には判りにくくなっていると思います。(2) 話の経緯が理解できていませんが、現在の記事では「全滅」は「概要」の「日本では第二次世界大戦中、所属部隊が全滅とされ関係者が遺体の無いまま戦死したとみなし」の箇所にしか存在しません。この箇所の「全滅」が議論の対象でしょうか?この文に限れば「全員戦死」または「全戦闘能力喪失(なほどの壊滅的状態)」のいずれで解釈しても大差ないと思うので、何故議論になるのか不可解です。誤解防止であれば単に「全滅(特に全員戦死の場合)」などの表記ではいけないのでしょうか? (3) 正確性は別として世間的な用法としては「全滅」[4]、「壊滅」[5]、「殲滅」[6]、「玉砕」[7]のようです。いずれも「戦死率」は不明確です。特に「玉砕」は特定の価値観を込めた用語で、「全滅」または「全員戦死」の代わりになるとは思えません。仮に「殲滅は戦死100%の事」との定義があれば、その出典と注釈が必要と思います(ウィキペディアは一般向け百科事典なので)。--Rabit gti 2011年3月23日 (水) 15:37 (UTC)

ご意見大変にありがとうございます。おっしゃるとおり玉砕は殲滅を美しく言い換えた言葉(ダブル・スピーク)です。味方が殲滅されたなんて言いたくないですからね。私は中立的な立場をとっているのでどちらでもいいです(通りがいいのが玉砕というだけ)で。なお、「全滅」と「全員戦死」どちらかが適しているか言えば圧倒的に後者を推しますし、もう本文をこれにしちゃっても構わないと思います(こだわるなら全員死傷がいいと思いますが、これは戦死の記事ですから全員戦死の方が良いかもしれません)。よく良く考えてみると重要なのは遺体を持ち帰るべき生存者がいないことですので、たとえば生存者が全滅ならおかしくないと思います。部隊が全滅と書くから部隊統制上の用語と紛らわしいわけです。私も問題点が整理できてうれしいです。ありがとうございました。本来ならこういう細かい推敲は個人の中で完結してしまった方が良いわけで他人の手を煩わせるのは申し訳ないのですが、yatobiさんが書き換えを許してくれないので苦慮していました--Littlefox 2011年3月23日 (水) 16:47 (UTC)
(>Rabit gtiさん)コメントありがとうございます。争点が判りにくく、申し訳ありません。Littlefoxさんが主張されている「表現問題」と称するもののうち一つがその
  • 「全滅/全滅・壊滅・殲滅」
という表現上のもののようです。公平性のために申し上げると、当初はあともう一箇所「全滅」という表現を使っていたのですが、この発言と平行して小生が氏の意向に若干配慮する形で書き換えてあります…が、ちょっと文章が微妙な感じになってしまいました。それ以外の氏の主張は主に
  • 概要部に漢詩や英語慣用句が書いてあることが納得できない
  • 日本軍や海軍の例について仔細に書きたい
  • 戦艦アリゾナを例示してあるのが納得できない
ということのようですが、どうも要領得ない主張であるため、当方でも見落としあるかもしれません。あとは、どうも話を聞いていると
  • 軍事の専門的視野(氏の視点)から記事を書きたい
ということもあるようです。小生としてはそれらの主張に対し
  • 国語辞典的解釈で十分じゃないか(一般の読者が読むための百科事典なんだし)
  • それらは引用の形で説明の一部として組み込んであるだけ
  • それらは全体の末にあたる部分なので概要部に長々と書くことじゃない(全般的な説明から脱線する)
  • それらは第二次大戦当時の日米という対照的な2グループを例示して説明しているだけ
  • 出所不祥な自称詳しい人視点は止めてくれ
といったところでしょうか。
