ノート:九州王朝説/過去ログ3

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
過去ログ2 過去ログ3 過去ログ4

九州王朝と九州王朝説の統合報告

記事の重複があり、最初の筆者が同じと思われるため、また、特に有効なリンク先もないため、九州王朝をこの記事に統合いたしました。--202.248.88.144 2005年6月25日 (土) 13:39 (UTC)

2009年に一度復活しました。新資料倭書が発見されたからですが、取り消された上に編集保護されたため、今ではみれません。再び、復活させようと思っています。--121.84.97.180 2009年4月9日 (木) 07:48 (UTC)

本項目議論に関係しない部分についてのメモ

たしかにあいまいさ回避へのリンクは好ましくないですね。私はご提案に同意します。一応、しばらくの間、様子を見て異論がなければ、管理者伝言板にお願いしたいと思います。一応、ノートでの合意が前提となっているようなので。--ごまふあざ 2008年1月3日 (木) 12:23 (UTC)
125.28.188.45さんのご提案から1週間以上経過し、異論がありませんでしたので、管理者伝言板に依頼を提出しました。--ごまふあざ 2008年1月12日 (土) 12:03 (UTC)
修正しました。--スのG 2008年1月12日 (土) 12:19 (UTC)
早々のご対処、ありがとうございました。--ごまふあざ 2008年1月12日 (土) 14:33 (UTC)

リバートについて

  • 私の加筆が黄金もちさんによって(独自研究は×)ということでリバートされていますが、黄金もちさんが「独自研究」と指摘されているところは、恐らく邪馬臺国についてのところにつてであろうと思いますが、元の版でも邪馬臺国について「伊都國が魏使の目的地」としており、今回は書換えではなく説明を加えたものです。古田説の紹介、古田説ではないことについての説明やその他の項目についても説明加えたものです。従って、黄金もちさんのリバートは適当とはいえません。今のままでは説明が不足し意味な解説になっています。私が加筆した版に戻してください。--Sekai s2 2008年5月25日 (日) 03:10 (UTC)

「論争敗北とは云々」はニヤーヤ・スートラの論諍(勝つために手段を選ばない討論、問答) のはなしです。確かに、黙っていたら論諍に負けますが・・。--黄金もち 2008年5月31日 (土) 18:43 (UTC)

