ノート:右翼

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英語出典の確認[編集]

「右翼は政治においては、「特権階級による特権の維持を目指すための社会制度を支持する層」や、「体制・身分・名誉・伝統的な社会格差や価値観の構造を維持することが目標として定められている社会運動」を指すとされ、社会秩序や社会的成層への支持を表すためにも使われる」という記載について、出典を確認すると以下が提示されています

  • 1;T. Alexander Smith, Raymond Tatalovich. Cultures at war: moral conflicts in western democracies. Toronto, Canada: Broadview Press, Ltd, 2003. Pp 30. "That viewpoint is held by contemporary sociologists, for whom 'right-wing movements' are conceptualized as 'social movements whose stated goals are to maintain structures of order, status, honor, or traditional social differences or values' as compared to left-wing movements which seek 'greater equality or political participation.' In other words, the sociological perspective sees preservationist politics as a right-wing attempt to defend privilege within the social hierarchy.
  • 2;Left and right: the significance of a political distinction, Norberto Bobbio and Allan Cameron, pg. 37, University of Chicago Press, 1997.
  • 3;Seymour Martin Lipset, cited in Fuchs, D., and Klingemann, H. 1990. The left-right schema. Pp.203–34 in Continuities in Political Action: A Longitudinal Study of Political Orientations in Three Western Democracies, ed.M.Jennings et al. Berlin:de Gruyter
  • 4;Lukes, Steven. 'Epilogue: The Grand Dichotomy of the Twentieth Century': concluding chapter to T. Ball and R. Bellamy (eds.), The Cambridge History of Twentieth-Century Political Thought. Pp.610–612
  • 5;Clark, William. Capitalism, not Globalism. University of Michigan Press, 2003. ISBN 0-472-11293-7, ISBN 978-0-472-11293-7

この内、5の文献については該当箇所のページ番号が記載されておらず、出典の確認ができません。よって削除します。復帰する場合はページ番号を明記し、また該当文を注釈または本文に明記してください。

2,3.4の文献については英語原文ではどう書かれていますか。ノートでいいので紹介してください。一般的な用語で、文献も日本語で多数あるのだから、出典を補足してください。出典及び原文の内容が確認されるまでは削除しておきます。

1についてT. Alexander SmithとRaymond Tatalovichを調査しましたが、Lukesやボッビオのような高名な研究者ではないようです。そうした研究者の見解を冒頭で、決定的な学説であるかのように記載することは、推奨されません。WP:AWWに基づき修正します。--240F:36:82F2:1:5B1:675F:BBA1:949E 2021年6月10日 (木) 14:22 (UTC)[返信]

これに連動して上記2-5文献の別の箇所での出典表記は連動して削除します。復帰する場合はページ番号及びげんぶんの該当箇所をノートなどで明記してください。なお、この連動した当該箇所は内容的には、西田毅記事などのコトバンクなどから補足できるものです。--240F:36:82F2:1:5B1:675F:BBA1:949E 2021年6月10日 (木) 14:37 (UTC)[返信]

モンゴル[編集]

英語版 Wikipediaではダヤル・モンゴルとツァガーン・カズTsagaan Khassが同一団体のように記載されていますがTania Branigan,Mongolian neo-Nazis: Anti-Chinese sentiment fuels rise of ultra-nationalism,Mon 2 Aug 2010,16:13BST.The Guardianでは同一団体とは書かれていません。--240F:36:82F2:1:4559:7ABA:C9E9:1491 2021年6月13日 (日) 06:21 (UTC)[返信]

ちょっと待ってください。あなたが削除した出典には[1]「産業法規を無視するような「やりたい放題」の中国資本、後を絶たない不法入国、衛生観念の欠落、地元女性をほしいままにする素行の悪さ・・・。「それは日々の新聞の見出しになるほどよ」とマギーは言う。」と書かれていますよ。見落としてしまったのかもしれませんね。

「同一出典の整理」と言って出典を削除していますが[2]、ページが違うから同一出典ではありません。もしこんな編集をしたら閲覧者が出典を確認することができません。(クリックしてみたら別記事が書かれてある)。--2001:268:C0CD:E70E:AC86:CF48:B6D3:5D2C 2021年8月4日 (水) 10:50 (UTC)[返信]

右派の範囲について[編集]

保守中道も掲げる中道左派政党は右派政党に含まれるかどうか--社会市民会話2024年4月9日 (火) 15:44 (UTC)[返信]

