ウィリアム・ハンター (国務次官補)

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ウィリアム・ハンター

ウィリアム・ハンター(William Hunter, 1805年11月8日 - 1886年7月22日)は、アメリカ合衆国政治家外交官

生涯[編集]

1805年11月8日、ハンターはロードアイランド州ニューポートにおいて、ロードアイランド州選出連邦上院議員ウィリアム・ハンターの息子として生まれた。

ハンターは陸軍士官学校に入学したが、目に障害を抱えたため2年で退学した。その後ハンターは法律を学び、ルイジアナ州ニューオーリンズで弁護士業を開業した。その後ロードアイランド州プロビデンスに移り、1829年国務省に採用されるまで弁護士業を続けた。

ハンターは1849年から1850年までジョン・ミドルトン・クレイトン国務長官の下で、ジョージ・フィッシャーとともに秘書を務めた。

ハンターは1852年から1855年まで国務省首席事務官を務め、1855年5月から10月まで国務次官補を務めた。またハンターは1853年1860年に2度、国務長官代行も務めた。1866年合衆国議会で特別法が制定されると、ハンターは第二国務次官補に任命された。

そして1886年7月22日、ハンターは第二国務次官補在任中に、ワシントンD.C.で死去した。

公職
先代:
ウィリアム・デリック
アメリカ合衆国国務省首席事務官
1852年5月17日 - 1855年5月7日
次代:
-
先代:
アンブローズ・ダッドリー・マン
アメリカ合衆国国務次官補
1855年5月9日 - 1855年10月31日
次代:
ジョン・アディソン・トマス
先代:
-
アメリカ合衆国第二国務次官補
1866年7月27日 - 1886年7月22日
次代:
アルヴィー・エイディー