チャールズ・ブコウスキー

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ヘンリー・チャールズ・ブコウスキーHenry Charles Bukowski, 1920年8月16日 - 1994年3月9日)はアメリカの詩人、作家。

ブコウスキーの作品は、彼の地元ロサンゼルスの土地と風土に強い影響を受けており、また、彼の作品は現代の多くの作家に影響を与えている。

自殺衝動を必死に押さえ込みながら、詩作と飲酒でバランスを取る生き方を続けたが、マイノリティ・弱者に対する比類のない愛惜の念は一貫していた。

彼の伝記映画として『ブコウスキー・オールド・パンク』がある。

略歴[編集]

チャールズ・ブコウスキーは、1920年ドイツ人の母、カタリーナ・フェットとポーランドアメリカ人の軍人の父、ヘンリー・チャールズ・ブコウスキー・シニアのあいだに、ドイツのアンダーナッハで生まれた。第一次世界大戦につづくドイツの経済崩壊ののち、一家は1923年にアメリカ合衆国のメリーランド州ボルチモアに移住した。

その後一家はカリフォルニア州ロサンゼルスへと転居する。ブコウスキーの幼年時代、 父親はしばしば失業状態にあり、ブコウスキーによれば、父親から虐待を受けていたという。

1939年ロサンゼルス・ハイスクールを卒業したのち、ロサンゼルス・シティ・カレッジに入学し、芸術、ジャーナリズム、文学のコースを履修した。

1944年ニューヨークに移り住む。本格的な創作活動を始め、いくつかの短編が雑誌に掲載されるが、ブコウスキーは作家になる夢をあきらめる。その後は適当な仕事をし、安宿に泊まりながら国内を放浪してすごした。

1955年、長年にわたる大量の飲酒がたたり、出血性の潰瘍で入院する。 退院したころからまた詩を書きはじめる。

1957年、作家のバーバラ・フライと結婚したが、2年後に離婚。

1960年頃から、ロサンゼルスの郵便局で事務員として勤める。

1964年、内縁の妻、フランシス・スミスとのあいだに、娘のマリナが生まれる。

1969年、 ブラック・スパロー・プレスのジョン・マーティンから「生涯毎月100ドル[1]という俸給を約束され、郵便局をやめる。その後の主要な作品のほとんどが、ブラック・スパロー社から出版されることになる。

1970年代の思潮後退期、レーガンブッシュ時代に一人怪気炎を吐き続けた。

1994年3月9日、 カリフォルニア州サンペドロSan Pedro, California)で白血病により死去。遺作となる「パルプ」を完成したすぐ後のことであった。彼の墓には「DON'T TRY(「やめておけ」)(「突っ張るな!」)」と刻まれている。

エピソード[編集]

  • 両親は彼をハインリッヒ・カール・ブコヴスキーと名づけたが、アメリカに移住してからは、ブコウスキーの父親は彼をアメリカ風に「ヘンリー」と呼び、さらに姓の発音を「ブコスキー」から「ブコスキー」へと改めている。
  • 整形手術を受けるほどにきびがひどく、そのことが孤独な学校生活をおくる原因となっていた。
  • 敬愛する作家にルイ=フェルディナン・セリーヌジョン・ファンテアーネスト・ヘミングウェイなどがいる。セリーヌについては遺作の『パルプ』の他様々な文章で語っている。ただし、ヘミングウェイに関しては、長編『詩人と女たち』で、「彼は良い文章を書くが、全てが彼において戦争である。」と主人公が言っている。これは、著者の考えともとれる。

主な作品[編集]

短編集

  • 『町でいちばんの美女』 The Most Beautiful Woman in Town & Other Stories 1972年
    • 青野聰訳 新潮社、1994 のち文庫 
  • 『ありきたりの狂気の物語』 Tales of Ordinary Madness 1972年
    • 青野聰訳 新潮社、1995 のち文庫  
  • 『ブコウスキーの「尾が北向けば・・・」―埋もれた人生の物語』 South of no North 1973年
  • 『ブコウスキー・ノート』 Notes of a Dirty Old Man 1969年
    • 山西治男訳 文遊社、1995 
  • 『ブコウスキーの3ダース』 Hot Water Music 1983年
    • 「ホット・ウォーター・ミュージック」山西治男訳 新宿書房、1993 のち「ブコウスキーの3ダース」改題 
  • 『オールドパンク、哄笑する チャールズ・ブコウスキー短編集』鵜戸口哲尚訳.ビレッジプレス,2001

長編

詩集

  • 『モノマネ鳥よ、おれの幸運を願え』 Mockingbird Wish Me Luck 1972年
    • 『ブコウスキー詩集 2 (モノマネ鳥よ、おれの幸運を願え)』中上哲夫訳.新宿書房,1996
  • 『ブコウスキー詩集』 1979年
  • 『指がちょっと血を流し始めるまでパーカッション楽器のように酔っぱらったピアノを弾け』 Play the Piano Drunk Like a Percussion Instrument Until the Fingers Begin to Bleed a Bit 1992年
    • 『ブコウスキー詩集 指がちょっと血を流し始めるまでパーカッション楽器のように酔っぱらったピアノを弾け』中上哲夫訳.新宿書房,1995

エッセイ・伝記

  • 『ブコウスキーの酔いどれ紀行』 Shakeapeare Never Did This 1979年
    • 中川五郎訳 河出書房新社、1995 のち文庫 
  • 『死をポケットに入れて』中川五郎訳.河出書房新社、1999 のち文庫 

写真集

  • 『ブコウスキー・イン・ピクチャーズ』 Bukowski in Pictures 2000年

映像作品

  • バーフライBarfly 1989年 (脚本)
  • 『つめたく冷えた月』 Lune Froide 1991年 (原作)
  • 『ブコウスキー:オールドパンク』 Bukowski : Born into This 2002年 (ドキュメンタリー)
  • 『酔いどれ詩人になるまえに』 Factotum 2006年 (原作)

伝記[編集]

  • ハワード・スーンズ 『ブコウスキー伝―飲んで書いて愛して』中川五郎訳 河出書房新社、2000年

外部リンク[編集]

脚注[編集]

^ 彼の遺作「パルプ」の主人公である探偵は、ジョン・バートンから「レッド・スパロー(赤い雀)」を探し出すように依頼されるが、その成功報酬は「生涯毎月100ドル」である。