ノート:夏目漱石

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千円札の画像へのリンク[編集]

本文中に英語版にある千円札の画像へのリンクが貼られていた(=文書内部に画像が表示されていた)のですが、以下のような問題があると考え、ひとまずリンクを外しました。問題がないことが明確になった後に再度表示をするようにした方が良いと思います。

  • 通貨及証券模造取締法[1]に違反している可能性がある。([2]も参照)
  • 例え画像データが複製にはあたらないとしても、GFDLとして扱うのには問題がある。

自分は法律などの類には詳しくないので、もしかしたら全く問題がないのかもしれません。詳しい方の判断を伺いたいです。よろしくお願いします。Tsk 10:54 2004年1月11日 (UTC)

英語版のページのノートにも、千円札の画像は法的に問題があるのでは? とありますね。(半年以上誰もなんとも言っていないみたいですが)
私もあんまり法律に詳しいほうだとはいえないんですが、前に法律関係の本で、お札をスキャンして、ちょっと形状を変えて、Web上にアップしたら、通貨及証券模造取締法違反で逮捕されたという話がありました。
英語版のページの画像を見ていると、千円札をただ縮小しただけですから、法令違反の恐れが非常に高いと思います。(もし、千円札が元の痕跡をあまり残さないような形だと大丈夫。たとえば、夏目漱石が河童になっていたりとか、夏目漱石が金髪になっているとか。)
もっとも、日本の警察が、外国人が外国のコンピュータで外国のサーバにアップロードしたデータをそう簡単にどうこうできる問題ではないですが。もっと法律に詳しい方の意見を聞きたいです。Auf 13:14 2004年1月11日 (UTC)

千円とかは今は使われていませんが 前の物なのでそれは載せない方がよいと思います--目黒俄雨 2010年8月23日 (月) 13:19 (UTC)[返信]

経歴の一部訂正をお願いします。[編集]

夏目漱石の経歴に、 「1907年 胃潰瘍のため大吐血、一時危篤(修善寺の大患)」 とありますが、これは1910年のことかと思います。確認のうえ、どなたか訂正願います。

確認の上、訂正しました。Tomos 2004年6月27日 (日) 22:46 (UTC)[返信]

夏目漱石の写真、[3] のは使えますかね。creativecommonsとかかいてありますが、このライセンスは日本語版でもokでしょうかね。(確か英語版ではokだったはず)写真はライセンスの対象外でしょうかね。--ケンチン 2005年3月29日 (火) 14:20 (UTC)[返信]

で、サイト運営者にメールで問い合わせたところ、

> are portraits licensed under a Creative Commons License.?

Yes, all our texts are under the Creative Commons License. So you can use them anywhere you want. We just ask that you put our address (www.cinemasie.com), as a reference at the end of the text.

との事で出典先明示してくれれば使ってよいとの事ですが…本当に大丈夫かな。--ケンチン 2005年3月30日 (水) 12:28 (UTC)[返信]

このサイトの許諾条件は cc-by-nc-sa-2.0 だそうですから、駄目なのじゃないですか(非営利のみ)。--Aphaea* 2005年3月30日 (水) 12:37 (UTC)[返信]

ナルホド…クリエティブ・コモンズにも色々種類あるんですね。お騒がせしました。

夏目漱石の写真がのっている・・・。しかも、PDらしい。大丈夫でしょうか?--ケンチン 2005年7月24日 (日) 13:15 (UTC)[返信]

議論を無視したように写真をアップしてしまってすみません。1916年没(つまり1956以前の写真)のため著作権が消滅しています。いかがでしょうか?--完璧主義 2005年7月26日 (火) 18:50 (UTC)[返信]
写真の著作権は撮影後50年、でしたが著作権法が改正され撮影者の死後50年、だったと思います。なお、著作権が消滅していたとしても、Wikiに掲載してよいかどうかは別問題(のはず) --忠太 2005年7月31日 (日) 14:48 (UTC)[返信]
Wiki日本語版では著作権が切れていても出典元によっては投稿できないようです(その写真を公開しているHPが営利目的による使用を禁止しているなど)。とにかく出典元が不明中なのでリンクを外しておきますね。--上田隼人 2005年9月8日 (木) 10:23 (UTC)[返信]

「造語」について[編集]

  • 漱石の造語力については定評のあるところですが、少なくとも「経済」については、明治初期に大隈重信が「天下ノ経済ヲ謀リ国家ノ会計ヲ立ツルノ議」等において、現代の意味で使用している例があり、漱石の発明ではないと思いますので削除しておきます。--Tomzo 2007年4月4日 (水) 15:03 (UTC)[返信]
  • 便乗でここに書きます。「流石」(さすが)も平安時代頃から使われていたと聞いたことがあります。どなたか、このあたり詳しいかた、おられませんでしょうか?「流石」の起源と「漱石」という名前のルーツ「漱石枕流」がリンクしているのは確かだとは思いますが。--Lumi 2008年1月4日 (金) 20:33 (UTC)[返信]

統合提案[編集]

夏目漱石夏目漱石の作品一覧の統合を提案します。容量的に見ても、作品一覧は夏目漱石の項に記しておいてもなんら差し支えは無いかと。--銀色しっぽ 2008年5月2日 (金) 09:15 (UTC)[返信]

(報告)1週間経過しましたが特に反対意見が出なかったので統合させていただきました。--銀色しっぽ 2008年5月9日 (金) 11:27 (UTC)[返信]

倫敦塔について[編集]

2009年9月5日 (土) 10:23 (UTC) の編集でのイギリス留学中に書かれたとされる随筆の倫敦搭は、帰国後に書かれた倫敦塔 (小説)と異なる別のものなのでしょうか。--Jazzy 2009年9月13日 (日) 02:05 (UTC)[返信]

「東アジア各国に対する認識」について[編集]

要約欄にも記しましたが、一次資料のみから推測して「このように認識が変わった」というような形に書かれており発表済みの情報の合成に当たるため除去しました。「漱石の東アジア各国に対する認識」を書きたいのであればそのことを体系的に記述した第三者の二次資料を使用してください。--頭痛会話2013年7月30日 (火) 20:38 (UTC)[返信]

