ジジーニョ

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ジジーニョ Football pictogram.svg
名前
本名 トマス・ソアレス・ダ・シウヴァ
愛称 メストレ・ジーザ (Mestre Ziza)
カタカナ ジジーニョ
ラテン文字 Zizinho
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1921年
出身地 リオデジャネイロ州ニテロイ
選手情報
ポジション FW
代表歴
1942-1957[1] ブラジルの旗 ブラジル 54 (28)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジジーニョことトマス・ソアレス・ダ・シウヴァ(Tomás Soares da Silva "Zizinho"1921年9月14日 - 2002年2月8日)は、ブラジル出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(インサイドライト)。幼いころのペレにとって最大のアイドルで、彼はジジーニョを「完璧な選手」と評した。

経歴[編集]

ファンだったアメリカFCの入団テストを受けるが不合格となり、1939年にフラメンゴへ入団する。翌年からレギュラーに定着すると、1950年にクラブを離れるまでにリオデジャネイロ州選手権に3回優勝、318試合出場146得点を記録した。バングーを経て、1957年にサンパウロFCに移籍して同年のサンパウロ州選手権に優勝。1960年に一時期引退してバングーで監督をしていたが、チリのアウダクス・イタリアーノで現役復帰し、1962年に引退した。

ブラジル代表には、1942年1月18日アルゼンチン戦でデビュー。ブラジルでの地元開催となったFIFAワールドカップ1950年大会では、大会得点王に輝いたセンターフォワードのアデミール、インサイドレフトのジャイールと攻撃陣を形成して、現在のゲームメーカーのような役割を担った。事実上の決勝戦となったウルグアイとの最終戦に敗れ(いわゆるマラカナッソ)、準優勝に甘んじた。

国民から望まれながらも1954年大会1958年大会のメンバーからは漏れた。後年にはオリンピックブラジル代表で監督を務めた。

驕るところがなく、慎ましやかな生活を好んだ彼は、引退後はリオデジャネイロ州で地方公務員の職に就いて定年まで働いた。2002年、ニテロイにて心筋梗塞により死去。

所属クラブ[編集]

指導経歴[編集]

  • 1960 バングーAC(ブラジル)
  • 1965 バングーAC(ブラジル)
  • 1966 バングーAC(ブラジル)
  • 1975-1976 オリンピックブラジル代表
  • 1980 バングーAC(ブラジル)

タイトル[編集]

チームタイトル
  • リオデジャネイロ州選手権:1942, 1943, 1944(フラメンゴ)
  • サンパウロ州選手権:1949(サンパウロ)
  • コパ・アメリカ:1949(ブラジル代表)
個人タイトル
  • リオデジャネイロ州選手権得点王:1955(フラメンゴ)
  • 20世紀世界最優秀選手 47位 (国際サッカー歴史統計連盟 1999)

出典[編集]

参考サイト[編集]