  1. 保護は、どの版かを選んで保護することはできません。内容を問うことはできません。それも理解せずに保護依頼を出されましたか?
  2. また、今回の発言と、保護解除依頼→保護依頼の流れについては「自説主張のための編集だけしたかったから解除をお願いしたけど、否定(リバート)されたからもう一度保護してほしい」という管理者を自分勝手に使おうとした、きわめて問題視すべき行動であると理解していいですか?
  3. 語りえないことについては人は沈黙せねばならない」これ、笑うところですよね。「語りえぬこと」が、なんなのかわからないなら、書かないでもらいたいし、そもそも百科辞典の人文系項目に一切かかわるべきではないと思いますが。なお、沈黙と「あきれて相手にできない」は違います。
  4. 文章を書き直しているのだから、誤字脱字ぐらいなおしたらどうですか。
すいません、とりいそぎで言葉きついですが。--ごまふあざ 2008年5月28日 (水) 04:48 (UTC)
  • 著作権問題も誤解が解けたようです。「説の歴史と問題点」の記述に一部不満があるようですが、当方些事には拘りません。内容について、特に大きな異論が無いようであれば、合意が形成れたとみて、再び解除依頼を申請したいと思いますが如何でしょうか?大量に加筆したので、誤植もあるでしょうが、ウィキペディアのブラウザでないと見にくいし訂正し難いので、保護解除になってから修正してください。--Sekai s2 2008年6月23日 (月) 06:10 (UTC)
えーと、原則として合意できません。著作権に関しては、wikipediaのどの版が、当該サイトの執筆者が持ち込んだものか明確に示されていない以上、なお疑念は100%解消されるには至っていないと考えます。また、書籍の引き写しの部分についても、ほかに「地雷」がないとは言い切れない以上、私は安全側にたおしてほしいです。ただ、これは、他の多くの方との判断が異なる可能性がありそうなので、強くは言いません。もう一つのほうがより重要で、自主公表された情報源であるところからの引き写しが前提の保護解除依頼は、到底同意できません。信頼できる情報源をもとにした、正確な評価・記述を行うことが求められます。この点に関しては、強めに主張しておきます。当然ながら独自研究も許されません。誤字脱字についてはプレビューして常に推敲するようにしてください。短文でも十分多いですよ。--ごまふあざ 2008年6月24日 (火) 10:08 (UTC)
上記の点について、コメントをしてから編集してくださるよう、よろしくお願いします。最低限、当該サイトではなく、信頼できる情報源を用いることのみにて記述することの確約をお願いします。もし、納得できないようでしたら、もっと広くみなさまからコメントをいただくようにしましょう。それより前に編集をされるようでしたら、あなた自身の行動を問題視させていただきます。--ごまふあざ 2008年6月24日 (火) 14:56 (UTC)
  • ボランティアスペースで好きなことを書くのはやはり拙いでしょう。九州王朝ファン(皮肉ではありませんよ)の私としては残念です。異説(奇説と言う人もいますが)を尊重したいのです。主観を交えず客観的に九州王朝説の概要をまとめてあれば嬉しいのですが・・・。
>古田および古田史学会以外にも多くの研究者がおり
「多くの」とするのは主観でしょう。「研究者」とありますが、この場合はプロの歴史学、考古学の研究者ではないことを明記しないと、読み手に誤解を与えます。九州王朝説を主張する人々を「研究者」と表現することについては、意見が分かれるでしょう。よって、「中立的な観点」から問題がありますが。
古田氏について行けず古田史学会から独立した研究グループもあります。古田史学会以外の著作物も数多く出版されています。
>以下に代表的な九州王朝説を記す
「代表的な」は誰が判定したのでしょう。「独自研究」の疑いがありますが。
古田説を中心に、批判の無いところを選んでいます。
>批判のあるような『通典』の解釈は省略した
九州王朝説批判の論点を、なぜ省略するのでしょう。「中立的な観点」から問題がありませんか。
『通典』解釈批判については、掲載しています。
>「「短里」を用い「陸行一月」を「陸行一日」の間違いである」とした研究者は「邪馬台国北九州説」を主張した東京大学の白鳥庫吉博士などがいる
白鳥庫吉は一里約140m。魏晋朝短里説とは異なることを明記しないと、読み手に誤解を与えますが。
明記します。
>古田は韓国内陸行説を唱えているが、韓国沿岸水行→朝鮮海峡渡海→伊都国説もあるので省略する