馬鹿な新聞社の記者が、全集に収録されてない夏目漱石の新聞記事を新発見などと空騒ぎして(何でもかんでも全集に入れたがる漱石研究者もまた異常なのですが)ネットで話題になったからといって、漱石に差別主義者というレッテルを貼るのは、馬鹿な新聞社の記者と同じぐらいアサハカな感じがするわけでして、「韓満所感」は漱石の書いたものとしてはレベルが低いもので、全集に入ってないことを騒ぐほどでもないものだというのが感想です。それで回りくどい方法で937さんに反論していたわけですが、結局ロンドンの日記と「韓満所感」と並べて置いて、漱石はよくわからないという結論になる訳ですか。937さんに申しあげたいのはとりあえず「東アジア各国に対する認識」は消してしまったほうがいいと思っているのは頭痛さんとFuusennの2人です。Fuusenn会話2013年8月1日 (木) 13:16 (UTC)[返信]
コメント 私もこの節の記載には賛成できかねます。一時的な感想にすぎない断片的な雑記を紹介しても、漱石の人物の理解にはあまり役立たないと思います。漱石があの記事を発表するに至った背景事情の考察や分析なしに、単純に「~と評価している」「~という認識を示している」と書いてしまうのは、そう書いた人の判断によるものであり、読者に誤った理解を与えるおそれがあるのではないでしょうか。他の項目において同様の内容を記載することにまでは、必ずしも反対するものではありませんが、少なくとも漱石の研究者による二次資料が現れるまでは、記載を見合わせるべきだと思います。--Calvero会話2013年8月1日 (木) 13:49 (UTC)[返信]
前から思っていたが、何か問題があるとすぐに全部消そうとする人がいるんですよね。問題があるならその部分を修正してなるべく残す形で編集すればそれで済む話なのに、なぜかそうしない。面倒くさいのか、自分の気に入らない記述なので全消去する、という結論が先にあり難癖を付けているだけなのか(そういえばFuusenn氏は暗殺者たちの立項理由を「韓満所管による漱石の記事への加筆が気に入らないので記事をたてるのですが・・・」と、「「暗殺者たち」の変更履歴」に書いてますね。Fuusenn氏の場合、削除ではなく反論という形で加筆され、この点はすばらしいと思います。)。どちらにしても私は賛同できません。別に私は包摂主義者排他主義者ってわけでなく、実際問題、全消去でなく修正して問題が解決するなら普通はそうするだろうということを言いたい。
私は漱石を差別主義者と書いていません。Fuusenn氏は「「韓満所感」は漱石の書いたものとしてはレベルが低いもの」とのことですが、私自身はレベルは高くもなく低くもないと思っています(そもそもレベルが高いか低いか論じること自体無意味。)。「結局ロンドンの日記と「韓満所感」と並べて置いて、漱石はよくわからないという結論」とのことですが、時系列から考えれば、当初はそうだったが後に考えが変わったってことでしょう(常識的に考えればそうなるし、たいていの人はそう読み取るでしょう。Fuusenn氏の考えは、読者が何を書いてるのか読み取れずよくわからないと結論に達するだろうということでしょうか?それなら読者を侮辱しすぎでしょう。それともFuusenn氏ご自身がよくわからないということでしょうか?)。これがWP:SYNに抵触してるとのことだったので「アジア諸国観の変遷を独自に跡付けている」とされている部分は削除したが、何が「よくわからないという結論」なのかそれこそわからない。
Calvero氏の「一時的な感想にすぎない断片的な雑記を紹介しても、漱石の人物の理解にはあまり役立たないと思います。」とのことですが、そもそも漱石は各国に対する体系的な論評をしたことがあるのですか?あったとしても、それもその時点での感想であって結局一時的なものにすぎない。人の各国に対する認識なんて年を追うごとにころころ変わるもんでしょう。実際、漱石も「韓満所感」に日本に対する認識が変わったとの記述を記している。例え断片的であっても、何もないよりは漱石の人物理解に役立つと思います。「漱石があの記事を発表するに至った背景事情の考察や分析なしに」「漱石の研究者による二次資料が現れるまでは」とのことですが、もちろんそれに越したことはないのですが、今現在ないからといって全削除というのは飛躍しすぎでしょう。それまでは原文を載せ「漱石の各国に対するこういった認識が示されている」となるべく主観を排した表現をした上で存置してても問題ないと思います(これも最初に私が示した、なぜそこまで削除にこだわるのかってことにも通じる)。
また、「「~と評価している」「~という認識を示している」と書いてしまうのは、そう書いた人の判断によるものであり」との主張には一理あるが、正直言って、私が書いた「当時の日本に対し肯定的な認識を示している他、中国と朝鮮に対しては否定的な認識を示している」「中国に対し同情的な認識を示している」との記述が問題視されるとは思わなかった。事実、漱石は「日本人程憐れな国民は世界中にたんとあるまいといふ考」から「日本人も甚だ頼母しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた」に変化したのだから、これは「日本に対し肯定的な認識を示している」以外に表現のしようがない(これを否定的な評価を示していると思う人います?)。中国と朝鮮に対する認識も、どう考えても「否定的な認識を示している」以外に表現のしようがない。「余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた」この発言を「肯定的な発言だ」と思う奇特な人はまずいないでしょう。要するに杓子定規すぎるんですよ、「太陽は眩しい」「ボールは丸い」これらを主観の問題だといって削除するようなものでほとんど難癖に近い。確かに「アジア諸国観の変遷を独自に跡付けている」とされている部分については行き過ぎで問題だと思い削除したが、元の記述をそれに相当する形容に置き換えた説明的文章にまで杓子定規にWP:NORを適用して削除削除と唱えるのには反対です。WP:PSTSの「(1)専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」の範囲内だと思います。WP:NORに対する解釈の仕方・捉え方の違いでしょうか。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいを振りかざすとなるとWikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説の「そのルールが本当に邪魔なら、ルールを変えていく」をやるかやらないかってことになるが、正直そんな暇がない。
結論を言うと、現時点(この書き込みの投稿時点)での「東アジア各国に対する認識」の記述で問題ないと思います。--937会話2013年8月4日 (日) 11:44 (UTC)[返信]
コメント 当該節は現状、二種の一次資料をそのまま並べて紹介しているだけであり、「だからどうした」とでも言いたくなるような内容になっています。作家というのは生涯にわたって様々なトピックを取り上げて書きますから、特定の主題に対する言及を単独の節を設けて取り上げるのであれば、それが記事主題にとって特記すべき事柄であることを二次資料・研究文献によって裏付け、記事としての文脈を整えるべきで、それができないのであれば中途半端な情報の断片を載せるべきではありません。
記載者が現状以上の改善ができないのであれば当該の節は除去すべきです。--頭痛会話2013年8月4日 (日) 12:08 (UTC)[返信]
コメント (1. 文章の様態) 「人の各国に対する認識なんて年を追うごとにころころ変わる」というのは、この場合その通りであるようで、だからこそ、ここでその一部分だけを取り出してしまっては、ちょっとよくないのではないでしょうか。この新聞記事(1909年)のあと、1911年の講演『現代日本の開化』では、「どうも日本人は気の毒と言わんか憐(あわ)れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります」とか「戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである」とか述べています。これではあんまり変わりすぎていて、事情の解説なしでは、やはりよくわからないと思います。読者の想像に任せるにしても、もうちょっとなんとかならないでしょうか。
(2. 表現) また「肯定的」「否定的」のどちらかといわれれば、それは肯定的といえるでしょうけど、軸をそこに固定する必要はなく、「楽観的」とか「好意的」とか、意味は違うけれども当てはまる言葉はあると思います。そこで「肯定的」を選択する必然性はなく、別に省いてもよい言葉だと思います。「否定的」についても、日本人と支那人や朝鮮人を比べたら日本人のほうがいい、というところで支那人や朝鮮人が否定された、というのは言い過ぎではないでしょうか。否定していることは否定しているので、微妙なところではありますが。なお、これは 表現方法あるいは WP:NOR の範囲内かどうかという話で、WP:IGNORE まで発展することはないと思います。
(3. 記載の必然性) それから、原文は約2800字とのことですが、ことさらこの部分のみを採り上げる重要性があるのかがわからないです。WP:IINFO によれば、「記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです」とのことです。すなわち、最新の情報を反映することを目的とするのであっても、それは「全集に未記載の随筆が報じられた」という事実が(比較的)重要とみられる部分であって、別に本文中に原文を記載する必要がないです。『韓満所感』が漱石の作品中重要で特に採り上げる必要があるのか、さらにその中の一部に特に着目する必然性があるのか、そして文学者の解説記事に突然「東アジア各国に対する認識」という一節が存在するのが、そもそもの違和感の元であると思います。別に、たとえば『満韓ところどころ』から「ようやく残酷な支那人と縁を切ったような心持がして」「ただ見境なく走けさえすれば車夫の能事畢ると心得ている点に至っては、全く朝鮮流である」の部分を引いて、支那人・朝鮮人には否定的、と記述することもできますが、そういうのはちょっとどうなのか。
(4. 提案) 全部消すのが認められないなら、『韓満所感』が「発見」されたことの記述と、内容を読める外部リンクを置くという対応ではどうでしょうか。
--Calvero会話2013年8月5日 (月) 15:07 (UTC)[返信]

