クロード・E・クリートン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クロード・エドウィン・クリートン
Claud Edwin Cleeton
生誕 1907年12月11日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ミズーリ州スカイラー郡
死没 1997年4月16日(89歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ワシントン州ベルビュー
居住 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
研究分野 物理学者
研究機関 アメリカ海軍調査研究所
出身校 ミシガン大学
博士課程
指導教員
ニール・H・ウィリアムズ
主な業績 マイクロ波分光法の開発
主な受賞歴 大統領功労賞
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

クロード・エドウィン・クリートン(Claud Edwin Cleeton、1907年12月11日 – 1997年4月16日)は米国の物理学者。

ニール・H・ウィリアムズアンモニアマイクロ波分光法による分析を行い、この方法が分光法の発展に大きく寄与する画期的な業績となった。さらに、この研究でマイクロ波を応用したことで、レーダーの最終的な開発につながる基礎となっていった。

経歴[編集]

1935年、ミシガン大学にいたウィリアムズのもとで、「波長1.1cmの電磁波とアンモニアの吸収スペクトル」という論文で博士号を取得した[1]

クリートンとウィリアムズの1934年の論文[2]は260回以上引用され、マイクロ波分光法の発展にとって重要なものであった。

業績[編集]

博士号を取得した後、クリートンは海軍に就職し、第二次世界大戦中はアメリカ海軍調査研究所に所属してレーダーシステムの改良に努めた。戦後は、ソビエト連邦の人工衛星を探知する宇宙監視システムを考案・開発した。

受賞・受章・栄典[編集]

戦時中の活躍が認められ、1946年にハリー・トルーマンから大統領功労賞[3]を、翌年には民間功労賞を授与された。

1969年に海軍研究所を退職した後、海軍殊勲市民賞、1993年にはIEEEマイクロ波パイオニア賞を受賞した。また、15の電子機器に関する発明で特許を取得し、技術雑誌に多数の論文を執筆した。

引退と死[編集]

引退後は、株取引の本を書いたり、独学でコンピュータの使い方を学んだりした[4]

クリートンは、ワシントン州ベルビューのファースト・ユナイテッド・メソジスト教会に入り、コンピュータ・プログラムを書いて、教会の帳簿を管理していた。さらに、株式分析のためのコンピューター・プログラムも開発した。

1997年4月16日、心不全のために89歳で死去した。クリートンは、66年間連れ添った妻メアリー・エレン、2人の娘スー・ギルディとサラ・カカレーに囲まれていた。

著書[編集]

  • Claud E. Cleeton, The Art of Independent Investing, Pearson Education Limited, 1976, ISBN 0-13-047290-5
  • Claud E. Cleeton, Strategies for the Option Trader, Wiley & Sons Limited, 1979, ISBN 0-471-04973-5

参考文献[編集]

  • P. Staecker, "Awards," IEEE Microwave Magazine, Vol. 2, No. 2, 2001, p.123.

脚注[編集]

  1. ^ Cleeton's PhD
  2. ^ Cleeton, C. E.; Williams, N. H. (1934). “Electromagnetic Waves of 1.1 cm Wave-Length and the Absorption Spectrum of Ammonia”. Physical Review 45 (4): 234–237. Bibcode1934PhRv...45..234C. doi:10.1103/PhysRev.45.234. ISSN 0031-899X. 
  3. ^ Executive Order 9734—President's Certificate of Merit | The American Presidency Project”. www.presidency.ucsb.edu. 2022年12月16日閲覧。
  4. ^ Claud Edwin Cleeton, 89, Inventor Honored for Wwii, Postwar Efforts | the Seattle Times”. 2022年12月16日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]