中道左派の政党であれば右派に記載すべきではないと思います。保守主義を掲げる左派政党もあり、このような記載をしていたらきりがなくなります。もし「保守」を掲げる全ての政党を対象とする場合極左政党左翼党から分裂したザーラ・ワーゲンクネヒト同盟なども対象となってしまい、右派の人物として不適切です
「左派」、「右派」というのは総合的な評価で判断すべきであり、保守、リベラルなどの部分的な評価で判断すべきではありません。@JoshuaFFF--社会市民会話2024年4月9日 (火) 21:34 (UTC)[返信]
インド国民会議が左派政党となったのは1966年のインディラ・ガンディー以降から。それ以前のマハトマ・ガンディー時代の頃は右派左派が混在した政党。総合評価と言うのは過去の状態も考慮される。--JoshuaFFF会話2024年4月20日 (土) 11:07 (UTC)[返信]
保守政党=右派政党ということを示す反論にはなっていない。
インド国民会議がガンディー時代は左派政党でないとする根拠を示していない。--社会市民会話2024年4月20日 (土) 12:55 (UTC)[返信]
インド国民会議のwikipediaの記事を見たら分かるが、ガンディーは左派と右派に分裂していた国民会議を統一した。また英語版のインド国民会議の記事には、ガンジーは党内の社会主義団体を追放している。--JoshuaFFF会話2024年4月21日 (日) 16:18 (UTC)[返信]
社会党右派のように「党内右派」であっても中道左派である例は存在します。インド国民会議が「右派政党」である証拠にはなりません。
また、日本の民社党ドイツ社会民主党などの中道左派政党が反共主義を掲げている例は多々あり、社会主義者を追放したから右派だという証拠にはなりません。--社会市民会話2024年4月21日 (日) 23:34 (UTC)[返信]
中道左派である証拠はあるのですか?ガンジー時代のインド国民会議は右派左派が混在した政党だった根拠を私は出している。--JoshuaFFF会話2024年4月22日 (月) 15:31 (UTC)[返信]
前述の通り左右に分裂していたというのは党内左派、党内右派の話であり証拠になりません。
また、インド国民会議のページ内に中道左派である出典は存在します--社会市民会話2024年4月22日 (月) 23:05 (UTC)[返信]
その出典は現在の党の状態の物です。出典の中身をよく見て下さい。ガンジーの時代の事ではありません。繰り返しますが、ガンジーの時代は右派左派が混在していたため、中道左派は確立されていません。左派に傾き始めたのはガンジー暗殺直前に首相になったネルー首相以降、そして左派政党として確立したのはネルーの娘インディラ・ガンディーが党内右派を追い出した時です。私マハトマ・ガンジー自身が右派と左派をまとめたり、党内左派を追放した証拠を出しました。あなたはガンジー時代が左派だった根拠を出して下さい。--JoshuaFFF会話2024年4月23日 (火) 15:58 (UTC)[返信]
JoshuaFFFさんのおっしゃる「ガンジー時代のインド国民会議は右派左派が混在した政党だった根拠」は、どこにあるのでしょうか?見つけることができませんでした。--TFhhtt会話2024年4月23日 (火) 22:55 (UTC)[返信]
https://www.jstage.jst.go.jp/article/asianstudies/5/2/5_18/_pdf/-char/ja
の37ページで首相になる前のネルーはこう述べています。
「私は会議派が、社会主義の組織になることを望む。しかし、私は会議派の大多数は今日それが示しているように、そこまで進んでいく用意がないことも私は知っている」
また38ページにはこうあります。
「事実、会議派の全印委員会15人のうち、10人は保守派で、1人は獄中、社会主義者は4人であった」
国民会議が左派に大きく傾いたのは、この後ネルーが首相になり、ガンジーが死去し、また党内右派の大物であるパテルが亡くなった1950年以降のようです。ちなみに非暴力を掲げるガンジー主義は、左翼思想ではありません。
また、現代の2019年においても、ワシントンポストがインド国民会議を中道政党として取り上げています。
https://www.washingtonpost.com/politics/2019/05/31/indias-election-results-were-more-than-modi-wave/--JoshuaFFF会話2024年4月24日 (水) 15:39 (UTC)[返信]
党内の一部に右派がいたとしても党そのものは右派政党ではない
左派(社会主義者)の追放も前述のとおり右派という証拠にはならない
インド国民会議内の中道左派の出典にネルー以降との記述はない--社会市民会話2024年4月24日 (水) 06:47 (UTC)[返信]
また前述のとおり「党内右派」では社会党右派が中道左派だったように「右派」と断定することができません--社会市民会話2024年4月24日 (水) 07:15 (UTC)[返信]
私はガンジー時代のインド国民会議が右派政党だと言ってるのではなく、右派左派が混在した政党だと言ってます。あの出典は1950年のネルーやその娘のインディラ・ガンディーを根拠に左派政党だと述べています。また、インド国民会議の大物右派であるパテルは、ヒンドゥー至上主義を掲げています。つまり「党内右派は左派である」ではなく政治的な保守右派です。あなたはガンジー時代のインド国民会議が、完全に左派であった根拠を出して下さい。--JoshuaFFF会話2024年4月24日 (水) 15:59 (UTC)[返信]