新しく二次資料を見つけました。産経新聞[4][5]の記事です。これらを元に以下に文案を示します。

(文案1) ~「~真に運命の寵児と云はねばならぬ。」などと書いており[1][2]、当時の漱石の「アジア観[3]」が示されている。この一連の記事に対し、比較文学者の平川祐弘東京大学名誉教授は、「漱石は植民地帝国の英国と張り合う気持ちが強かったせいか、ストレートに日本の植民地化事業を肯定し、在外邦人の活動を賀している。日韓併合に疑義を呈した石黒忠悳上田敏のような政治的叡智(えいち)は示していない。正直に「余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た」「余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた」と書いている。「まあ」に問題はあろうが、ともかくも日本帝国一員として発展を賀したのだ。」と評している。これに対し、フランス文学者小説家松浦寿輝は、「この当代きっての知識人さえもがこうした無邪気な愛国者として振る舞っていたのか、といううそ寒い感慨に囚われた」と評している。[4][5]

  1. ^ 漱石の全集未収録随筆を発掘 作家の黒川創さんが小説に 1/2 産経新聞. (2013年1月7日). 2013年5月12日閲覧。
  2. ^ 夏目漱石「韓満所感」(抜粋) 産経新聞. (2013年1月7日). 2013年5月12日閲覧。
  3. ^ 漱石の全集未収録随筆を発掘 作家の黒川創さんが小説に 2/2 産経新聞. (2013年1月7日). 2013年5月12日閲覧。
  4. ^ 日本人に生まれて、まあよかった 比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘 1/4 産経新聞. (2013年4月3日). 2013年8月7日閲覧。
  5. ^ 日本人に生まれて、まあよかった 比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘 2/4 産経新聞. (2013年4月3日). 2013年8月7日閲覧。

これでいかがでしょう?どちらかといえば肯定的、否定的な論評を両論併記しており、WP:NPOVに触れることもなかろうかと思います。ただこの場合、ロンドン滞在時の日記に関する部分に関しては、二次資料が見つけられなかったので削除せざるを得ませんが(削除しない場合、二次資料を求めていることに対する整合性、「韓満所感」には二次資料が必要だが、「ロンドンの日記」の方は必要ないというのであれば二重基準)。

この文案なら頭痛氏の懸念も解消され、Calvero氏の(2. 表現)も提案に従い削除し、二次資料に示されている別の表現に変更したため解消されます。(3. 記載の必然性) については、二次資料がそのあたりを取り上げてるので必然的にそうなってしまう。「『韓満所感』が漱石の作品中重要で特に採り上げる必要があるのか、さらにその中の一部に特に着目する必然性があるのか、そして文学者の解説記事に突然「東アジア各国に対する認識」という一節が存在するのが、そもそもの違和感の元であると思います。」とのことですが、これも問題ないとの認識です。当時の文学者(というか著名人)が世事・世相(世界各国に対する認識も含めて)に対しどのような考えをもっていたのか、研究者でなくても普通の一般人でも十分興味のあるところだと思います。だからこそ、これほどの文学者があのような認識(仮に一時的であったとしても)を持っていたことが衝撃的で、各所で騒がれたのでしょう。あまり有名でない文学者ならともかく、1000円札の肖像にもなったあの夏目漱石です。教科書でも漱石の作品は取り上げられ、日本でも最も有名な文学者の一人といっても過言ではない。その漱石の世事・世相(世界各国に対する認識も含めて)に対する考え・認識を本文中で取り上げたとしても何ら不思議ではないし、むしろ今までなかったことが驚きです(扱いが難しかった面もあろうかと思いますが、他の文学者の項目にも思想に関する節や記述が少ないながらも散見され、殊更大げさに騒ぎたてて反対するほどのことでもない。)。