古田さんの説をなぜ省略するのでしょう。恣意的な紹介ですよ。
理由を追加します。
>西都原で出現期の前方後円墳が発見されるなど、前方後円墳の中心は近畿大和は怪しくなっている。
西都原81号墳ですか。柳沢先生は「大和政権と呼ばれているものは全国の豪族が広く連携したシステムと考えられ、南九州の勢力もいち早く、古墳を取り入れたと言えるのではないか」と話されているようですが(2005年5月18日毎日新聞)。「前方後円墳の中心は近畿大和は怪しくなっている」はどなたのご意見でしょうか。
この書き込みについては、私は係わっていません。疑問にお考えなら「要出典」をお付けになれば?
>これまでの土器の編年についても問題が指摘され、土器の移動「近畿・中国地方⇒北部九州」も怪しくなっている
庄内式土器を3世紀とする説もあります(寺沢薫『王権誕生』講談社 2000年)。邪馬台国畿内説には有利な説ですが、両論併記すべきではないでしょうか。
脚注で両論併記して結構です。
>古代わが国では「曲水の宴」は宮廷行事であり主催者は天皇であった。ヤマト王権で「曲水の宴」が開催されはたのは8世紀以降であるが、福岡県久留米市には、8世紀以前の「曲水の宴」の遺構があり、九州に王権があったことを窺わせる
2007年7月3日に掘っ立てさんが記したものを転記いたします。
①本来曲水の宴は宮廷行事であり主催者は天皇であった。
本来曲水の宴は中国より伝来しました行事でございまして、かの国では宮廷行事とは申せぬ世俗的な行事であります。ただ、我が国におきましては、宮廷の催しごとでありましたのも事実でございます。ただ、『万葉集』巻十九に中納言家持が曲水宴を詠める「漢人毛 筏浮而 遊云 今日曽我勢故 花縵世余(からびとの舟を浮かべて遊ぶてふ今日ぞわがせこ花かづらせよ)」がございますように、天平勝宝2年(750年)には私的な遊びとして催されていたのでございます。
③また、福岡県久留米市でも、8世紀以前の曲水の宴の跡が発掘されており、筑紫の君磐井が天皇の命に従わず礼無なことが多かったと非難された一つであるとする見解もある。更には九州王朝が存在した証拠であるとす主張もある。
先にも申し上げましたように、遺跡は必ずしも曲水の宴が催された証拠とは申せないのでございます。筑紫の君磐井云々は一つの推論を超えるものではなく、ましてや九州王朝に纏わる主張をアカデミズムの世界は歯牙にもかけておらず、畢竟俗説と申さざるをえないのでございます。
ここは古田氏の主張を掲載しているでけですので、脚注に反論を掲載して結構です。
>奈良地方に現存する建築物は8世紀以降の建築でありそれ以前のものは存在しない。
古墳も建築物ですけどね。木造建築物でも遺構ならありますけど。
脚注で両論併記して結構です。
>5世紀まで鉄は国内では産せず朝鮮半島産の物を輸入し加工して使用していた。朝鮮半島に近い九州(倭)は地の利を活かし多くの鉄を獲得し、日本国内で軍事的な優位を保つ事が出来た。朝鮮半島に於ける倭の永年の戦闘も鉄を獲得する事が大きな目的であった。5世紀以後、国内でも鉄の生産が開始されると、九州の鉄を背景とした軍事的な優位は徐々に失われていき永年の戦闘で疲弊した九州に代わって、大和を中心とする勢力が増大し日本全体の覇権を握るようになった
教科書的な通説の換骨奪胎、パロディーでしょうか。
東アジアの視点で、日本の歴史を学ぶ
ヤマト王権は鉄を使って勢力を広げたって本当?
「独自研究」の疑いがありますが、百歩譲っても両論併記すべきでは。
脚注で両論併記して結構です。
>論争に於ける沈黙は敗北を意味する
ノートでの議論に充分に参加されていないのではありませんか。
削除して結構です。
>安本美典 『古代九州王朝はなかった』(新人物往来社)には、井上光貞が九州王朝説を「空中楼閣」と評したとしている
なぜ省略するのでしょう。安本さんは楼閣より蜃気楼(貝やぐら)と書かれてるんですが(キツイな)。
故意ではありません。編集上誤って削除されただけでは?追加(復元)して結構です。
>一研究者や一研究団体に対する批判を以って九州王朝説全体への批判とするのは、藤村新一への批判を以って日本考古学全体への批判とするようなものであり理論の飛躍である。ここに挙げた九州王朝説も古田の主張は一部に過ぎない。
あなたや他の研究者を日本の考古学界、古田さんを藤村さんにたとえていると受け取られかねませんよ。こりゃ拙いでしょう。乱文ご海容のほどを。--黄金もち 2008年6月28日 (土) 21:54 (UTC)
確かに古田氏を藤村新一と比べるのは不味いですね(^ ^;--125.3.182.213 2008年6月29日 (日) 00:21 (UTC)