JoshuaFFFさんのおっしゃる根拠はわかりました。しかし、端的に言うと私は社会市民さんと同じ意見です。JoshuaFFFさんの提示する出典はあくまでインド国民会議の内部での出来事を説明するものであって、インド国民会議という政党自体を「左派」「右派」と説明したものではありません。このため、社会市民さんの意見のほうがWikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」に従っており、この場では適切でしょう。--TFhhtt会話2024年4月24日 (水) 23:32 (UTC)[返信]
そのガイダンスはガンジー時代が左派であったと主張する側に該当することでしょう。私の知る限り、ガンジー時代のインド国民会議は完全な左派であったとの記事はありません。また、私の根拠は国際政治学者の坂本徳松であり、Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が重視している信頼できる情報源に該当しています。
私は
・ガンジーが党内の社会主義組織を追放した(wikipedia英語版インド国民会議)
・ガンジーは右派左派をまとめあげた(wikipedia日本語版インド国民会議)
・首相になる前のネルーは党が社会主義組織ではないと認めた(坂本37ページ)
・党委員会は保守派が多数派だった(坂本38ページ)
と複数の根拠を出しています。また坂本の40ページにも「社会主義綱領の実現は、インド独立(1947年)後の課題として残された」と書かれています。つまり政党自体が左派だと宣言していません。
そちらはガンジー時代が左派であったかどうかは、持論のみで根拠が一つもないため、Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が該当しています。--JoshuaFFF会話2024年4月25日 (木) 14:58 (UTC)[返信]
>ガンジー時代が左派であったかどうか
既に社会市民さんがおっしゃっている通り、インド国民会議内の出典には、中道左派と言及されており、同時にその出典には「ネルー以降」との記述はないので、「インド国民会議は中道左派である」という情報は『検証可能』です。--TFhhtt会話2024年4月25日 (木) 23:24 (UTC)[返信]
インド国民会議を中道左派とする出典は2つありますが、1つは表題が「Saez, Lawrence; Sinha, Aseema (2010). “Political cycles, political institutions and public expenditure in India, 1980–2000”. British Journal of Political Science」つまり80年~00年代を論じている出典です。もう1つは1950年代のネルー首相時代を元に述べています。争点としているガンジー時代の事ではありません。ガンジーが暗殺されたのは1948年です。繰り返しますが、ガンジー時代の党が完全な左派だったという根拠を出して下さい。--JoshuaFFF会話2024年4月26日 (金) 14:50 (UTC)[返信]
仮に当時のインド国民会議が中道左派でなかったとして、残る出典は「中道」です、右派政党ではありません--社会市民会話2024年4月27日 (土) 03:34 (UTC)[返信]
残る出典は保守中道ですよ。一般的に保守は右派にあたります。--JoshuaFFF会話2024年4月27日 (土) 11:48 (UTC)[返信]
以前述べたように保守主義の左派政党がある例があり、保守主義を根拠に「右派政党」と断定することはできません
「保守中道」というのも元々は「中道」とされていたのを後から他に1つ出典を付けたことを根拠に「保守」を追加したものであり、残りの2つの出典はそもそも「中道」として記載されていました--社会市民会話2024年4月27日 (土) 12:34 (UTC)[返信]
インド国民会議の右派をまとめていたパテルは、ヒンドゥー至上主義でありこの思想は、いわゆる一般的な右派であり左派とは解釈されません。そして出典は1つでは無効なんて編集は聞いたことありません。--JoshuaFFF会話2024年4月27日 (土) 13:39 (UTC)[返信]
「党内右派」ではなく党全体の評価として「右派政党」である根拠を出せと何度も言っているじゃないですか
それに私h出典が1つなら無効なんて言っていません、残りの2つの出典は当時のインド国民会議が「中道左派政党」でなかったとしたら「中道政党」になる言っているんです--社会市民会話2024年4月27日 (土) 14:07 (UTC)[返信]
私は党全体が右派なんて最初から言ってませんよ。ガンジー時代は右派と左派が混在していた、と数回言ってます。よく読んでください。そして右派がいた根拠も出しています。あとわざわざ出典は1つと取り上げた時点で、あなたは出典の無効化を図ったと捉えられますよ。中道政党だけではなく保守中道の出典もあるのならば、保守中道の要素もあったとすべきで、この右翼への記事への記述は可能でしょう。またインド国民会議の記事にはまだ載ってない右派の要素を、私がここで出した出典でも補強できますし。もちろんこの右翼記事のガンジーに注釈は添えますよ。「ガンジー時代の党は右派や左派が混在してた時代だった」と。--JoshuaFFF会話2024年4月27日 (土) 15:13 (UTC)[返信]
右派がいた根拠ではなく、「右派政党」である根拠を出してください
保守中道についても何度も言うように保守主義の左派政党がある時点で右派政党だとする根拠にはなりません
「中道政党」だという出典だけが残るなら右翼ではなく中道政治のページに記載すべきでしょう--社会市民会話2024年4月28日 (日) 02:11 (UTC)[返信]

終了アカウントJoshuaFFFは、UB7さんの多重アカウントとして無期限ブロックを受けたため、本件は終了とします。--TFhhtt会話2024年4月29日 (月) 23:14 (UTC)[返信]