(1. 文章の様態)については、「「人の各国に対する認識なんて年を追うごとにころころ変わる」というのは、この場合その通りであるようで、だからこそ、ここでその一部分だけを取り出してしまっては、ちょっとよくないのではないでしょうか。」とのことですが、これには賛同しかねます。漱石の各国に対する考え・認識の変遷を背景事情の考察・分析・解説を網羅した完璧な研究が出るまで一部の記事を金輪際掲載してはならないというのはさすがに行き過ぎだと思います。0か100かでないとだめというのは極端すぎる。今回の場合、「韓満所感」執筆時点での漱石の「東アジア各国に対する認識」はこうだったということで掲載しても問題ないと思います(文案に「当時の」の文言を付け加えた)。

結局残る問題は、今回のこの内容のみの記載では、漱石の世事・世相(世界各国に対する認識も含めて)に対する考え・認識を示す記述としては量が少なくて中途半端ってことになりますが、でもそれは加筆して解決していけばよいわけで、記述が足りないから削除するという(どちらかといえば後ろ向きの)方法を取るのは暴論でしょう。WP:IMPERFECTをよく読んでください。不十分な記事・記述なら加筆して解決すればよいのです。新たに「思想」の節を設けその下に「東アジア各国に対する認識」(まあ、思想の範疇でしょう)や他の世事・世相に関連する節を設け、今回の様に新たな二次資料が他にも出てきたら、適宜加筆・編集するという形にすればいいと思います。--937会話2013年8月7日 (水) 11:52 (UTC)[返信]

コメント937さんの参考文献が産経新聞の記事ばかりなのが気にいらないのです。岩波書店の漱石全集に「満韓の文明」というタイトルで収録されている1909年10月18日の東京朝日新聞に掲載された談話は、「此の度旅行して感心したのは日本人は進取の気性に富んでいて、貧乏世帯ながら分相応に何処までも発展していくと云う事実と之に伴う経営者の気概であります。満韓を遊歴して見ると成程日本人は頼もしい国民だと云う気が起こります。従って何処へいっても肩身が広くって心持が宣いです。之に反して支那人や朝鮮人を見るとはなはだ気の毒になります。幸ひにして日本人に生まれて仕合せだと思います。」という記述からはじまる訳で、「韓満所感」の所感の結びとほぼ同じです。その後、「満韓の文明」では朝鮮と満州の文明化の進み方のちがいを記述していて、個人的には「韓満所感」より内容があると感じていて、「韓満所感」が大発見みたいに騒ぐ産経新聞極めて気にいらず、不快です。・・・平川先生はfuusennが『夏目漱石 非西洋の苦闘』いう著書の記事を立項していまして、お気に入りの随筆集もありますが、現在80歳越えていらっしゃって、引退されて久しい方で・・・。記者がまとめなおす新聞記事の談話は署名のある学術書などと比較して資料としての価値は低いと思います。Fuusenn会話2013年8月7日 (水) 12:52 (UTC)[返信]
「産経新聞の記事ばかり」とのことですが、産経新聞の資料しか見つけられなかったので結果的にそうなってしまっただけです。不満ならご自分で他の二次資料を探せばよいのでは?重要なのは記事の内容がWP:POLの各方針に沿っているかどうかであって、自分が気に入るかどうかではない。Fuusenn氏は暗殺者たちの立項理由を「気に入らないので」といい、今回の書き込みでも気に入らないを連発してますが、自分が気に入るかどうかがFuusenn氏の行動原理なのですか?なぜ一々、Fuusenn氏の好みに合わせなければならないのか。
「その後、「満韓の文明」では朝鮮と満州の文明化の進み方のちがいを記述していて、個人的には「韓満所感」より内容があると感じていて」とのことですが、それならば「満韓の文明」に触れている二次資料を見つけて、それを基に編集すればよいでしょう。また、「「韓満所感」が大発見みたいに騒ぐ産経新聞極めて気にいらず、不快です。」とのことですが、「韓満所感」発見に関する報道は産経新聞以外にも朝日新聞、読売新聞、日経新聞、時事通信など各メディアで大きく報じられていました。
「・・・平川先生はfuusennが『夏目漱石 非西洋の苦闘』いう著書の記事を立項していまして、お気に入りの随筆集もありますが、現在80歳越えていらっしゃって、引退されて久しい方で・・・。」とのことですが、年齢は関係ないでしょう。それと引退って何でしょうか?平川祐弘の項目では、翻訳書の「『珈琲店・恋人たち』ゴルドーニ、 岩波文庫、2013年6月」、近代日本史の「『竹山道雄と昭和の時代』 藤原書店、2013年3月」、比較文学の「『西洋人の神道観 日本人のアイデンティティーを求めて』 河出書房新社、2013年5月」、共編書の「ラフカディオ・ハーンの英語教育(西川盛雄と共解説) 弦書房、2013」の4冊が今年(2013年)に入って出版されており、どう見ても現役でしょう(仮に引退しててもWP:POLの各方針の要件と関係ない)。
「記者がまとめなおす新聞記事の談話は署名のある学術書などと比較して資料としての価値は低いと思います。」とのことですが、記者が纏め直したとしても、元は平川名誉教授本人が書いたものですから、もし本人の意に反する内容に改変されていたら本人は抗議し訂正されるはずだが、そのような事実はありません。タイトルに本人の名前と役職も明記されており、それが署名の役割を果たしている。また、新聞記事は内容量が少なく、学術書は内容量が多いという違いがあるが、本人の考えが示されているという点では両者に違いはなく、資料としての価値は同等だと考えます。そもそも新聞記事は二次資料足りえないとは、WP:POLの各方針のどこにもない。もし新聞記事が資料的価値が低く掲載してはだめというなら、ウィキペディア中にある全ての新聞記事のソースを削除して回らなければならなくなり、膨大な作業となる。
結論を言いますと、一連の書き込みを見る限り、Fuusenn氏は自分が気に入らないから反対しているようにしか見えず(実際、自分で気に入らないと言っている。)、建設的な意見もなく説得力に欠けます。--937会話2013年8月8日 (木) 12:08 (UTC)[返信]
ネットでの各新聞の表現を認識していないで議論していたのですが、少し見てみましたら、例えばタイトルでいえば「夏目漱石:伊藤博文暗殺で所感 余の如き門外漢は報道するの資格がない 作家・黒川創さんが発見」(毎日新聞)「漱石、伊藤博文暗殺に強い驚き 全集未収録の寄稿発見 」(朝日新聞)のようになっていて、他の新聞はここで議論している日本人と東アジアの人々の比較の部分を重視していないと思いました。「暗殺者たち」を、普通に読んで、「韓満所感」を読めばこれらの新聞の表現のほうが妥当でないかと思いました。ことさら東アジアの人々の比較の部分を強調する読み方は偏向した読み方ではないでしょうか。Fuusenn会話2013年8月9日 (金) 16:46 (UTC)[返信]