九州王朝説も結構長いこと続きますね。30年来の読者としては嬉しい限りです。古田先生、安本先生をはじめ、多数の皆々様方のご健康と皆々様方がますます意気盛んであられることを願っております。 --黄金もち 2008年6月29日 (日) 03:58 (UTC)

125.3.182.213さんは202.147.214.58さんを別人だとおっしゃるのですね、なるほど了解しました。 IPユーザーさんの編集をリバートさせていただきましたが、Sekai s2さんが2008年6月24日以降編集に参加しておられないことが少々気になります。125.3.182.213さんはSekai s2さん、しょかいさんとは別の方でしょうか?--黄金もち 2008年6月29日 (日) 04:26 (UTC)

「論争に於ける沈黙は敗北を意味する」と書かれたのはSekai s2さんでしたね。↑で

>論争に於ける沈黙は敗北を意味する
削除して結構です。

と125.3.182.213さんが書かれています。「論争に於ける沈黙は敗北を意味する」について「削除して結構です。」とコメントされているわけですね。他人の発言について、「削除して結構です。」と仰るのも不自然ですから、「論争に於ける沈黙は敗北を意味する」はおそらくご自分の発言なのでしょう。

125.3.182.213さんはSekai s2さんと同じ方なのでしょうか。仮に125.3.182.213さんがSekai s2さんと同じ方なら、なぜログインしないのでしょう。

ごまふあざさんがSekai s2さんに「信頼できる情報源をもとにした、正確な評価・記述を行うことが求められます。この点に関しては、強めに主張しておきます。当然ながら独自研究も許されません。」と当然のことを要請されましたが、Sekai s2さんは返答をされていません。また「上記の点について、コメントをしてから編集してくださるよう、よろしくお願いします。」とSekai s2さんにコメントを求めておられます。Sekai s2さんはコメントをされていません。

仮に125.3.182.213さんがSekai s2さんと同じ方なら、ごまふあざさんにコメントをしたくないからあえてログインせずにIPユーザー125.3.182.213として編集をおこなったのでしょうか。

「具体的に何処が信頼できないのでしょうか?全部をリバートすのは間違っています。出典が欲しければ「要出典」を付けるなどの手順を踏まえるべきです。」「以下のような議論を先にすべきです。」と125.3.182.213さんは書いておられます。

仮に125.3.182.213さんがSekai s2さんと同じ方なら、ご自身はコメントを避けて編集を強行しながら、他者にはリバートする前に「議論を先にすべき」と発言していることになるのでしょうか。もしそうならダブルスタンダードですね。

125.3.182.213様、Sekai s2様、以上の件についてご説明いただけませんでしょうか。125.3.182.213様、Sekai s2様が同じ方でないのなら、その旨ご明言いただけませんでしょうか。よろしくお願いいたします。

ご説明いただけない場合は対策対応を考えざるをえなくなりますので、何卒よろしくお願いいたします。--黄金もち 2008年6月29日 (日) 15:30 (UTC)

