グスタフ・アルブレヒト・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク

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グスタフ・アルブレヒト
Gustav Albrecht
配偶者 マルガレータ・フーシェ
子女
全名
家名 ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク家
父親 リヒャルト
母親 マドレーヌ
出生 (1907-02-28) 1907年2月28日
ドイツの旗 ドイツ帝国
プロイセンの旗 プロイセン王国、ベルレブルク
死亡 1944年
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国
宗教 キリスト教ルーテル教会
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グスタフ・アルブレヒト・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルクドイツ語: Gustav Albrecht zu Sayn-Wittgenstein-Berleburg, 1907年2月28日 - 1944年)は、ドイツの旧諸侯ザイン=ヴィトゲンシュタイン家の家長(1925年 - 1969年)。

生涯[編集]

ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク侯リヒャルト英語版とその妻のレーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=フロイデンベルク侯女マドレーヌの間に長男(第1子)としてベルレブルクに生まれ、1925年に家督を相続した。1941年10月1日に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党し、同党の881万1942人目の党員となる[1]第二次世界大戦時はドイツ陸軍第23装甲師団英語版所属の大尉として東部戦線に従軍したが、1944年に戦闘中行方不明(MIA)となった。1969年11月29日西ドイツの裁判所により法的に死亡宣告が出され、長男のリヒャルトが後を継いだ。

子女[編集]

1934年1月26日にスウェーデン貴族の第4代オトラント公爵英語版シャルル・フーシェフランス語版の次女マルガレータ英語版アタナス・フーシェの曾孫)と結婚し、間に2男3女を儲けた。

脚注[編集]