エデルン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Edern
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルターニュ地域圏
(département) フィニステール県
(arrondissement) カンペール郡
小郡 (canton) ブリエック小郡
INSEEコード 29048
郵便番号 29510
市長任期 ジャン=ポール・コジアン
2001年 - 2008年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du pays Glazik
人口動態
人口 2 112人
2010年
人口密度 53人/km2
住民の呼称 Édernois, Édernoise
地理
座標 北緯48度06分14秒 西経3度58分33秒 / 北緯48.103889度 西経3.975833度 / 48.103889; -3.975833座標: 北緯48度06分14秒 西経3度58分33秒 / 北緯48.103889度 西経3.975833度 / 48.103889; -3.975833
標高 平均:145m
最低:82m
最高:260m
面積 39.98km2
Edernの位置(フランス内)
Edern
Edern
公式サイト www.edern.fr/Site de la commune
テンプレートを表示

エデルンEdern)は、フランスブルターニュ地域圏フィニステール県コミューン

地理[編集]

エデルンはコルヌアイユ地方の中心部にあり、県都カンペールとは約15km離れている。コミューンの地形は相対的に丘がちである。

由来[編集]

エデルンとは、9世紀のキリスト教の隠者エデルン(Saint Edern)に由来する。その名前からアイルランド島出身とされるが、一部ではウェールズ出身と考えられている。彼がコルヌアイユに到着した後、キスティニックの森への道がつくられ、ブリエック教区内に礼拝堂がつくられた。

1795年6月、主要道を避けてロコール・マンドン(現在モルビアン県のコミューン)からエデルンを通過したシュアンの首領ジョルジュ・カドゥーダルは、一両日中に火薬を手に入れるためポン・ド・ビュイの火薬庫を目指した。彼の副官の1人エヴェノ(Éveno)は、恐怖で震え上がる住民を前に立憲派司祭を射殺した。また、教区内の農家3人を人質にとって2頭のウマと6台の荷車を接収した[1]

1943年1月23日、アメリカ空軍戦略爆撃機B-17が、ロリアン空爆の帰路にフォッケウルフ Fw190によって攻撃、エデルンのケルガナバン地区に墜落した。B-17には10人が搭乗しており、2名が死亡した。他2人はル・クロワトル=プレバン住民によって匿われ、イギリスへ無事逃れた。残り6人のうち5人は戦争捕虜となり、1945年5月に解放されるまで戦争捕虜収容所に収容されていた[2] · [3]

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2010年
1666 1567 1590 1690 1759 1804 1969 2112

参照元:1999年までEHESS[4]、2000年以降INSEE[5][6]

ゆかりの人物[編集]

  • ジャン=エデルン・アリエ(fr) - 作家。ミドルネームのエデルン(Edern)は、家族がエデルンにラ・ボワシエールというマノワールを所有していた縁による。

脚注[編集]