ジャン=バティスト・デニ

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Jean-Baptiste Denis

ジャン=バティスト・デニ(Jean-Baptiste Denys、1643年 - 1704年10月3日)は、フランス医師である。1667年に人に羊の血の輸血する治療を行った。

パリに生まれた。モンペリエで学んだ。国王ルイ14世の医師を務めた。1667年6月15日に15歳の少年に12オンス(約400cc)の羊の血を輸血した[1]。この少年は生き延び、次に羊の血を輸血した労働者も生き延びた。生存したのはこれらの輸血の量が少なく、拒絶反応に体が耐えられたためだと考えられる。3人目のスウェーデンの貴族グスタフ・ボンド(Gustaf Bonde)に2回の輸血を行い、ボンドは2回目の輸血の後すぐに死亡した。1667年の冬、アントワーヌ・モロワ(Antoine Mauroy)に子牛の血を輸血し、モロワは3回目の輸血の後、死亡した。この死をめぐってモロワの妻がデニを訴え裁判となった。後にモロワの死因が夫の財産を狙った妻の砒素による毒殺であることが判明し、デニは無罪となるが、裁判の後、デニは動物の血を輸血することをやめた[2]。この治療法は論争を呼び、1670年に禁止された。輸血が安全な治療法になるのは、1902年にカール・ラントシュタイナー血液型を発見し、血液の凝固を防ぐ方法が確立された後のことである。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ The First Blood Transfusion
  2. ^ 『ペニシリンはクシャミが生んだ大発見: 医学おもしろ物語25話』百島祐貴著、平凡社新書
  • 『血液の歴史』- ダグラス・スター(著)山下篤子(訳)河出書房新社(1999年)