独自研究に当る疑いのある邪馬台国についての箇所を省いてごまふあざさんとの合意内で編集しており、問題ないと考えます。黄金もちさんは、自分が行ったアラシ行為について反省すべきです。黄金もちさんは上記内容で合意されたのでしょうか?--125.3.182.213 2008年6月30日 (月) 14:37 (UTC)
もう、「語るに落ちる」状態だったので、時間ができてから記述の大整理の提案をしようと思っていましたが、保護になったようですね。なので、一応感想をコメントしておきます。感想です。Sekai s2さんは、九州王朝説の関連サイトの管理者とのこと。熊本の方のようですね。125.3.182.213さんも、熊本の方ですね。ちなみに、九州王朝説を編集していたもう一つのIPさんも、熊本の方です。そもそも125.3.182.213さんは、Sekai s2さんとのIPアドレスが違うといわれていますが、なぜIPが違うとわかるのかが、私にはわかりません。同じプロバイダをたまたま使用していれば、同じIPになる可能性はありますが、確信を持って「違う」といえるのですね。私にとってみれば、むしろ、そのことが不自然に見えます。Sekai s2さんが編集しなくなって、私の利用者ページを荒らしが入りました。ご丁寧にネットカフェあたりのようですね。これは、現状では地域不明ですが。ま、それ以上に何も言えることがあるわけではないので、あくまでも感想です。ただ、この一連の編集と行動は、熊本の、ある一部の人たちと九州王朝説を主張する人々の評判を確実に落とすものであったろうことは厳しく指摘しておきます。(編集競合しましたが、上記についてはそのまま書きます)
現時点では、IPさんと合意を得ているとは理解していません。邪馬台国以外の部分については、独自研究でないと、私がなぜ理解したとお考えでしょうか。私は、保護解除後の編集のほとんどが独自研究ではないかと考えています。その疑念を十分に払拭できるようなまとまった「説得」を期待しています。--ごまふあざ 2008年6月30日 (月) 16:29 (UTC)
どこが独自研究なのでしょうか?九州王朝説をご存知でしょうか?古田史学報を購読してます?九州王朝説関係の本は何冊持ってます?大整理の提案を提案されるくらいの九州王朝説の研究者ですか?だた州王朝説が目障りだから削除したいだけでしょう。それでしたら、それも荒らしですよ。--125.3.182.213 2008年7月1日 (火) 23:09 (UTC)
(インデント変えました)九州王朝説について、知っているかどうか、といわれれば、あなたよりは知らないかもしれませんね。しかし、ここで九州王朝説の正当性を声高に主張する人々よりは、九州王朝説について「ある種のことがわかっている」ということは、間違いなく言えると思います。日本古代史学や考古学については、知っているしわかっているでしょう。と、同時に、Wikipediaのルールについても、IPさんやSekai s2さんよりは、わかっていると思います。私は、九州王朝説を必要以上に貶めるつもりもありませんし、賞賛する気もありません。ただ、ここ(Wikipedia)に書いていいことは、信頼できる情報源に基づいた、世の中の最大公約数でしかないのです。その最大公約数とはなにか、を考えれば、何が問題とされているのかがわかるでしょう。私がいうまとまった「説得」とは、原則として、すべての記述に出典をつけて示してほしい、ということです。誰が何を言っているのかわからない、それも、しっかりとした書籍にも査読雑誌にもならず、古田氏の唱える九州王朝説とも異なる見解を好き勝手に言っているものが混在している疑惑があるものを、最大公約数とはいいませんよね。Wikipediaに載せるわけにはいかないでしょう。なので、最低限、必要な出典をこのノートででも示してください。どの部分は誰で、どの書籍が根拠で、古田氏からどのような系譜(継承・批判)をたどっていて、古田氏は、どのような反論をしているのか、していないのか。それをまとめて書くことが「学説の説明」として一番必要な情報です。それができないなら、その部分は「Wikipedia:独自研究は載せない」として除去されてもいたしかたないでしょう。
ある学説―それも、複数の論者が多数の論点を付け加えたもの―を、各論者ごとに出典を整理しつつまとめるのは、ものすごく力量のいることなのですよ。残念ながら、ここにいるIPさんには、すぐにはそれはできそうもない気がしますので、一度撤退されて、学説史をまとめる訓練をなさった上で、再整理を加えてから出直してみてはいかがでしょうか。そのうえで、社会的評価を冷徹に加えたものであれば、非常に歓迎される記事になることでしょう。一朝一夕にはできることではありませんので、じっくり時間をかけて取り組んでいただければと思います。なお、「お前は俺よりあることについて知識が少ないから、俺よりそのことについてものをいう権利がない」「俺の主張していることが目障りだから迫害したいだけだろう」といった発言は、私には「狂信者であることの告白」にしか見えません。もう少し工夫して主張されることをお勧めします。九州王朝説の研究者でなくても、Wikipedia上での九州王朝説の話は十分にかけます。むしろ、九州王朝説の研究者でないからこそ、書けることだってあるのですよ。--ごまふあざ 2008年7月2日 (水) 13:27 (UTC)

