シエ=ル=ギヨーム

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Sillé-le-Guillaume


地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏
(département) サルト県
(arrondissement) マメール郡
小郡 (canton) シエ=ル=ギヨーム小郡
INSEEコード 72334
郵便番号 72140
市長任期 ジェラール・ギャルパン 
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:communauté de communes de la Champagne Conlinoise et du Pays de Sillé
人口動態
人口 2318人
(2015年)
人口密度 180人/km2
住民の呼称 Silléens
地理
座標 北緯48度11分00秒 西経0度07分45秒 / 北緯48.183333度 西経0.129167度 / 48.183333; -0.129167座標: 北緯48度11分00秒 西経0度07分45秒 / 北緯48.183333度 西経0.129167度 / 48.183333; -0.129167
標高 最低:115m
最高:260m
面積 12.90km2
Sillé-le-Guillaumeの位置(フランス内)
Sillé-le-Guillaume
Sillé-le-Guillaume
公式サイト www.sille-le-guillaume.fr
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シエ=ル=ギヨームSillé-le-Guillaume)は、フランスペイ・ド・ラ・ロワール地域圏サルト県コミューン

由来[編集]

-(i)acumというガリア語起源の所有物や財産を意味する接尾辞、これはガリアまたはガロ=ローマの地名の形式である。-(i)acumは、通常フランス西部では-éをつけられることが多い。最初の要素は、ガリア語の人名研究で、ガロ=ローマ語の人名SiliusまたはSilusである。この人名は、ガリア語のsilo-(種、すなわち子孫や後継者)に基づいている[1]

同じ意味の地名には、Scilly、Silly、Silhacがある。

フランス革命時代の地名は、シエ=ラ=モンターニュ(Sillé-la-Montagne)であった[2]

歴史[編集]

ギヨーム1世・ド・シエは、戦略的要所における最初の要塞の建設者であり、封建貴族家門シエ家の開祖である。シエ家はブルトン人ノルマン人からの襲撃に対抗する、メーヌ伯に仕えていた。森の中、湖の端にある第二の要塞の遺構、カロリング朝時代のオッピドゥムが静かにたち、全ての謎を守っている。さらに、伝説によれば、『満月の夜、オッピドゥムの周りを歩いて3度"私はここにいるぞ"と言うと、湖が沸き立ち、悪魔が姿を現す。』という。

1940年6月19日に起きたドイツ人による14人のセネガル兵虐殺事件の記念碑

ジャンヌ・ダルクの友でシエ家のいとこにあたるジル・ド・レは、この地方にいるイングランド人と戦うようになった[3]。シエの地には広大で強力な男爵領が置かれ、この時代に城はコレ―ジュ設置のため町の地位に昇格し、婚姻によってフランス革命まで続いた。

19世紀終わりのシエ=ル=ギヨームは、農業の交差点であり、見本市が頻繁に開催されていた。周囲の人口は6000人から7000人だった。現在もまだマルシェ=ベスティオー広場が残っている。

1917年、シエ=ル=ギヨームにポーランド軍編成のためポーランド人キャンプが設置された。現在目に見える痕跡はない。

1919年4月17日、フランス軍用列車とアメリカ軍用列車が衝突した、シエ=ル=ギヨーム鉄道事故が発生した。全体でフランス側死者6人、アメリカ側死者15人で、大勢の負傷者が出た[4]

ナチス・ドイツのフランス侵攻末期の1940年6月19日、ドイツ兵が第208植民地砲兵連隊に所属する14人の黒人捕虜たちを殺害した[5]

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2005年 2015年
2608 2528 2777 2863 2583 2585 2386 2318

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[6][7]

史跡[編集]

  • ノートルダム教区教会 - 歴史的記念物
  • シエ=ル=ギヨーム城 - 歴史的記念物
  • シエの森 - 3500ヘクタール。かつてはシエ男爵の領地だったが、1925年より国有化。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Xavier Delamarre, Dictionnaire de la langue gauloise, éditions Errance, Paris, 2003, p. 272.
  2. ^ a b http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=36344
  3. ^ Maurice Termeau, Gilles de Raiz dit à tort Barbebleue et la Maison de Sillé (1404-1440), Laval, Imprimerie-librairie Goupil, 1945, 77 p. (Tiré à part de la revue La Province du Maine.)
  4. ^ Journal Ouest-Éclair no 7198 du 19 avril 1919, consultable https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k645790t.r=Landudal.langFR
  5. ^ Raffael Scheck, Une saison noire : les massacres des tirailleurs sénégalais, mai-juin 1940, Paris, Tallandier,‎ , 287 p. (ISBN 9782847343762), p. 55-6.
  6. ^ https://www.insee.fr/fr/statistiques/3293086?geo=COM-72334
  7. ^ http://www.insee.fr