なお今回の問題は、(まま小生の編集分野の一つが重なるため度々チェックリストに引っかかってくる)Littlefoxさんの諸々の行動を問題視して、氏の利用者会話ページに2010年4月ごろから呼び掛け継続と書き込み箇所の調整などを行ってきたのですが、事態は進展するどころか後退の様相すら呈しているため、氏を見限って氏が愛着するトレンチナイフの項は放棄、それ以外のチェックリストに引っかかった問題(冗長で説明を断絶させる余事挿入)著しい編集を(当初は既存記述への折込や調整などで対応していましたが)差し戻したことが発端となっており、氏の主張が今ひとつ絞られていないのも、差し戻された先の既存文章に対する反発的なものがあるのかもしれません。にしても、小生がそれら各々に中途半端にコメントしてしまったため、それに輪をかけて混乱した気味になっていることをお詫びします。--夜飛/ 2011年3月24日 (木) 12:10 (UTC)
 yatobiさんの中で私の言いたかった事と違う意味になってしまっているのは、私の表現力にも原因があるので恐縮ですが、補足させていただきます。
「部隊が全滅し~」は単純に悪文なので良くない。部隊が全滅(≠全員死傷)ではどれだけ人的損害が出ているのか幅が大きいので、生き残りがいないという後の文に繋がらない。文脈を追えば意味がわかると言うが、文脈で判断しなければ意味が分からないというのはその言葉が意味を運んでいないことになる。かと言って、壊滅状況なんて聞きなれない言葉にする必要もない。
全滅の定義についてはwebにまとめられていたのでご参考に。損害についてのFAQ。(出典となるだけの権威はないと思いますが、編集者とコミュニティの査読のクロスチェックが入っています)
  • 日本軍については別の項できちんと解説して欲しい。本文の書き方では日本軍が漢詩の世界のように戦死者を山野に放置するのが普通の軍隊だったかのように読めてしまう。ここは戦死の記事なのだから誤解のないように詳説するべきだ。概要に書くと説明不足になるなら概要に書かなくてもよい。
  • 漢詩や英文、「日本軍の遺体を現地に残してきたこと」や「アリゾナの戦死者が回収されていないこと」は概要に書く優先度が低い
概要に書く優先度という観点から言うと差し戻された「海軍の戦死者が水葬に付される」の方がむしろ高い。有史以来、広く世界中の海軍で行われ続けている伝統だから。
  • 百科事典として他の編集者が正確かつ簡潔に意味を伝えるために加筆改変していく事を許して欲しい。他人の加筆を前提に、全体の構成にこだわり過ぎないで欲しい。
  • 導入部である概要は分かりやすく普遍的な内容に。しかし、軍事的な視点から見てもおかしくない正確さは保つ必要がある。
余談ですが私はwebサイトの初心者質問コーナーなどで物事をざっくり説明するのが好きで、wikipediaでも導入部たる概要部を分かりやすくすることを目指す編集を沢山してきました。(言うまでもなく

一般向けに分かりやすくという意味です。)時には殆ど書きなおしてしまうこともあり、話し合いになることもありますが、yatobiさんのような反発の仕方されることは珍しいです。大抵はその項目の内容にに関心があり、より専門的な視点から良い記事を目指しているからでしょう。誰にでも分かるように平易な言葉で、なおかつ要点を抜かさずに解説するというのは、意外と難しいものです。もっとも勉強しないといけないと常々感じます。一般向けだからこそ難しく、対象に対する深い理解が必要なのだと思います--Littlefox 2011年3月24日 (木) 20:26 (UTC)

コメントLittlefoxさん、夜飛さん、コメントと論点の整理をそれぞれして頂いて、大変ありがとうございます。いずれも、非常にわかりやすいと思います。まず「全滅」の用語ですが、前回出典のように一般的な意味は「全滅」も「殲滅」も、各構成要素に注目した用語で「全部が消滅」です。ところで産業界でも「3系統の安全装置が全滅となった」などの表現をしますが、この場合の「全滅」は「それぞれ完全に破壊された」というより「それぞれが本来の機能を果たさなくなった(容易に復旧できる場合も含む)」です。つまり「一般用語の全滅と、軍事用語の全滅は違う」というより、「何の観点で数えるか」だけの相違に思えます。例えば人的損害の観点では「全員が死亡」、軍事作戦の観点では「(実際に作戦行動が可能な)戦闘力が全消失」、産業の観点では「本来の機能を果たす機器が全てダウン」などです。次に今回の記述案ですが、Littlefoxさんが書かれている通り、重要なのは「遺体を持ち帰るべき生存者がいない」あるいは「生存者はいても持ち帰るなどの組織行動は不可能な状態」という意味の例示だけなので、あまり厳密な用語の定義や使い分けは不要に思えます。