ジャパニーズ・ティー・ガーデン

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池と茶亭。ジャパニーズ・ティー・ガーデンは、ゴールデンゲート・パークの中でも人気の場所である。

ジャパニーズ・ティー・ガーデンThe Japanese Tea Garden)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコにある日本庭園ゴールデン・ゲート・パークの一部を構成する。1894年に開かれた国際博覧会の際に造園され、公共の日本庭園としては米国で最も長い歴史を持つ。およそ20,000 m²の敷地には、池や建築物、多くの小径や橋が配置され、日本や中国の植物が植えられている。この庭園は「日本茶庭園」「日本茶園」「日本庭園」などの名で紹介されることもある。

歴史[編集]

池と木立の間に日本的な建築物が並ぶ

1894年、ゴールデン・ゲート・パークを会場としてカリフォルニア冬季国際博覧会 (California Midwinter International Exposition of 1894が開催された。この博覧会のための一時的なアトラクションとして造られたものが、この庭園の起源である。

博覧会の終了後、日本人移民で庭師の萩原真 (Makoto Hagiwaraは、ゴールデン・ゲート・パークの設計者・運営者であるジョン・マクラーレンに対し、この庭園を恒久的な公園の一部にするよう提案した。1895年から1925年まで、萩原は庭園の公的な管理人(caretaker)を務め、庭園を運営した。萩原は庭園のために、今日庭園の名物となっている金魚や、1000本以上のをはじめとするさまざまな動植物を日本から取り寄せた。萩原のもと、庭師たちは庭園の拡充・整備に取り組み、現在の景観をつくり上げていった。園内にある五重塔は、1915年のサンフランシスコ万国博覧会(パナマ太平洋国際博覧会)において、日本から送られた資材で建設された展示物を移築したものである。

1925年に萩原真が没した後も、その家族は園内に暮らし、庭園の維持・運営に従事していた。しかし、第二次世界大戦における日米開戦後の1942年、大統領令9066号によって萩原家の人々はほかの日系人とともに収容所に移転させられた(日系人の強制収容参照)。ジャパニーズ・ティー・ガーデンも「オリエンタル・ティー・ガーデン」(Oriental Tea Garden)に改名された。

戦後の1949年、S & G Gump Company によって、青銅製の仏像が寄贈された。この仏像は、1790年に但馬国で鋳造されたものである。1952年、「ジャパニーズ・ティー・ガーデン」の名が公式に復活した。

1953年には、桜井長雄設計による枯山水式の「禅ガーデン」(Zen Garden)が造園された。桜井はまた、庭園の正面部分の改修を行っている[1]。約4トン(9000ポンド)の「平和の灯籠」(Lantern of Peace)が日本から寄贈されたのもこの時である。サンフランシスコ講和条約を記念したこの灯籠は日本の子供の募金によってまかなわれたもので、未来の世代の友好を象徴する意味が込められている。

フォーチュン・クッキーとの関係[編集]

フォーチュン・クッキー

萩原真はこの庭園を訪れた客に、言葉を記した紙を入れた煎餅を提供して好評を博した。この煎餅は、サンフランシスコの和菓子店・勉強堂が焼いたものであった[2]。今日「フォーチュン・クッキー」として知られる煎餅の形状や発想は、日本の辻占煎餅に遡ることができる。

萩原真の子孫たちは、日本の煎餅をアメリカに紹介し、「フォーチュン・クッキー」として広めた功績を萩原真に帰している。この見方に従えば、この庭園は北米におけるフォーチュン・クッキーの「発祥の地」ということになる。

ギャラリー[編集]

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  1. ^ Japanese Tea Garden in Golden Gate Park,BeachCalifornia.Com
  2. ^ New York Times. 2008. Jan. 16. p. F1, F6 ("Solving a riddle wrapped in a mystery inside a cookie," by Jennifer 8 Lee)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯37度46分12秒 西経122度28分13秒 / 北緯37.770122度 西経122.470231度 / 37.770122; -122.470231