ウィリアム・ジョン・ハミルトン

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ウィリアム・ジョン・ハミルトン(William John Hamilton, FRS1805年7月5日 - 1867年6月27日)は、イングランド地質学者スコットランドラナークシャーウィショー (Wishaw) 生まれ[1][2]

ハミルトンは、古物収集家として知られたウィリアム・リチャード・ハミルトン1777年 - 1859年)の長男として生まれた。チャーターハウス校を経て、1825年から1827年までゲッティンゲン大学で学んだ。その後、マドリードパリで大使館に勤務した後、1829年に帰国した。1831年にはロンドン地質学会の会員(フェロー)となっている。1835年ヒュー・エドウィン・ストリックランド (Hugh Edwin Strickland) とともにレバント地方へ地質学調査に赴き、そのまま調査を続けながらアルメニアを経て、小アジア(アナトリア半島)を横断した。この調査行の内容は『Researches in Asia Minor, Pontus, and Armenia』(1842年)にまとめられた。この業績に対して、王立地理学会1844年金メダル(創立者メダル)をハミルトンに授与した[3]

ハミルトンは、エルジェス山の登頂成功者として知られる最初の人物であった。

1854年から1866年まで、ハミルトンは地質学会会長を務めた。これより先、1841年から1847年まで、ハミルトンはニューポート(ワイト島)選挙区 (Newport (Isle of Wight)) から選出された保守党議員として庶民院に議席をもっていた。ハミルトンは、フランスベルギーにも調査に出かけることもあり、イタリアトスカーナ州の岩石や鉱物や、オーバーシュタインメノウ採掘場、マインツ盆地やヘッセン選帝侯国の地質などについても論文を書いた。

脚注[編集]

  1. ^ William John Hamilton, M.P. for Newport 1805 - 1867”. Darrin Lythgoe. 2014年6月9日閲覧。
  2. ^ Dictionary of National Biography』はロンドン生まれとしている。
  3. ^ Medals and Awards, Gold Medal Recipients (PDF)”. Royal Geographical Society. 2014年6月9日閲覧。

参考文献[編集]

 この記事にはパブリックドメインの辞典本文を含む: Hamilton, William John”. Dictionary of National Biography. London: Smith, Elder & Co. (1885–1900) 

外部リンク[編集]

議会
先代:
William John Blake
Charles Wykeham Martin
ニューポート(ワイト島)選挙区選出庶民院議員
1841年1847年
with John Heywood Hawkins
次代:
William Plowden
Charles Wykeham Martin