例えば「所属部隊が全滅状態となった場合など」や、「所属部隊が全滅したり混乱状態となった場合など」ではいかがでしょうか? 最後に夜飛さんが整理して頂いた、Littlefoxさんと夜飛さんからの指摘ですが、私も私もポイントはやや違うようですが戦死の記事は整理が必要と思います。例えば、(a)「戦死」の記事なのに、どの範囲を「戦死」とみなすかという「定義」の記述がほとんど無い(できれば各国・各軍での定義例、歴史的変遷、定義に応じた遺族の扱いなど。英語版ではNATOでの定義が記載されています。) (b)「戦没」は本来は戦死と同じ意味の筈(基本は軍人の戦死のみ。戦病死者や戦災死者を含めるかは場合による)(c) 出典がほとんど無い(夜飛さんの指摘と同じ) (d) 近代以降の日本に偏っている(Wikipedia:日本中心にならないようにに反している。例えば、全滅などして自分の墓に対面した例は日本だけでは無いし、「日本では」などと限定して説明する必要も無い) (e)「概要」はほぼ「遺体回収」の話だけなど、節名と内容の不一致が多い。これらは、「全滅」表記問題が合意後、できれば整理させて欲しいと思います。--Rabit gti 2011年3月24日 (木) 15:47 (UTC)
(>Rabit gtiさん)コメントありがとうございます。「全滅」云々に関しては、参考文献に挙げてある『一兵士の戦争体験―ビルマ戦線生死の境』(小田敦巳・ISBN 978-4-87959-219-4)辺りを読んでも大戦末期に著しい混乱状態から行軍の脱落者を捜索に戻れないなどの事情が見られるところもあり、Rabit gtiさんの案後者で良いと思います。また(a)に関しては、具体的資料がなく翻訳も苦手とするところであったため英語記事に至っては読んですらいないという状況で斯様に定義の「点」を欠いた状態に付き、Rabit gtiさんの加筆は歓迎するところです。(b)に付いて小生のまとめ方はどうも広島におけるイメージ(原爆被爆者など)が混じってるッポイです。状況次第という問題もあるため、あまり仔細な区分けは難しいのかもしれませんが、考えたいところです。(c)は全体に掛かる資料としては参考書籍を挙げていますが、細部に関するものが無いのは返す言葉もございません。(d)は前述の資料としたものの偏りに起因する問題で、この辺りは加筆に期待したいところです…ただLittlefoxさんの編集参加は1年近く対話してきた結果として、強く反対する(質問サイトの温い受け答えと一緒にされたらたまらん)ところですが。なお自分の墓云々に関しては、他の事例の資料も無かったので「通俗的な一般知識で検証可能」な範疇に留めた結果で申し訳ありません。(e)は厳密な定義が不詳だったため、またそれに至る原因は後述に多く割り振ったため、確かに「結果とその後」に目が行き過ぎた感があります。ご指摘に感謝し、Rabit gtiさんの整理に期待すると共に、小生もその箇所について考えたいところです。--夜飛/ 2011年3月24日 (木) 22:29 (UTC)
(>Rabit gtiさん)ご意見ありがとうございます。
加筆の申し出は快く歓迎します。yatobi氏が反対している理由が「littlefoxに編集されるのが気にらない」という事がはっきりしてきましたが、本人が何時までも納得する気が無い以上、第三者に編集してもらうのが当座の問題を解決できる次善の策だと思います。yatobiさんの論点整理に対応する形で私の見方を加筆しておきました。参考にれば幸いです。(a)及び(b)定義が必要という意見に賛成です。日本語の戦死の元となっている旧日本軍ではかなり厳密な定義付けがなされていましたのでこれも言及した方が良いと思います(ノートの上の方でKOGARASI氏が言及していますのでご検索ください)(c)これについてはよく分からいのです。yatobi氏のように「自分はこの本を読んだ」というだけなら手持ちを本を何十冊でもリストアップできますが意味があるのかどうか。私は争点となっている部分に絞って出典を探すことにしています。(d)私と同意見です。日本軍については概要ではなく後ほど詳説すればよいでしょう。過去の履歴を見てみると「日本では~自分の墓」の記述もyatobi氏が削除に抵抗していた部分ですので彼の同意さえ得れれば問題なくなると思います。(e)まさに現概要項目は遺体回収の記述に傾注しすぎていいるとおもいます。これも後に詳説するとして概要項目は必要最低限の記述に止めれば良いと思います--Littlefox 2011年3月25日 (金) 16:40 (UTC)
