ザビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガー
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ザビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガー
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| 現職 | |
| 就任 2009年10月28日 |
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| 宰相 | アンゲラ・メルケル |
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| 前任者 | ブリギッテ・ツィプリース |
| 任期 1992年5月18日 – 1996年1月17日 |
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| 宰相 | ヘルムート・コール |
| 前任者 | クラウス・キンケル |
| 後任者 | エツァート・シュミット=ヨルツィヒ |
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ドイツ連邦議会議員
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| 現職 | |
| 就任 1990年 |
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| 出生 | 1951年7月26日(61歳) |
| 政党 | 自由民主党 |
| 母校 | ゲッティンゲン大学 ビーレフェルト大学 |
| 専業 | 弁護士 |
| ウェブ サイト |
www.leutheusser-schnarrenberger.de/ |
ザビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガー(独: Sabine Leutheusser-Schnarrenberger、[zaˈbiːnə ˈlɔʏthɔʏsɐ ˈʃnaʀənˌbɛɐ̯ɡɐ]、1951年7月26日 - )は、ドイツの政治家。自由民主党 (FDP) 所属。党内では小規模な社会自由主義派の領袖である。1992年から1996年まで、ヘルムート・コール内閣で連邦司法相を務め、2009年から第2次メルケル内閣で再びその任にある。
目次 |
生い立ち [編集]
ノルトライン=ヴェストファーレン州ミンデンに生まれる。1970年にミンデンのギムナジウムを卒業後、ゲッティンゲン大学とビーレフェルト大学で法学を学び始める。1975年にハムで第一次国家試験に、1978年にデュッセルドルフで第二次国家試験に合格。
1979年から1990年まで、ミュンヘンのドイツ特許庁に勤務。最終的には専務理事にまで上りつめた。1997年から議員活動のかたわら、ミュンヘンで弁護士をしている。
政治活動 [編集]
1978年に自由民主党 (FDP) へ入党。1991年から、同党の連邦評議会議員を務める。
1990年12月12日にドイツ連邦議会(ブンデスターク)議員となり、1992年5月18日に連邦司法相に抜てきされた。1995年、ドイツでは盗み聞きが私的領域の侵害に当てはまるのか否かをめぐって、世論をも巻き込む一大問題となった。このなかでシュナレンベルガーは、市民の私的領域に干渉する国家権力の拡大に対して、強硬なまでに異を唱えた。FDPがこの問題で、キリスト教民主同盟 (CDU) 率いる保守勢力を支援することを党員投票によって決めると、彼女は1996年1月1日に大臣を辞任した[1]。
2009年10月28日、シュナレンベルガーは再び連邦司法相に指名された。これで三期目となる。
人物 [編集]
2006年に夫君が亡くなったため、現在は未亡人である。ホルスト・ロイトホイサー博士はCDU所属の弁護士で、ミンデンの副市長を務めた。また彼女の叔父のヴォルフガング・シュタムベルガーも、西ドイツの司法相(1961年 - 1962年)であった。
その他 [編集]
FDPの社会自由主義派のなかでシュナレンベルガーは、「シュナリ」やSLSとして知られている。
脚注 [編集]
- ^ http://www.tagesschau.de/aktuell/meldungen/0,1185,OID3037054_TYP1_NAVSPM2~3036854_REF1,00.html Zehn Jahre Diskussion um den Großen Lauschangriff (ドイツ語)
外部リンク [編集]
- 公式サイト (ドイツ語)
- 連邦議会サイト内の人物紹介 (ドイツ語)
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