「他の新聞はここで議論している日本人と東アジアの人々の比較の部分を重視していないと思いました。」とのことですが、それはただ単純に日本のマスコミは(どちらかといえば)左派系が多く右派系が喜びそうな記述を取り上げたくなかっただけであり、逆に産経新聞のような(どちらかといえば)右派系のマスコミが嬉々として取り上げたということでしょう。(学術的に、例の比較の部分を)重視するしない以前の問題として、各社のイデオロギーに対する姿勢が反映した結果に過ぎない。ただし、産経新聞の記事[6]によると、朝日新聞の文芸時評欄でも例の比較の部分が取り上げられているようです。

「~ことさら東アジアの人々の比較の部分を強調する読み方は偏向した読み方ではないでしょうか。」とのことですが、それは新たに「伊藤博文暗殺事件への反応」と題した節を設けて加筆すればいいのであって、「東アジア各国に対する認識」を削除して、代わりに伊藤博文暗殺に関する記述を設ける、という話にはなりません。先の投稿で提案したように、新たに「思想」の節を設けその下に「東アジア各国に対する認識」「伊藤博文暗殺事件への反応」の二つを設け、さらに今回の様に新たな二次資料が他にも出てきたら、新たに世事・世相に関連する節を設け、適宜加筆・編集するという形にすればいいと思います。

もう一度いいますが、WP:IMPERFECTをよく読んでください。WP:IMPERFECTには「ウィキペディアの方針とガイドラインに反しないものであるならば、不完全な記事を投稿することも歓迎されるべきです。」とあり、これがウィキペディアの編集方針です。一般論として、自分が気に入らない記述は削除する、あるいは置き換えるなどといった考えは論外で、そういった言動は議論の場に不要な無意味な感情の吐露であり、一顧だにする余地もありません。なるべく、加筆するという(どちらかといえば前向きの)方法でウィキペディアをより充実させていきましょう。

では、以下に「伊藤博文暗殺事件への反応」の文案を示します。

(文案2) 1909年(明治42年)11月5日付けの満洲日日新聞に掲載された漱石の随筆「韓満所感(上)」の記事において、伊藤博文の暗殺事件に触れており、「昨夜久し振りに寸閑を偸(ぬす)んで満洲日日へ何か消息を書かうと思ひ立つて、筆を執りながら二三行認め出すと、伊藤公が哈爾浜で狙撃されたと云ふ号外が来た。哈爾浜は余がつい先達て見物(けぶ)に行つた所で、公の狙撃されたと云ふプラツトフオームは、現に一ケ月前(ぜん)に余の靴の裏を押し付けた所だから、希有の兇変と云ふ事実以外に、場所の連想からくる強い刺激を頭に受けた」[1]などとした上で「余の如き政治上の門外漢は(中略)報道するの資格がないのだから極めて平凡な便り丈(だけ)に留めて置く」などと書いており、伊藤博文の暗殺事件に対する感想が綴られている。これに対し、作家黒川創は、「漱石は政治家運動家のような民衆の代弁者ではなく、ぐずぐずした個人の自由や生活を守ったまま、距離をおいて国家に向き合った。当時の日本人は現代の尖閣諸島問題に対するのとは違い、伊藤博文暗殺事件に過敏に反応するのではなく、何となくやり過ごそうとしていたような印象を受ける」と評している。[2]これに対し、原武哲福岡女学院大学名誉教授は、「満州の紀行文はよく知られているが、漱石の時代認識の弱さが批判の対象となっている。ここにもそれが出ているというべきか」と評している。[3]

  1. ^ 夏目漱石「韓満所感」(抜粋) 産経新聞. (2013年1月7日). 2013年5月12日閲覧。
  2. ^ 伊藤博文暗殺 漱石「驚いた」 旧満州の新聞に寄稿文 東京新聞. (2013年1月7日). 2013年8月10日閲覧。
  3. ^ 夏目漱石:伊藤博文暗殺で所感 余の如き門外漢は報道するの資格がない 作家・黒川創さんが発見 毎日新聞. (2013年1月7日). 2013年8月10日閲覧。

両論併記されており、問題ないでしょう。さて、これで議論も一巡し、WP:POLの各方針に沿った内容となり、問題は解消されたと思います。あと一週間ほど待って、特に異論がなければ私が示した二つの文案を本文に反映させたいと思います。--937会話2013年8月11日 (日) 09:59 (UTC)[返信]