コメント質問なのですが、私は争点となっている部分に絞って出典を探すことにしています。ということは、これまでは一切出典無しで記述していたということですね? LittlefoxさんはWP:NOTSOAPBOXを読んで理解できますか? 夜飛さんの「出所不祥な自称詳しい人視点は止めてくれ」という指摘に対して、真摯に返答すべきです。Littlefoxさんは、各方針文書を理解できているのか、読んだことがあるのか、お答え下さい。--baku13 2011年3月25日 (金) 19:55 (UTC)
ですから軍事に関連する書籍を多数持っていますので、読み比べた結果を書いてます(と言っても多読してたのはずいぶん昔の話なので記憶に元に書いてる部分もあり、手元にある軍事関連書籍はせいぜい200冊ぐらいしょうか。軍事関連書籍以外にもこういう本が役に立ったりするので、実際に参考できるほんはもうちょっと多いですが。それ以外は図書館を利用しています)。もちろん、一般によく知られた通説を書くためにある概要のような項目はそう、という話であって、出典をつけないと事実か分かりにくいことは出典を付けていますよ。ちなみにyatobi氏が盛んに持ち出してる利用者‐会話:Littlefox#トレンチナイフの編集についての編集で彼は、出典とは全く時代が異なる(50年~200年。)事柄についてさも出典を元に発言しているかの様に装っていました。私はそういう不誠実なことはしたくありません。この本は当戦死項目でも参考文献として筆頭にあげられていますが、とりたてて戦死に焦点を当てた本では無く、独立した項すらもうけられていません(有りたいにに言えば技術と戦術の本ですね)。話を聞いているとどうやら、yatobiさんあまり関連書籍を持っていないので軍事記事の参考文献はとりあえず、これを書くことにしていたようです。このレベルの関連性でよければソレこそ、蔵書をリストアップしていけば満たせますが、それで良いのですか?と言っておるのです。--Littlefox 2011年3月25日 (金) 21:02 (UTC)
(追記)yatobi氏がご自身で言っておるように、yatobi氏は軍事関連だけど関連がそれほど無い本を一冊か二冊読んだだけで、残りは想像で記事を書いておるのです(『一兵士の戦争体験―ビルマ戦線生死の境』は日本軍の戦死に関連がありますが、戦死に関連が無い戦争関連の本というのを見つける方が難しいでしょう)。トレンチナイフの編集にしても、おかしなところを南北戦争関連の出典をつけて問い詰めると「第一次大戦のNHKドキュメントを見た印象から想像で書きました」と言うようなことを白状しましたよ。どうりでおかしな記述が多かったり、編集をめぐる議論を要領を得ないと感じる(理解出来ない)わけです。私は知らないことを責めているのではありません。私だって専門外のことは知らないことだらけですよ。yatobi氏が悪質なのはよく知らないにもかかわらず、まるで編集長の様に君臨して記事の方向性を決めようとする点です。参考文献らしきものを書きこめば後は(具体的な出典無しで)いい加減なことを書きたい放題で、記事の体裁を指図したり、相手を罵倒することも自由とはwikipediaはどういうシステムになっているのですか?yatobi氏はweb上のコミュニティの事を「ぬるい受け答え」などと馬鹿にしていますが、実際にはyatobi氏のようないい加減な事を書けばば全国の詳しい人達からツッコミが入る世界ですよ(特に軍事は現実世界の出来事に忠実なのでごまかしが効きません)。wikipediaは他の人との折衝が疲れるから止めたというような事はよく聞いていましたが、yatobi氏との一連のやりとりで、本当の事だとわかりましたよ。yatobi氏は私に「wikipediaコミュニティを疲弊させる者」という罪状のコメント依頼を出していますが、それはyatobi氏本人に他ならないでしょう--Littlefox 2011年3月26日 (土) 04:59 (UTC)
