ダビデ・レベリン

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ダヴィデ・レベッリン
Davide Rebellin
Cycling (road) pictogram.svg
Rebellin-RDS2011-Stage 3-06.18.11.JPG
個人情報
本名 Davide Rebellin
ダヴィデ・レベッリン
生年月日 1971年8月9日(43歳)
国籍 イタリアの旗 イタリア
身長 1.71 m (5 ft 7 in)
体重 63 kg (140 lb; 9.9 st)
チーム情報
所属 CCC Polsat Polkowice
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 パンチャー、ワンデイレース・スペシャリスト
プロ所属チーム
1992–1994
1995
1996
1997
1998–1999
2000–2001
2002–2008
2009
2011
2012
2013
MGビアンキ
マリフィチオ・MG-テクノジム
ポルティ
フランセーズ・デ・ジュー
ポルティ
リクイガス・パタ
ゲロルシュタイナー
ディクウィジョヴァンニ
ミケ・グウェルチョッティ
Meridiana-Kamen
CCC Polsat Polkowice
主要レース勝利

リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ (2004)
フレッシュ・ワロンヌ (2004, 2007, 2009)
アムステル・ゴールドレース (2004)
ティレーノ〜アドリアティコ (2001)
クラシカ・サン・セバスティアン (1997)
チューリッヒ選手権 (1997)
パリ〜ニース (2008)
ジロ・デ・イタリア 区間通算1勝

トレ・ヴァッリ・ヴァレジーネ (1999、2000、2011)
最終更新日
2011年9月27日

ダヴィデ・レベッリン(Davide Rebellin。1971年8月9日- )はイタリアヴェネト州ヴェローナ県サン・ボニファーチョ出身の自転車プロロードレース選手。ダヴィデ・レベリンダビデ・レベリンという日本語表記も見受けられる。

1992年プロデビュー。30歳を超えてから実力を発揮するようになった、遅咲きのクラシックハンターであり、2004年のアルデンヌクラシック3連勝など数々のクラシックレースで好成績を収めている。

経歴[編集]

アマチュア時代の1992年に開催されたバルセロナオリンピックの個人ロードレースにも出場経験があり、同年にプロ転向。しかし以後は目立った成績をあげることなく年月を過ごしていく。

1996年ジロ・デ・イタリアで第7ステージで区間優勝を上げるとともに暫定首位に立ち、第13ステージでパヴェル・トンコフに奪われるまでマリア・ローザを保持(総合成績では6位)。

1997年クラシカ・サンセバスティアンチューリッヒ選手権を制覇し一躍注目を浴びるようになる。

1998年は特別に目立つ結果を残せなかったが、1999年2000年にはイタリアで開催される真夏のセミクラシックのトレ・ヴァッリ・ヴァレジーネを連覇した。

そして2001年にはティレーノ〜アドリアティコで総合優勝。同年の6月10日から7月1日までUCI・ロードワールドランキングスで1位の座を保つ活躍を見せた。

2004年、春のクラシックシーズン後半戦のアムステルゴールドレースフレッシュ・ワロンヌリエージュ〜バストーニュ〜リエージュで脅威の3連勝を果たし、アルデンヌクラシック完全制覇を達成。

2005年に創設されたUCIプロツアーでは、ダニーロ・ディルーカトム・ボーネンに次いでUCIプロツアーランキング総合3位に入った。

以後も多くのクラシックレースで度々上位に名を連ね、2007年には、春のパリ〜ニースで総合2位。さらに3年ぶりにフレッシュ・ワロンヌを制したほかアムステルゴールドレースでも2位に入り、ツール・ド・ロマンディ終了時点までUCIプロツアーランキングでトップの座をキープ。最終的にカデル・エヴァンスに次ぐ総合第2位に輝いた。

2008年にはパリ〜ニースでリナルド・ノチェンティーニを3秒差でかわして総合優勝。前年の雪辱を果たした。またアルデンヌクラシックでも活躍し、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュでは2位に入った。その後北京オリンピックのロードレースでも2位となり、銀メダルを獲得している。

2009年、4月のクラシックレースで活躍。フレッシュ・ワロンヌで優勝、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュでは3位に入った。しかし4月29日、北京オリンピックの血液検査の結果、AサンプルでEPO陽性反応が検出され、以後出場保留状態が続いていた[1][2] そして同年11月18日、新検出法による再検査によってCERA(第三世代EPO)の使用が認定され、北京オリンピックの失格と銀メダルの剥奪が確定した[3]

2010年6月30日、スポーツ仲裁裁判所(CAS)は、レベッリンの訴えを却下したため、以後出場停止となった[4]

2011年5月3日、出場停止処分が明けたことから、コンチネンタルチームのミケ・グウェルチョッティと契約。トレ・ヴァッリ・ヴァレジーネトロフェオ・メリンダで優勝した。

2013年はポーランドのコンチネンタルチームCCC Polsat Polkowice(英語版)に所属している。

レーススタイル[編集]

2005年のドイツ・ツアーでのタイムトライアル

アップダウンのあるワンデイレースを得意とし、クラシックレースではエースとして果敢な走りを見せ上位に食い込む。また、2008年のパリ~ニースで総合優勝しているように、4-7日程度の中規模ステージレースでも総合優勝争いで好成績を納めることができる。

グランツールでは登りに強いことなどを活かして、アシスト的な役割を務めることが多い。

出場するレースでは大崩れすることが少ないため、年間を通してランキングで総合上位をキープできるのが強みである。

エピソード[編集]

  • 兄のシモーネ・レベリンもプロ選手だったが、成績は弟に遠く及ばずプロ生活5年でわずか1勝。引退後はメカニックを務めている。

所属チーム[編集]

  • 1992-1994年 MGビアンキ
  • 1995年 マグリフィシオ・MG-テクノジム
  • 1996年 ポルティ
  • 1997年 フランセーズ・デ・ジュー
  • 1998-1999年 ポルティ
  • 2000-2001年 リクイガス・パタ
  • 2002年-2008年 ゲロルシュタイナー
  • 2009年- セッラメンティ・ディキジョヴァンニ

主な成績[編集]

ステージレース[編集]

  • ティレーノ〜アドリアティコ総合優勝(2001年)
  • バスク一周総合2位(2005年)
  • パリ〜ニース総合2位(2007年)
  • パリ〜ニース総合優勝(2008年)

ワンデーレース[編集]

  • 1997年 クラシカ・サンセバスティアン優勝 チューリッヒ選手権優勝
  • 2004年 アムステルゴールドレース優勝 フレーシュ・ワロンヌ優勝 リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ優勝
  • 2007年 フレーシュ・ワロンヌ優勝
  • 2009年 フレーシュ・ワロンヌ優勝

そのほか[編集]

  • 2005年 UCIプロツアーランキング3位
  • 2007年 UCIプロツアーランキング2位

脚注[編集]

  1. ^ サイクリングタイム2009年4月30日付記事
  2. ^ 持続性エリスロポエチン受容体活性化剤(CERA)の陽性反応がAサンプルの再検査で発覚。Bサンプルでも陽性反応が出た場合、出場停止等の処分が行なわれることになる。
  3. ^ 2009年11月18日朝日新聞朝刊
  4. ^ CAS rejects Rebellin's appeal - cyclingnews.com 2010年6月30日付記事(英語)

外部リンク[編集]