お疲れさまです。文案はおおむねよいと思うのですが、論理的な面から指摘を。WP:IMPERFECT についてはおっしゃる通りなのですが、「不完全な記事」と「ないほうがよい記事」というのは性質が異なると思います。前者は完璧な記事にも含まれるべき内容の一部分であるのに対し、後者は完璧な記事であっても含まれないほうがよい内容のことでしょう。また、注目度が低いからという趣旨の主張に対し、他の事項を追記して両論併記とするのは、対応の方向性が違うのではないかと思います。この場合適切なのは、当該の部分(日本人と東アジアの人々の比較)についての産経新聞以外の出典を提示することでしょう。ところで「衝撃的で、各所で騒がれた」(937 さん)というのがよくわからないのですが、これは他にも出典がありうることを示唆するものでしょうか、それとも単に「ネットで話題になった」(Fuusenn さん)ということでしょうか。右とか左とかはよくわかりませんが、そのような政治的利用にしか価値がないということであれば、やはり一般的な注目度は比較的低いものと思われます。
さて、上のほうの文案をみると、二次資料が用意してあり、違和感を減ずるための処置も提案されているので、文案の記述は「ないほうがよい記事」ではなく「不完全な記事」であるように見て取れます。しかし、Fuusenn さんのコメントを受け新たに提示された文案(2013年8月11日 (日) 09:59 (UTC))もみると、韓満所感の項目を新たに作り、そこで記述してもよいように思われます。このような分割はガイドライン Wikipedia:ページの分割と統合#ページの分割 に反していないと考えます。 WP:IMPERFECT にも「記述の場所が適切ではない場合は、その位置を記事内で変える。もしくは、別の記事(既存、あるいは新しい記事)に移動する」とありますし。何か不都合な点はあるでしょうか?
なお朝日新聞の文芸時評の記事は[7][8] あたりと思われますが、私は会員ではないので読むことができません。--Calvero会話2013年8月11日 (日) 18:21 (UTC)[返信]
追記。こういう論文 があったので、とりあえず報告します。タイトルは「夏目漱石「満韓ところどころ」における差別表現と写生文」で、2012年9月受理とのことです。
漱石の項目で「思想」という節を作るなら、「自己本位」「則天去私」がその中心となると思います。それらと別に一節設けるなら、「東アジア各国に対する認識」(東アジア各国ではなく、現代でいう中国・韓国のみのことだと思われますが)というのを置くよりは、むしろ「帝国主義観」のようなもののほうがよさそうに思います。なお、現時点では韓満所感の項目を別に作ったほうが見通しが良いというのが私の所感です。--Calvero会話) 2013年8月11日 (日) 18:51 (UTC) 修正 --Calvero会話2013年8月11日 (日) 19:21 (UTC)[返信]
「WP:IMPERFECT についてはおっしゃる通りなのですが、「不完全な記事」と「ないほうがよい記事」というのは性質が異なると思います。」とのことですが、漱石のアジア観は必ずなくてはならない記述というほどではないかもしれませんが、あった方が良い記事ではあり、ないほうがよい記事とまでは言えないと思います。WP:POLの各方針に反した内容とも思えず、あっても問題ないとの認識です。
「この場合適切なのは、当該の部分(日本人と東アジアの人々の比較)についての産経新聞以外の出典を提示することでしょう。」「これは他にも出典がありうることを示唆するものでしょうか、それとも単に「ネットで話題になった」(Fuusenn さん)ということでしょうか。」とのことですが、ネットで騒ぎになったのは事実ですが、そもそも私は各社のイデオロギーに対する姿勢により、意図的に例の比較の部分を取り上げていないのではないかと思っています。他の出典を示すとなると、毎日新聞の記事[9]の「アジアへの優越感をつづっている」の部分と朝日新聞の文芸時評欄[10]、あとは「韓満所感」全文を掲載した「新潮」2013年2月号などが挙げられます。
「政治的利用にしか価値がないということであれば、やはり一般的な注目度は比較的低いものと思われます。」については、一般人の目に触れる前の段階、すなわちマスコミがどの内容を報道するのかを選別している段階で、イデオロギーに基づくバイアスがかかっており(マスコミに右派系左派系の違いがあることぐらい一般人でも知っているし、記事の内容にそれが反映されているのもさすがに常識でしょう)、マスコミが報じないから「一般的な注目度は比較的低い」、とするのはさすがに無理がある(マスコミによる選別が一般的な注目度を表しているとは思えない)。この件については、主観の問題も絡み、これ以上言い合っても仕方がないと思いますのでこの辺でやめときます。
「韓満所感の項目を新たに作り、そこで記述してもよいように思われます。」とのことですが、それはつまりWikipedia:ページの分割と統合#項目一部転記のことと思われますが、「甲に関しては分割と基本的に同じになります」に則って考えると、分割の要件である「ページの分量が肥大化」については、現在29キロバイト以上の項目なら数多くありますが、分割されてるのは特定の節の容量が多い場合が大半で、新たに設ける「思想」の節の内容量が多く見にくいというならともかく、現時点でそうでない以上分割する必要はないと思います。「ページ中で特定の説明だけの分量が多い」についても、韓満所感の内容を基にしているという共通点はあるものの(それでも分量が多いというほどではない)、それぞれ漱石の「東アジア各国に対する認識」と「伊藤博文暗殺への反応」と異なる事柄に対する説明であり、特に分量が多いわけではない。「見出し語の解説としては不要な記述もしくは見出し語との関係が不明確な記述」についても、漱石の思想ということで、関係は明確で不要な記述とも思えません。むしろ、Wikipedia:ページの分割と統合#分割すべきでない場合に当たると思います。すなわち、「分割した結果、いずれか一方または双方がスタブになる場合」については、現状「夏目漱石」の項目に「思想」に関する節を設ける場合、「東アジア各国に対する認識」「伊藤博文暗殺事件への反応」の二つのみで、分割したら「思想」の節がスタブになる。「1つにまとまっているべき情報である場合」についても、漱石の思想に関することは漱石の項目にあるのが自然で、それを「韓満所感」という全く別の漱石の著作の項目に移すのは本末転倒でしょう。従ってWP:IMPERFECTの「記述の場所が適切ではない場合は、その位置を記事内で変える。もしくは、別の記事(既存、あるいは新しい記事)に移動する」に当てはまらないと思います。
折衷案として、Wikipedia:ウィキペディア内でのコピーをするというのはどうでしょう。まず、「夏目漱石」の項目に「思想」の節を作りそこに二つの文案を反映させた上で、「韓満所感」の項目を新たに作り、そこに「夏目漱石」の項目の「思想」の節にある「東アジア各国に対する認識」「伊藤博文暗殺への反応」の二つの文章をコピーし纏める。これなら、私(漱石の思想に関することは漱石の項目にあるべき)とCalvero氏(韓満所感の項目を新たに作り、そこで記述する)双方の主張が満たされることになり、この辺が落とし所ではないかと思います。ただ正直言って、新聞に2回掲載されただけの記事を新たに項目を立てるほどのものなのかなとは思いますけど、反対はしません。
「それらと別に一節設けるなら、「東アジア各国に対する認識」(東アジア各国ではなく、現代でいう中国・韓国のみのことだと思われますが)というのを置くよりは、むしろ「帝国主義観」のようなもののほうがよさそうに思います。」とのことですが、「韓満所感」には日本に対する評価も書かれてあるので東アジア各国で合ってると思います(当時の東アジアの国は日本と清と大韓帝国のみでした)。それと、「帝国主義観」だと漱石が帝国主義観を持っていたという決めつけになりかねません。先の投稿で示した二次資料[11]にある「アジア観」の方が短く、上手く言い表していると思いますので、節のタイトルは「東アジア各国に対する認識」ではなく「アジア観」の方が良いと思います(変更提案)。--937会話2013年8月14日 (水) 07:57 (UTC)[返信]
文献を探したところ、漱石の帝国主義観、植民地主義観、中国・韓国観に関連する論文・書籍について、以下のように最近のものでも複数見られます。下記文献では先行研究も参照されており、1950年代の中野重治あたりから始まっているようです。CiNiiやグーグルブックス、グーグルスカラーで検索すればもっと出てきます。
  • 柴田勝二『漱石のなかの〈帝国〉―「国民作家」と近代日本』翰林書房、2006年。ISBN 978-4877372408 
    • 柴田勝二「陰画としての〈西洋〉―『門』と帝国主義」『東京外国語大学論集』第70巻、2005年、270–250頁、NAID 110002342227 (上記書籍の初出)
  • 水川隆夫『夏目漱石と戦争』平凡社〈平凡社新書〉、2010年。ISBN 978-4582855289 
  • 金正勲『漱石と朝鮮』中央大学出版部、2010年。ISBN 978-4805751725 
  • 朴順伊『アジア文化と文学思想―日韓比較の視点から』文真堂、2010年。ISBN 978-4830946646 
  • 范淑文 著「『満韓ところどころ』にみる日本人―不可視的な漱石の倫理観―」、范淑文 編『日本近現代文学に内在する他者としての「中国」』国立台湾大学出版中心、2012年。ISBN 978-986-03-2475-4 
  • 二宮智之『夏目漱石―研究小品の独自性と可能性』(pdf)広島大学〈広島大学大学院博士後期過程学位論文〉、2006年http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/diss/diss_ko4156.pdf 
  • 泊功「夏目漱石「満韓ところどころ」における差別表現と写生文」『函館工業高等専門学校紀要』第47巻、2013年、81–88頁、NAID 110009536094 
このように漱石の当時の日本・中国・韓国観などについてはすでに多くの研究があり、三次資料を豊富に用意することができるので、「思想」節および、その下に「XX観」の節を設けることには賛成です。
しかしながら、上記文献を(全部ではありませんが)読んだ限りでは、「韓満所感」を一次資料・その新聞記事などを二次資料とした記述を置いても、やはり漱石の思想の解説にはあまり役立たないと感じられます(論文ではないので、議論が簡単になりすぎている)。「満韓ところどころ」のほうに少し加筆しましたが、雰囲気をご参照ください。ああいった形でなければ、漱石がどのような思想を持っていたかについて、いかなる解釈がなされてきたか、またどのような解釈をすべきか、読者は判断できないのではないでしょうか。なお上記文献では、一次資料としては「満韓ところどころ」のほか「門」や個人宛書簡なども使われているようです。結局、上記の2個の文案は、やはり漱石の解説というよりも、「韓満所感」そのものの解説と見るのが適当と思います。従いまして、(1) 「思想」節はともかく作って加筆する(前記私の主張はほぼ維持)、(2) 「韓満所感」の解説は単独記事に分割する(維持)、のがよいと思います。1 を実施するまで 2 は行わない、ということであれば、「ないほうがよい」くらいに私には思われるのですが、仕方がないのでさしあたりそれでもよいと思います。また、「韓満所感」に基づく記述をこの項目からゼロにせよ、とまでは主張しないです。
--Calvero会話2013年8月18日 (日) 15:42 (UTC)[返信]
「ああいった形でなければ、漱石がどのような思想を持っていたかについて、いかなる解釈がなされてきたか、またどのような解釈をすべきか、読者は判断できないのではないでしょうか。」とのことですが、つまり一つの主題(今回の場合「漱石のアジア観」)に関して、肯定的、批判的、あるいはその他の立場での識者の見解を示すという事なのでしょうが、それは文案から加筆してもできるでしょう。漱石のアジア観に関する全ての一次資料を基に識者が見解を示していれば良いのでしょうが、今回発見された「韓満所感」はCalvero氏の示した文献の一次資料に入っていないようですし、それらを補完する意味でも(例え、「論文ではないので、議論が簡単になりすぎている」としても)文案の掲載は問題ないとの認識です。
「上記の2個の文案は、やはり漱石の解説というよりも、「韓満所感」そのものの解説と見るのが適当と思います」とのことですが、それは結果論であって、「「韓満所感」そのものの解説」としても成立するという話であり、文案を「夏目漱石」の項目から排除する理由にはならないと思います。
結論を言いますと、文案の「夏目漱石」本文への掲載は問題ないが、これだけでは不十分であり加筆が求められている。また、「「韓満所感」の解説は単独記事に分割」には反対で、新たに「韓満所感」の単独記事を立項し文案をコピーするのには反対しません。--937会話2013年8月20日 (火) 11:22 (UTC)[返信]
「韓満所感」に基づく記述をこの項目からゼロにせよ、とまでは主張しない」と述べたように、産経新聞などを出典として一文二文記述することには反対はしません。しかし、上記の文案のように延々と引用をする必要はないでしょう。結果論というのは、この場合の意味がわからなかったのですが、どういうことでしょうか?平川祐弘の論説は「「まあ」に問題はあろうが」という程度しか漱石の思想分析・解説をしておらず、上記の各文献のような分析・解説・主張がありません。ほかは個人の感想や事実の提示のみで、漱石の帝国主義観、中国・朝鮮観の解説とはなっていません。従って、漱石の項目においてはさして重要な記述とはならないでしょう。--Calvero会話2013年8月25日 (日) 00:28 (UTC)[返信]