(お返事) はぁ、なんといいますか・・・・よくわかりました。夜飛さんのコメント依頼は時期尚早な気もしていましたが、落ち着いたらそちらでコメントします。--baku13 2011年3月28日 (月) 02:13 (UTC)
わかりました。私もコメント依頼の返信を書く準備をしておきましょう。誤解のないように申しておきますが、「詳しい人」というのは私が尊敬する人たちのことで私自身が詳しいと行った覚えはありません(yatobiさんよりは詳しいことは参考文献数などから間違いなさそうですが)。yatobiさんは印象操作がお好きなようなのでご注意いただければ幸いです。「(前略)長年、本を多読したり軍事趣味の人達と議論を通して取捨選択してきた知識です。しかし通説から外れたこと書いていないので、多数の文献の当たれば(略)」と参考文献から出典を示す意志を示したはずの私の言葉から、「議論を通して」の部分だけぬきだして、さも、出典によらず、ネットで拾い食いした知識だけで記事を書いているかのような言い方を繰り返してきました。--2011年3月28日 (月) 04:09 (UTC)
(>Littlefoxさん)まあ…何というか大演説ですが、200余りの蔵書を読んでそれの総体的なことを書けば、中立性に細心の注意を払い一般論としてそれこそ「それら書籍を片っ端から参照しなくても妥当性が判断可能なくらいに当たり前(それら全てやそれ以外にも共通している箇所)なこと」以上のことに差し掛かった瞬間に独自研究と指摘されますよ。まあ「自称専門家」ほどウィキペディア全体にとって厄介なものはありません。なお質問サイト云々は「突っ込まぬが華」なので余りとやかく言うつもりも無いですが、あれは回答者が自称専門家であっても回答が的外れでも、質問者にとってヒントくらいになれば御の字…という意味で、その感覚でウィキペディア側の記事を弄ればトラブルにしかなりませんので念のため。--夜飛/ 2011年3月26日 (土) 09:01 (UTC)
(追記)普通は異論が出ないような多数意見のみを記載しています。そういうyatobiさんは記事及びノートで参考文献に無い独自研究を少なくない数を発表されましたが、これらは書籍をかたっぱしから参照した結果なのでしょうか?このあたりの話し合いはまた場所を改めて行いましょう--Littlefox 2011年3月28日 (月) 04:09 (UTC)
私を傲慢な自称専門家にしたくてしょうがない様ですが、私は誰にでも分かり易い平易な言葉で自分の言葉で説明することをモットーにしているだけで、ソースの検証を軽視しているわけではありませんよ。yatobiさんとのやりとりでも、まず話を聞いて論点を絞って参考文献から出典をさがそうとしていたでしょう(yatobiさんが途中で「要領を得ないから相手にしない」と宣言してプロセスを打ち切っただけです)。私はあなたのように参考文献の権威だけを利用して、内容と違う意味の事を書くようなことはしたくありません。いかにも自分は出典を大事にしているが相手はそうじゃないというような書き方をしていますが、貴方は資料を無節操な使い方をしているのでポンポン出せただけです(といってもトレンチナイフ戦死で合計3冊+雑誌・テレビしか見覚えがありませんが)。なおyatobiさんの偽装を検証する為に、絶版本を入手して、検証に努めたわけですが、同じことを貴方もできるのですか?関係の余り無い本を200冊頑張って集めるれるんですか?--Littlefox 2011年3月26日 (土) 10:21 (UTC)
(インデント戻し・Littlefoxさん)…(嘆息)。如何な自身の扱いに憤慨しているとはいえ、実の無い論いなら他所(Wikipedia以外)でやってもらえませんか。なおソースを(自分視点で?)検証するのはどうかと思います。ソースを以って自分視点を検証するなら解りますがね。--夜飛/ 2011年3月26日 (土) 11:13 (UTC)