九州王朝説には、考古学にもとずくものもあるのに、これなら誤解される。--121.84.48.106 2009年4月16日 (木) 08:13 (UTC)

古田説との違い

これは、とんでもないことや、誤りがおおすぎます。古田武彦氏は、不弥国から九州説を考え、また、とんでもない説ばかりあつめています--121.84.48.106 2009年4月16日 (木) 08:13 (UTC)

記述の整理について

九州王朝説ごまふあざさんは、どのような大整理を考えていたのでしょうか?邪馬台国については、古田史学会に投稿し発表した後、加筆したいと思います。他に独自の部分だと思われる部分は何処ですか?--Sekai s2 2008年7月7日 (月) 12:31 (UTC)

「古事記が4ヶ月で書かれたのに比べて、日本書紀は企画から完成まで数十年と異常に時間が掛かっている。また、九州と近畿・東海には、同じ地名や同じ名前の神社等が多数存在する。数十年掛けて日本書紀に合うようにへ遺跡・遺物・伝承・住民等を移植したと推測される。」の脚注に地名についての鏡味完二、安本美典の論を付してらっしゃるでしょう。

「九州と近畿では地名が一致している」という事実(出典:鏡味完二、安本美典)は「古事記が・・と推測される。」を支持するということですね。

「もしAが信頼できる媒体で発表されており、Bも信頼できる媒体で発表されているなら、AとBを組み合わせてCという観点を推進するような記事を書いてもよいと誤解するウィキペディア編集者が、しばしば見受けられます。しかしこれは、ジミー・ウェールズの言葉を借りれば「新たな叙述あるいは歴史解釈」を生む、 「ある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな合成」の典型であり、独自研究に相当します。」

Aは鏡味完二、Bは安本美典、Cは九州王朝説でしょうか。--黄金もち 2008年7月7日 (月) 16:18 (UTC)

「新たな叙述あるいは歴史解釈」を創作するのはNGでしょうが、元々ある歴史解釈に参考資料として関係する別の研究を紹介するのは良いのでは?--Sekai s2 2008年8月9日 (土) 03:23 (UTC)

「古事記が・・と推測される。」についての明確な出典があれば問題ないのですが。(なお「九州王朝説でも『九州と近畿では地名が一致している』という事実は説明できる」わけですが、別の仮説でも『九州と近畿では地名が一致している』という事実は説明できます。安本さんは邪馬台国東遷説で、高木彬光さんは別の説ですね。)ところで古田史学会もよいのですが、他の学会誌等はどうでしょうか。--黄金もち 2008年7月8日 (火) 02:45 (UTC)

安本さん等の説明をつけ加えても良いと思います。--Sekai s2 2008年8月9日 (土) 03:23 (UTC)

邪馬台国の項目が 2008年7月6日 (日) 13:31、13:32にIPユーザー202.157.55.187whoisによって荒らされていますね。--黄金もち 2008年7月8日 (火) 21:21 (UTC)

(勝手ながら可読性を維持するために、節わけさせていただきました)Sekai s2さんの質問にお応えします。基本的スタンスは個別の説云々ではなく、「ほとんど全部」だとご理解ください。通常の学説などであれば、「常識」とされるものはあります。その辺に関しては、通常は出典を加える必要はないですが、ここで書かれている多くのものは常識から離れたものですよね。なので、その部分については「誰がどのように言っているのか」を明示すべきであろうと考えます。と、同時にさまざまな主張が未整理のまま並べられている状態です。ここは、九州王朝説のすべての主張を並べる場ではなく、「主要なもの」を文章で論理的に提示すべきで場であろうと考えています。おまけに「注:下記に記された内容は、投稿者を含む他の研究者の主張も取り入れており、古田説とは若干異なる点もある」という状態ではひどすぎます。投稿者の主張を書いてはいけないのが、wikipediaの方針ですし、誰が何を言っているのか全然見通せないテキストです、と宣言しているに等しい。さらにいえば、批判と無視の現状も冷静に書くべきでしょうし、その反論があるなら、それも「沈黙は…」などという個人的な見解ではなく、書籍なりに示されたものを書くべきでしょう。したがって、考えられるのは、以下の二つのパターンです。

