サルバ・キール・マヤルディ
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サルバ・キール・マヤルディ
سلفا كير ميارديت Salva Kiir Mayardit |
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| 現職 | |
| 就任 2011年7月9日 |
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| 副大統領 | リエック・マチャル |
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| 前任者 | (創設) |
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| 任期 2005年7月30日 – 2011年7月9日 2005年8月11日まで代行 |
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| 副大統領 | リエック・マチャル |
| 前任者 | ジョン・ガラン |
| 後任者 | (独立により廃止) |
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| 任期 2005年8月11日 – 2011年7月9日 |
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| 大統領 | オマル・アル=バシール |
| 前任者 | ジョン・ガラン |
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| 任期 2005年1月9日 – 2005年8月11日 |
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| 大統領 | ジョン・ガラン |
| 前任者 | (創設) |
| 後任者 | リエック・マチャル |
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| 出生 | 1951年 バハル・アル・ガザール |
| 政党 | スーダン人民解放軍 |
| 信仰 | ローマ・カトリック |
サルバ・キール・マヤルディ(アラビア語: سلفا كير ميارديت、英語: Salva Kiir Mayardit、1951年 - )は南スーダン共和国の政治家。現在、同国大統領(初代)。南スーダン独立前はスーダン共和国の第一副大統領であり、南部スーダン大統領(第2代)であった。
来歴 [編集]
ディンカ人であるが南部スーダン自治政府の初代大統領ジョン・ガランとは部族が異なる。敬虔なキリスト教徒である。
1960年代後半からアニャニャ(Anyanya。南部スーダンの部族が結成した組織)に参加して第一次スーダン内戦に参戦した。1972年のアディスアベバ合意の時点ではまだ無名の兵士であったが、1983年にジョン・ガランがスーダン人民解放軍(SPLA)を立ち上げると第二次スーダン内戦では軍事経験の乏しいガランに代わって戦闘を指揮をとるようになりSPLAの参謀長として活躍した。2004年にはキールを追い落とそうとする勢力との抗争でSPLAは内部分裂の危機に陥った。
2005年、キールも尽力した南北包括和平合意が署名されると南部スーダン自治政府の副大統領に指名され、同年7月にガランが事故で死亡すると後任としてスーダン共和国第一副大統領及び南部スーダン自治政府第2代大統領に就任した。キールは穏やかな人柄と控え目な言動、輝かしい軍歴からSPLAだけでなく民衆の人気を得た。2009年のキールの演説「来るべき住民投票は『国の2級市民のままでいいのか、それとも独立国家で自由人になるのか』という選択だ」という言葉はスーダンとの間で政治的緊張を起こした。2010年、キールは4月のスーダンの大統領選挙で争う意思はないと語り、代わりに南スーダン自治政府の大統領選挙に集中するとし、スーダン人民解放運動(SPLM)の「独立」という運動方針が再確認された。4月の大統領選挙にて得票率92.99%という圧倒的大差で南部スーダン自治政府大統領に再選され[1]、続いてスーダン大統領のオマル・アル=バシールはキールをスーダンの第一副大統領に再指名した。
2011年7月9日、南部スーダンは南スーダン共和国として独立し、キールは初代大統領に就任した。
その他 [編集]
同性愛に関して「もしも誰かが同性をスーダンに輸入しようとするのならば、それがいつであれ、皆の手で裁かれるであろう」と語っている[2]。 ホモフォビアである。
アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領と会談した時に、ブッシュ大統領からプレゼントされた黒色のカウボーイハットをトレードマークに身に着けている。
脚注 [編集]
- ^ “FACTBOX: Sudan presidential election results” (英語). スーダン・トリビューン. (2010年4月27日) 2011年2月25日閲覧。
- ^ “女装をしたとしてスーダンで男性19人が、公開棒打ちの刑を受けた上に罰金も支払わされる”. geiro.org. (2010年8月6日)
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 本人 (南部スーダン大統領) |
初代:2011 - |
次代: (現職) |
| 先代: ジョン・ガラン |
第2代:2005 - 2011 |
次代: 本人 (南スーダン共和国大統領) |
| 先代: ジョン・ガラン |
第12代:2005 - 2011 |
次代: TBD |
| 先代: (創設) |
初代:2005 |
次代: リエック・マチャル |