ノートでの議論について

コメント 繰り返しですが、Help:ノートページ#ノートページの用途のガイドのように、ノートは記述を議論する場所です。どなたであれ、お互いに、相手の姿勢を論評するのはやめましょう。なお、当節の話題のうち、記事内容の整理の話(2011年3月24日 (木) 15:47 (UTC)以降の話の続き)は以下に新規節を作成して独立させました。--Rabit gti 2011年3月26日 (土) 13:57 (UTC)

申し訳ございません。売り言葉に買い言葉でつい熱くなってしまいました。私は「littlefoxは記事に触る資格がない人間だ」というyatobi氏の主張によって、この話し合いから締めだされさえしなければそれで十分です。今後、このノート上での無用の争いは控え、挑発も無視いたします。--Littlefox 2011年3月26日 (土) 16:10 (UTC)

コメント 夜飛さんとLittlefoxさんの過去のコメントに対する私のコメントは Wikipedia:コメント依頼/Littlefox に記載させて頂きました。内容的に戦死のノートよりも適切な場所と思ったためです。なお上記でLittlefoxさんは「この話し合いから締めだされさえしなければ」と書かれていますが、Wikipedia:方針とガイドラインを守っていれば誰でも編集にも議論にも参加し続けられ、誰かがその防止はできず、仮に印象操作を行う人がいても第三者(特に管理者)が容易に真に受ける事もありませんので、必定以上の反応は不要と思います。--Rabit gti 2011年3月28日 (月) 16:42 (UTC)

全体の整理

報告 上の節の中で出た話ですが、特に反対意見が無かったため、記事全体の整理を行いました[8]。趣旨はコメント欄にも記載しましたが、(a)英語版も参考に「戦死」の定義を追加した、(b)「用語」にノートで提案された用語も説明付きで記載した、(c)冒頭に「戦没」は「戦死」と同義語の場合もある事を記載した、(d)世界的観点の記述を中心にして日本特有の話は併記した、(e)なるべく客観的・中立的・簡潔な事実の記載とした(編集者の主観が入らない記述を目指した)、(f)画像の説明文も各国語版同様に客観的な説明とした、(g)以上と内容重複も多いが、従来の記述はほぼそのまま「詳細」に残した、などです。出典は更に追加したいですが、今回の編集部分(詳細よりも上の部分)だけでも既に各国語版より長いです。まずは今回の編集部分にコメントを頂ければ助かります。仮に大きな問題が無ければ、将来的には「詳細」も、内容を厳選して上部にマージするのが理想と思いますが、当面は並存でも良いかと思っています。いかがでしょうか?--Rabit gti 2011年3月26日 (土) 13:57 (UTC)

お疲れ様です。定義を充実させたことで、記事の中立性が飛躍的な向上し、個人の印象を綴った感想文から百科事典の記事へと脱皮を果たした感じます。戦死者数・戦死確認追・悼節の挿入についても、世界な戦死から要点を掻い摘んだ内容で、戦死という概念のの流れを追いやすくなった良い加筆だと思います。さて早速でございますが、遺体の扱いを詳細の節としていただいたおかげで詳説する余裕ができたと思います。かねてより議題に上がっていた海軍の遺体の扱いについて触れてもよろしいでしょうか?同じく日本軍の遺体の扱いについても戦史上とりたててひどいものだった訳ではありませんので、古代中国の故事と並び立てての特別扱いをされてる総論から切り離してはどうかと思います。とはいえ、ここは日本語版ですので「遺体の扱い節内の段落」もしくは節を設けて詳説するのも許されると思うのですがいかがでしょうか?--Littlefox 2011年3月26日 (土) 16:10 (UTC)
