シルヴァーノ・ブッソッティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

シルヴァーノ・ブッソッティSylvano Bussotti1931年10月1日 - 、ブソッティ、又はブゾッティと表記される場合もある)は、イタリアの作曲家ピアニスト画家デザイナー作家詩人映画監督俳優イラストレーター舞台監督振付師演出家

略歴[編集]

フィレンツェに生まれる。

ブッソッティの幼少時、知人であった修道院に入った女性の望みのうちの一つとして、彼にヴァイオリンを教えることが入っていた。これをきっかけに音楽を学び始め、既にヴァイオリンソロの作品をすぐ書き始めていた。 フィレンツェ音楽院で学んだ後に、パリに渡ってマックス・ドイッチュに師事。

作風[編集]

本格的な活動に入るのは戦後で、すぐにダルムシュタット夏季現代音楽講習会の常連になり、トータル・セリエリズム等の前衛イディオムを吸収する。50年代の彼は独創的な図形楽譜によって一世を風靡し、同じく図形楽譜の可能性を突き詰めたローマン・ハウベンシュトック=ラマティボグスワフ・シェッフェルと並んで話題となった。また、舞台作品の創作において、彼は上演に関る全ての専門に手を出し、ダ・ヴィンチ的な才能を発揮している。

彼がオーケストラ作品で用いる技法の一つに「重ね合わせ」があり、各楽器ブロックを(a-b-c-d-e-f-g)のようにあらかじめ作曲しておき、それを(a-c-d),(a-d-f-g)といった順番でローテーションさせて、最後に全奏で答える。この楽器法は現代イタリア音楽の中でも最もユニークなもののひとつであり、野川晴義川島素晴などの技法にも影響を与えている。

前衛の停滞以後は伝統的な記譜法に戻るものの、楽譜の外観に不便さを感じていた彼は音符の形が枝状になる新しい記譜法を発案した。この記譜法は彼の画風にも反映し、弟子の日野原秀彦も同じ記譜法を継承している。

人間の欲望を極度に吐露するかのような音色美は前衛の世代では大変に異色であり、新しい複雑性出現以前には「イタリアで最も複雑な音楽を書く内の一人」との評価もあった。近年は自叙伝的な作品が多い。活動当初から協和音程の多いロマンティックな詩情を漂わせていたが、前衛の停滞後は調性的な断片を適度に挿入するようになった。どの楽器編成を使っても爛れたエロティシズムが溢れる音色美学が、全創作期に一貫して認められる。

ブッソッティとピアノ[編集]

ブッソッティにとって、ピアノは自身の美質を伝えるのに最も適したメディアであり、「デイヴィッド・チューダーのための5つのピアノ小品」や「ピアノのために」、「友のための音楽」など、この楽器のために多くの作品を書いている。デイヴィッド・チューダーフレデリック・ジェフスキージャンカルロ・カルディーニカルロ・レヴィ・ミンツィマッシミリアーノ・ダメリーニイヴァ・ミカショフマルチネ・ジョストマウロ・カステラーノ(全ピアノ作品をレパートリー化した唯一の存在)、日野原秀彦と、錚々たる顔ぶれが彼の片腕となった。また、自らも自作のピアノパートを手がけることが多く、70歳を過ぎても自作自演をすることもある。

近況[編集]

サントリー国際委嘱シリーズの為の来日(委嘱作は「H3」)後、ブッソッティの近作は日本国内の紹介が完全になされない状態が続き、断筆説すら飛び交った。イタリアのいくつかのマフィアに資金援助してもらったのが災いした、或いはリコルディの版権打ち切りの後作品の入手が極度に困難になった等多くの要因が考えられるが、これは活動をイタリア国内に絞ったことがおもな原因であり、創作意欲は近年のほうが高い。公式WEBサイトのリニューアルにより、作品の入手は幾分容易にはなった。

2008年1月に再び来日。図形楽譜による作品を中心としたコンサートが行われた。その際のアンコールでは、ブッソッティ編曲によるプッチーニの「そして小鳥は」がブッソッティ本人の歌唱で披露された。なお、この時のコンサートの模様はCD化され、stradivariusレーベルより発売されている。

公式サイトの更新は彼の性格を反映して遅れがちだが、新作は毎年作曲されている。

外部リンク[編集]