「結果論というのは、この場合の意味がわからなかったのですが、どういうことでしょうか?」とのことですが、「東アジア各国に対する認識」「伊藤博文暗殺事件への反応」を記述する為に作成した(文案1)と(文案2)が、図らずも結果的に「「韓満所感」そのものの解説」としても成立したということ。

「平川祐弘の論説は「「まあ」に問題はあろうが」という程度しか漱石の思想分析・解説をしておらず、上記の各文献のような分析・解説・主張がありません。ほかは個人の感想や事実の提示のみで、漱石の帝国主義観、中国・朝鮮観の解説とはなっていません。」とのことですが、(文案1)の「漱石は植民地帝国の英国と張り合う気持ちが強かったせいか、ストレートに日本の植民地化事業を肯定し、在外邦人の活動を賀している。」「日韓併合に疑義を呈した石黒忠悳や上田敏のような政治的叡智(えいち)は示していない。」「「まあ」に問題はあろうが、ともかくも日本帝国一員として発展を賀したのだ。」の部分で「韓満所感」の分析・解説と同時に漱石の思想分析・解説も包含していると考えており問題ないとの認識です。(文案2)の黒川創のコメントも同様に、漱石の伊藤博文暗殺事件への反応に対する分析・解説がなされており問題ないと考えています。

