クリスチャン・エルメレンス

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クリスチャン・ヤコブ・エルメレンス(Christiaan Jacob Ermerins、1841年6月21日 - 1880年2月11日)は、明治時代にお雇い外国人として来日したオランダ医学者である。名のクリスチャンの綴りはChristianとも表記される。

経歴・人物[編集]

ミッテルブルグ出身。フローニンゲン大学卒業後、1870年明治3年)、同年帰国したアントニウス・ボードウィンの後継者として大阪医学校(現在の大阪大学医学部)で教鞭を執った。

その後、同学校の閉鎖により辞職し、1877年(明治10年)に任期満了及びコンスタント・ゲオルグ・ファン・マンスフェルトに交代し帰国するまで、大阪府民病院等の教師に歴任した。

帰国後は母国の病院長を務めた。没後有志たちが活動拠点とした大阪中之島公園に記念碑を立てた。

出典[編集]

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