アービュタス (ニュージーランドのコルベット)

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アービュタス (HMNZS Arbutus) はニュージーランド海軍コルベット改フラワー級[1]

1943年5月起工[1]。1944年1月26日、グリーノックのジョージ・ブラウン社で進水[1]。1944年6月16日就役[1]。同年7月5日竣工[1]。艦長はJ. A. Rhind少佐[2]

8月1日に船団と共にグリーノックより出航[2]パナマ運河経由でニュージーランドへ向かったが、10月7日にフィジーのViwa島の南で座礁し、舵を失うなどの被害が生じた[1]。アメリカ海軍艦艇によってスバへ曳航され、そこからはオークランド近くまでトローラー「Aroha」が曳航[1]。最後は曳船「William C. Daldy」に曳航されて10月27日にオークランドに着いた[1]。そこで新たな舵が作られたりするのを待ち、それからリトルトンへ移されて修理が行われた[2]。修理は1945年4月末に完了した[2]。この座礁事故で艦長は軍法会議にかけられた[1]。1945年2月にN. D. Blair大尉が艦長になっている[2]

1945年5月、「アービュタス」はイギリス太平洋艦隊に提供された[1]シドニーで無線・レーダー整備艦としての艤装がなされた[1]。それから、7月4日にシドニーから出航して7月28日に日本水域で補給部隊に加わった[3]。8月8日に「アービュタス」は他の艦艇と共に補給艦3隻を護衛してマヌス島へ向かい、それから今度は補給艦を香港まで護衛した[4]。10月、「アービュタス」はオークランドに帰還した[1]

1945年11月28日から12月9日までオークランドの北東沿岸やスリーキングズ諸島付近で活動する研究者の一団が「アービュタス」を使用した[5]。1946年3月7日から6月4日までキュビエ島水域の掃海が行われ、「アービュタス」はコルベット「アラビス」、掃海艇「Kiwi」とともにそれに従事した[6]

1946年9月20日、ウェリントンからクック諸島サモア、フランス領オセアニア、アメリカ領サモア、フィジーへの親善航海に出発[7]。12月1日にオークランドに戻った[7]

1947年4月、アイツタキ島へ航空機用ガソリンを輸送[1]。5月から7月にはクック諸島やトケラウなどを訪問した[1]

1948年、「アービュタス」と同型の「アラビス」はイギリス海軍に返還された[8]。2隻は4月にニュージーランドを離れて6月29日にポーツマスに着いた[1]

「アービュタス」は1951年に解体された[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p HMNZS Arbutus — National Museum of the Royal New Zealand Navy(2022年5月19日閲覧)
  2. ^ a b c d e The Royal New Zealand Navy, p. 275
  3. ^ The Royal New Zealand Navy, p. 393
  4. ^ The Royal New Zealand Navy, pp. 393-394
  5. ^ ROYAL NEW ZEALAND NAVY REPORT OF THE NEW ZEALAND NAVAL BOARD FOR THE PERIOD 1st APRIL, 1945, TO 31st MARCH, 1946, p. 4
  6. ^ The Royal New Zealand Navy, p. 276
  7. ^ a b ROYAL NEW ZEALAND NAVY REPORT OF THE NEW ZEALAND NAVAL BOARD FOR THE PERIOD 1st APRIL, 1946, TO 31st MARCH, 1947, p. 3
  8. ^ The Royal New Zealand Navy, p. 278

参考文献[編集]