コメント Littlefoxさん、コメントありがとうございます。「かねてより議題に上がっていた海軍の遺体の扱い」の話とは、水葬の事でしょうか?個人的に知る限りでは、日本海軍が特に他国の海軍と異なったとは思えませんが、私は「詳細」は当面は余り関与する積りが無いので、事前には賛成も反対もしません(内容によっては後からコメントしたり編集するかもしれませんが)。なお後から編集して恐縮ですが、死亡確認の節の修正と一緒に、海軍の水葬自体は簡単に追記しました[9](葬儀の方法で水葬は少数派なので、海軍の採用は特筆性があるかと思ったので)。--Rabit gti 2011年3月26日 (土) 17:02 (UTC)
ありがとうございます。おっしゃるとおり、日本海軍は手本とした英海軍に習って一般的な水葬を行っているので特筆すべきことありません。同様にアリゾナの所属する米海軍も特筆すべきこともないはずなのですが・・・そうは思わない方がいるようです。詳細は私が加筆することになりそうですが、編集合戦も起こしたくないので、しばらく様子を見ます--2011年3月26日 (土) 17:50 (UTC)
  • コメント Rabit gtiさん、大変お疲れ様です。ほぼ新規に設置された前部箇所に感服いたしました。詳細節箇所は「遺族への対応」と「国家と戦死」にも重複があるなどその内部でも整理する必要がありそうですが、更にRabit gtiさんの書かれた前半部分との(内容的に)重複する箇所に関しては、既存(「詳細」内)箇所の冗長なディティール部分をバッサリやった上での整理・調整にも反対するところではありません。ただしこれはLittlefoxさんの主張する「英慣用句や漢詩(云々)」や「アリゾナ(云々)」辺りのことではなく、もっと全般的な事柄で、この中にはLittlefoxさんが書きたがっていた日本軍云々や海軍の水葬云々も、現状で脚注箇所に振り分けてある部分を拠り簡略化して…という意味で、同様に脚注箇所に振り分けた歩兵銃云々に関しては「脱線の脱線」の感があるため、「詳細」箇所を整理する過程で(負傷させるだけに留めた思想が存在した例として挙げるなら結果まで書かなければ中立性・客観性を損なうし、なによりWP:TRIVIAじみているので)ばっさりやってもいいように考えています。
    ただ現状では整理するにしてもLittlefoxさんが「Yatobiが記事弄ってるのに自分が弄れないのは不公平だ」とかなんとかあらぬ鬱憤を溜め込み上な大演説かますように記事を弄ったらRabit gtiさんの新規執筆箇所にまで累が及びそうな感もあるため、現状の「詳細」は要整理(Rabit gtiさん記述箇所とバランスが取れるくらいの大幅簡略化)案件として「コメントはするが記事側は(Littlefoxさんによる冗長余事脱線挿入の差し戻しを除けば)積極的に触らず他の方の編集を見守る」くらいのスタンスで行こうと思っています。--夜飛/ 2011年3月27日 (日) 02:47 (UTC)
コメント 夜飛さん、コメントありがとうございます。整理後の前半部分は大筋では問題なさそう、と理解しました。個人的には、(1)「定義」に日本軍の正確な定義・出典を追加したい(良い出典が見つからない)、(2)「追悼施設」はen:War memorialを翻訳して独立記事を作って、当記事からは「詳細は○○参照」と誘導したい (3)「戦死者数」は同名の節が2つあるのを早めに解消したい、などを思っています。ところで整理後の「詳細」部分に関連して、Littlefoxさんは「個人の印象を綴った感想文」、夜飛さんは「冗長なディティール部分をバッサリやった上での整理・調整」とも書かれていますが、私も「個人的に収集したエピソード集や感想集のようで、読み物としては面白いが、百科事典の「戦死」に書くような内容では無い」と思っており、大筋では認識が一致しているようにも思えます。また各国語版の「戦死」には、相当する記述はほとんどありません。問題の多い節を、個々の箇所ごとに議論し改善を進めるのもお互い生産的にも思えません。そこで乱暴なようですが思い切って「詳細」の削除案はどうでしょうか?(個々の必要な内容は、事前にも事後にも前半へ移動・マージできます。ただしあまり単純移動すると整理前に戻ってしまいますが。)--Rabit gti 2011年3月27日 (日) 07:42 (UTC)