ただ、(文案1)の松浦寿輝のコメントと(文案2)の原武哲のコメントは感想の域を出ないので、Calvero氏の意を酌みこの部分のみ除去します(Calvero氏は思想分析・解説のみの文章に拘っているようですが、勿論それがあることに越したことはないが、私は感想が含まれていても問題ないと考えています。ただ今回は妥協を図るため譲歩します。)。それと、先の投稿で「どちらかといえば肯定的、否定的な論評を両論併記しており、WP:NPOVに触れることもなかろうかと思います。」と書いたものの、平川祐弘と黒川創のコメントを改めて見てみると、特に肯定的とも否定的とも言えないのでこの点でも問題ないでしょう。

さて、私はなるべく皆さんの意に沿うよう、納得していただけるよう、文案を2つ作成し、コピー案を提示するなど努力してきましたが、今回のコメント一部除去案が私の示せる最大限の妥協案で、これ以上は不可能です。万人の納得する案というのは存在せず、それを模索すると際限なく続きそうなので、一旦どこかで折り合いをつけるとするなら、今回の最終案が落とし所だと思います。

最後にもう一度、私の提案を整理します。1.新たに「思想」節を設ける。2.その傘下に「アジア観」(「東アジア各国に対する認識」から改称)「伊藤博文暗殺事件への反応」の二つの節を設け、(文案3)と(文案4)を反映させる((文案1)(文案2)から識者のコメントを一部除去したもの)。3.「韓満所感」の記事を新たに作り、(文案3)と(文案4)をコピーし纏める。

以下に(文案3)と(文案4)を示します。

(文案3) ~「~真に運命の寵児と云はねばならぬ。」などと書いており[1][2]、当時の漱石の「アジア観[3]」が示されている。この一連の記事に対し、比較文学者の平川祐弘東京大学名誉教授は、「漱石は植民地帝国の英国と張り合う気持ちが強かったせいか、ストレートに日本の植民地化事業を肯定し、在外邦人の活動を賀している。日韓併合に疑義を呈した石黒忠悳上田敏のような政治的叡智(えいち)は示していない。正直に「余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た」「余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた」と書いている。「まあ」に問題はあろうが、ともかくも日本帝国一員として発展を賀したのだ。」と評している。[4][5]

  1. ^ 漱石の全集未収録随筆を発掘 作家の黒川創さんが小説に 1/2 産経新聞. (2013年1月7日). 2013年5月12日閲覧。
  2. ^ 夏目漱石「韓満所感」(抜粋) 産経新聞. (2013年1月7日). 2013年5月12日閲覧。
  3. ^ 漱石の全集未収録随筆を発掘 作家の黒川創さんが小説に 2/2 産経新聞. (2013年1月7日). 2013年5月12日閲覧。
  4. ^ 日本人に生まれて、まあよかった 比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘 1/4 産経新聞. (2013年4月3日). 2013年8月7日閲覧。
  5. ^ 日本人に生まれて、まあよかった 比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘 2/4 産経新聞. (2013年4月3日). 2013年8月7日閲覧。

(文案4) 1909年(明治42年)11月5日付けの満洲日日新聞に掲載された漱石の随筆「韓満所感(上)」の記事において、伊藤博文の暗殺事件に触れており、「昨夜久し振りに寸閑を偸(ぬす)んで満洲日日へ何か消息を書かうと思ひ立つて、筆を執りながら二三行認め出すと、伊藤公が哈爾浜で狙撃されたと云ふ号外が来た。哈爾浜は余がつい先達て見物(けぶ)に行つた所で、公の狙撃されたと云ふプラツトフオームは、現に一ケ月前(ぜん)に余の靴の裏を押し付けた所だから、希有の兇変と云ふ事実以外に、場所の連想からくる強い刺激を頭に受けた」[1]などとした上で「余の如き政治上の門外漢は(中略)報道するの資格がないのだから極めて平凡な便り丈(だけ)に留めて置く」などと書いており、伊藤博文の暗殺事件に対する感想が綴られている。これに対し、作家黒川創は、「漱石は政治家運動家のような民衆の代弁者ではなく、ぐずぐずした個人の自由や生活を守ったまま、距離をおいて国家に向き合った。当時の日本人は現代の尖閣諸島問題に対するのとは違い、伊藤博文暗殺事件に過敏に反応するのではなく、何となくやり過ごそうとしていたような印象を受ける」と評している。[2][3]

  1. ^ 夏目漱石「韓満所感」(抜粋) 産経新聞. (2013年1月7日). 2013年5月12日閲覧。
  2. ^ 伊藤博文暗殺 漱石「驚いた」 旧満州の新聞に寄稿文 東京新聞. (2013年1月7日). 2013年8月10日閲覧。
  3. ^ 夏目漱石:伊藤博文暗殺で所感 余の如き門外漢は報道するの資格がない 作家・黒川創さんが発見 毎日新聞. (2013年1月7日). 2013年8月10日閲覧。

以上が私の提案であり最終妥協案となります。完璧な記事ではないかもしれないし、納得できないところもあると思いますが、それはお互い様で、WP:IMPERFECTに照らし合わせて見ても、現状この案で概ね問題はないと考えており、足りない部分は加筆で十分対応可能と考えています。--937会話2013年8月27日 (火) 11:22 (UTC)[返信]

一週間以上経ちましたが、特に異論がないようなので、上記の提案通りに実施しました。--937会話2013年9月7日 (土) 09:06 (UTC)[返信]

「日本の保守思想家」のカテゴリに入っていることについて[編集]

表題どおりですが、夏目漱石が保守思想家だったというのはどのようなソースに基づくことなのでしょうか? 「私の個人主義」という著作(講演)があることや、保守思想家バークの『省察』に対し、「これくらいわからない本はない」「嫌な本」などと語っていることから考えても[12]、むしろリベラルに近い思想を持っていたのではないかと思います。--AT会話2014年12月19日 (金) 02:26 (UTC)[返信]

夏目漱石が保守思想家であるというソースが全く見つからない(むしろ逆の証拠ばかり見つかる)ため、とりあえず削除をしておきました。--AT会話2014年12月19日 (金) 02:26 (UTC)[返信]

そのカテゴリは当方が以前出したWikipedia:削除依頼/保守主義人物のカテゴリで一度存続になっています。1つの参考として提示します。--K-iczn会話2014年12月26日 (金) 06:04 (UTC)[返信]

差別表現など[編集]

被差別部落への差別表現などをことさら強調して加筆している方がいますが、記事のバランスとしていかがなものでしょうか? --忠太会話2015年1月21日 (水) 15:29 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

夏目漱石」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月29日 (金) 23:57 (UTC)[返信]