  1. 学説史を明示する。古田氏による提唱からはじまって、それに対する各界(学界・在野)の反応について書く。そのうえで、古田氏の説以降、どの部分がどのように発展したのか、そして、どの部分は反論されているのか。古田氏による再反論はあるのか(ないのか)、学界での反応は批判→無視という過程を描き、必要に応じて九州王朝側からの反論も書く。これらを、説の出された時期から時系列をおって、かつ出典をもとにしつつ、整理して箇条書きではなく、論理構成をもって書く。
  2. とにかく、出典不明の箇所はいったん除去し、出典のある場所のみ残す。追加の際には、どの文献をもとにしたか明示を求める。批判・評価については原則として、個人的見解で反批判を加えることは避ける。

このいずれかで、再整理すべきだろうと考えます。1は、かなり前向きな整理で、これができると学説の紹介としてはかなり優秀なものになろうかと思います(九州王朝説自体の実際の学問的な成否はともかく)。2は、後向きですが、最低限の仕事、ということになります。できれば1でやりたいですね。とにかく、雑多に箇条書きがだらだらあるのは、百科事典としては不適切だと考えます(概要ですら箇条書きで、何が主たる主張なのかよくわからない)。とはいうものの、今は時間がないので、私は手がつきません(だから時間ができたらの提案とは思っていましたが…流れでつい言ってしまいました)。どこかでやれれば、という程度ですが、そのように考えています。とりいそぎ。邪馬台国の荒らしのIPはまた熊本ですか…--ごまふあざ 2008年7月9日 (水) 11:32 (UTC)

大きく戻した理由

外部リンクにアンサイクロペディアを入れる編集は論外です。その他も個人ページが主ですので、原則的に掲載できません。それに、ユーザーの方が[1]のオーナーで、そのページの冒頭に書いてるような方針で編集なさるならば、他社との共同作業を行なう意思が薄いとして、JAWPへの参加資格そのものに疑義が生じます。あと、Wikipedia:検証可能性の適用が強化されているので、2007年・2008年の感覚で記載されても、出典提示無くば差し戻されるでしょう。--Los688 2010年6月18日 (金) 13:59 (UTC)

「個人ページが主ですので、原則的に掲載できません」を除くすべてに同感。とりあえず要出典のタグを張りました。--自主憲法論者 2010年7月24日 (土) 10:04 (UTC)

利用者:NiKe氏の行動は編集合戦です。--自主憲法論者 2010年7月26日 (月) 00:51 (UTC)

これは編集合戦にあたりません。編集合戦の定義をご確認ください。--ろう(Law soma) D C 2010年7月26日 (月) 04:02 (UTC)
(追記)括弧の範囲がおかしかった点と前の文と新羅の扱いが噛み合っていなかった点(おそらく自主憲法論者さんが直そうと思っていた点)は修正しました。NiKeさんの行ったrvは、ダブルパイプ化した自主憲法論者さんの編集を問題視したものであり、あながち間違ってはいませんが、自主憲法論者さんの編集の趣旨は「括弧の補正」だったと思いますよ。--ろう(Law soma) D C 2010年7月26日 (月) 06:06 (UTC)
注意)相変わらず、Wikipedia:検証可能性の不足した、Wikipedia:独自研究は載せないに反する記載が続いているようです。「考察」についてJAWP記載者の考えの記載ではなく、研究者の考えの紹介を行わないと、突然大きく戻されても、やむを得ません。--Los688 2010年11月23日 (火) 00:57 (UTC)

