アンドレーアス・ロンベルク

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アンドレーアス・ロンベルクの肖像

アンドレーアス・ヤーコプ・ロンベルクAndreas Jakob Romberg, 1767年4月27日 - 1821年11月10日[1])は、ドイツヴァイオリニスト作曲家

生涯[編集]

アンドレーアス・ロンベルクはドイツ・ミュンスターフェヒタ(Vechta)に生まれた。音楽家の父親からヴァイオリンを習い、6歳で初めて公衆の前で演奏を行った。同い年の従兄弟で、兄弟同然に育てられたベルンハルトと共にアンドレーアスはヨーロッパを旅したほか、ミュンスターの宮廷オーケストラにも参加している。後の1790年にはボン選帝侯宮廷オーケストラにベルンハルトと共に参加し、ここでベートーヴェンと出会っている(この時期の活動についてはベルンハルト・ロンベルクの項も参照)。アンドレーアスは1793年に戦争による混乱のためハンブルクへ移り、ハンブルク・オペラ管弦楽団(Hamburg Opera Orchestra)に参加した。アンドレーアスの最初のオペラ作品『からす』(Der Rabe)はこの地で初演された。彼はまた、クロプシュトックの同名の叙事詩にもとづく『救世主』(Der Messias)も作曲した。

一時期パリで過ごした後、アンドレーアスはハンブルクに定住し、ここで彼は都市の音楽的活動の中心となっていった。1815年、彼はルイ・シュポーアの後継者としてテューリンゲン州ゴータ(Gotha)の公爵の宮廷音楽監督に就任した。アンドレーアスはこの地で1821年に没した。

脚注[編集]