  • (大筋賛成)はい、前半部に異論はありません。また「後腐れないようにバッサリ」ってのも合理的かもしれません。ただ死後褒賞への言及はあってもいい(ただしJPOVとかは回避する上で極めて簡潔に)ように思います。また戦死に関する情報統制が存在することを、第一次大戦・ベトナム戦争・イラク戦争の例を挙げてみるのは…薮蛇でしょうか。そのほか、戦争状態でも直接戦闘による死亡以外の事故死・疾病があることは定義箇所に軽く触れられていますが、それらの比率は無視できないどころか各々が戦死者数に並ぶか超えることもあるという言及は(フィクションは尚のこと史実に基づいたドラマなどでは滅多に描かれない面もあるため)若干残っていてもいいように思います。--夜飛/ 2011年3月27日 (日) 08:31 (UTC)
  • 私は賛成します。せっかくの機会なのですから既存の記事はコメントアウトしてしまって、一度全体の構成を一から作るのが良いと思います。その上で、取り入れると良い部分を取り入れていけば良いと思います--Littlefox 2011年3月28日 (月) 02:00 (UTC)
コメント 夜飛さん、Littlefoxさん、たびたびコメントありがとうございます。死後褒賞は追記したいですね。情報統制と、「戦死」以外との比率は、個別の出典は多数ありますが、歴史的または統計的にまとめた出典があると嬉しいです。また「詳細」は当面はコメントアウトし、必要内容は前半に反映が一段落したら削除する方向、で良いでしょうか?(削除後も履歴で確認できますし)--Rabit gti 2011年3月28日 (月) 16:42 (UTC)
「詳細」部はコメントアウト&作業後に除去で異論ありません。うーん、情報統制や戦死:戦死以外(戦病死や事故死など?)比に関しては、時代遷移なんかの資料があると確かに興味深いとは思いますが、第一次大戦以前ともなると様々な事情が絡んで平均化することすら出来ない「地域に限定的な個別事例」にしかなりえないんじゃなかろうか…とも思いますし、そこは無制限に例示(限定して例示しても歴史上「主要な戦争」だけで数多あり明確な境界が設けがたくもあり)して羅列するよりはバッサリと「情報統制の程度や内容その時代背景や政治体制にも拠って異なる」や「地域性に拠らない時代ごとの総体的な統計は見出しがたい」などとして飛ばして、参考程度に両大戦時や近代-現代の一般論化された説明や統計を紹介したほうがスマートなんじゃないかと愚考する次第です。--夜飛/ 2011年3月30日 (水) 09:46 (UTC)
コメント個人的に書ける範囲で、死後褒章、報道統制を前半に追記し、後半である「詳細」をコメントアウトしました[10]。節は余り増やさないよう、戦死直後の場合が多い「戦死確認と葬儀」と、後日の場合も多い「死後褒章と追悼」に分け、「報道統制」は(戦死だけに限らない話なので)特に戦死に関わる側面を強調しました。ただ、戦死以外の比率の話は一概に言いにくい(古代の戦争でも病死や餓死が大多数の例は多い)のと、戦争などに書いた方が良い気もしたので私は見送りました。なお「死後褒章」との用語は、ネット検索した範囲では少数派の用語かもしれません。今回で全体の整理は一段落できたと思うので、後は節構成、記述、出典など、皆様で議論・編集して頂ければと思います。夜飛さん、Littlefoxさん、多数のご協力、アドバイス、ありがとうございました。--Rabit gti 2011年3月30日 (水) 15:00 (UTC)
お疲れさまです。死後褒章については勲章の没後授与と同義だと思いますが、単なる追悼の枠を超えて国家や軍が自国の戦死者(時として敵の戦死者も)に敬意を示すことは世界的に普遍的な事ですので、賞賛・礼賛行為全般を示す言葉がよりよいかもしれません。また適切な言葉の使用例が見つかれば差し替えておきます。こうして見てみると全体的にすっきりしました。Rabit gtiさんに再構成していただいて本当によかったと思います--Littlefox 2011年3月31日 (木) 16:11 (UTC)
コメント すみません、勲章褒章階級特進(位階)は異なり、全体が栄典でしたので[11][12]、節名も「死後の対応」と一般化して、節の最初に列挙する形にしました[13]--Rabit gti 2011年4月1日 (金) 13:50 (UTC)