Sekai s2氏の編集について

編集合戦、無出典等の問題あり。--自主憲法論者 2010年7月28日 (水) 03:50 (UTC)

「他王朝との関係」削除について

勝手に削除しないでください。。いかなる理由で削除したか、説明してください。どうかお願いします。--異録文書研究家 2011年8月23日 (火) 00:36 (UTC)

私が調べたところ重複はありませんでした。尚、貴方も早くアカウントを取得して、保護解除に協力してください。--異録文書研究家 2011年10月7日 (金) 04:56 (UTC)

「支那」「中国」の表記について

支那の項をみても分かるが「支那」は秦や清などに由来する地政学的な表現であるが、「中国」は中華思想に基づく主観的な表現である。学術的な文章は客観的な表現である「支那」を使用すべきである。 日本で中国といえば、山口県広島県岡山県鳥取県島根県等が存在する地域を指す。日本において支那を中国と表現するのは適切ではない。--116.94.230.5 2011年9月20日 (火) 15:34 (UTC)

私も賛成です。--異録文書研究家 2011年10月7日 (金) 04:57 (UTC)

  • コメント 保護理由は編集合戦ですので、ここで合意が得られれば速やかに解除できます。表題にある両者の意味の違いは116.94.230.5さんのおっしゃるとおりでしょうが、現状では「シナ」は兎も角「支那」を学術用語として使用する例は少ないため異論が出てきているのでしょう。もし出典において地政学的に曖昧にならないようにするため、あえて明確に「支那」を使用しているような状況でない限り、「支那」に拘らず柔軟に考えるのも一つの手法とも思います。--ろう(Law soma) D C 2011年10月7日 (金) 05:33 (UTC)
  • 私は「他王朝の関係」の項目でも「支那」の名称を使っていましたが、116.94.230.5をはじめ、「支那」自体で問題視されることはありませんでした。確か、sekaiが自分のHPで「支那」の用語を使い、其れを出典にしたところ、過去においても議論はありましたが、「差別的意図がない」ということで決着したように思います。
  • 従って、今回も既に「支那」と記されているのを「中国」に書き換える必要はないと思われます。特に、九州王朝説論者の中には「中国地方」の「中国」に重要な意味を持たせている方もいます。--異録文書研究家 2011年10月8日 (土) 01:39 (UTC)
  • 「中国」は日本国内の「中国」と紛らわしい。しかし「支那」は、その字面から「シナ」蔑視と取られる可能性があります。チャイナ・シンの音だけから派生した「シナ」を使用した方が良いでしょう。--202.157.16.156 2012年1月1日 (日) 01:59 (UTC)
  • 「日本国内の「中国」と紛らわしい」と言っても、一般に「日本国内の「中国」」は、「中国地方」と言い習わしていますし、「中国」と縮めた場合でも、文脈から「日本国内の「中国」」と分かる筈です。また、116.94.230.5さんの言う「「中国」は中華思想に基づく主観的な表現である」とする根拠は何なのでしょうか。話は飛びますが、アメリカ合衆国ではJapを差別語として使い、イギリスでは日本人が嫌がるからとJapを禁句にしています。「支那」もそういう類の単語です。「シナ」は言語学で「シナ・チベット語族」という用語があるように、学術用語として使う例がありますが、「支那」と混同される恐れがあります。やはり「中国」が無難だと思います。--Bletilla 2012年1月1日 (日) 02:28 (UTC)
  • 「シナ」「中国」は兎も角として、折角編集したものを古い版に戻すのは問題です。--Sekai s2 2012年1月3日 (火) 15:13 (UTC)
  • 「中国」は近代の呼び名で古代史には似つかわしくない、チャイナの日本語なまり「シナ」が適切であると考えるが反対があるようなのでとりあえず王朝名にした。--202.157.16.156 2012年1月4日 (水) 08:10 (UTC)