アブラム・ヨッフェ

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アブラム・ヨッフェ

アブラム・フョードロヴィッチ・ヨッフェロシア語: Абра́м Фёдорович Ио́ффе, 1880年10月29日 - 1960年10月14日)は、ウクライナ生まれのソ連の物理学者。電磁気学放射線医学結晶の特性、光電効果について研究を行ったほか、放射能超伝導核物理学に関する新しい研究所を作るのに力を注いだ。これらの研究所の多くは後に独立し、現在でも続いている。

経歴[編集]

ロシア帝国の小さな村ロムニーに生まれる(現在のウクライナスムィ州)。1902年にサンクトペテルブルク工科大学を卒業後、ヴィルヘルム・レントゲンの弟子として、ドイツミュンヘンの研究所で働く。1905年にミュンヘン大学で博士号を取得する。同年、ヨッフェはアルバート・アインシュタインのAnnus Mirabilis papers(1905年にAnnalen der Physik誌に発表した一連の重要な論文)に、アインシュタインの最初の妻ミレヴァ・マリッチが共著となっている原稿を見たとされるが、この話は今日では疑わしいとされている。

1906年以降、ヨッフェはサンクトペテルブルク工科大学で働き、後にここの教授となる。 1911年に、ミリカンの実験とは独立した研究により電子素量を求めて、1913年の論文に発表している。1911年にヨッフェは非ユダヤ人の女性と結婚するためにルター派に改宗する。1915年に物理学博士号を取得。1918年にX線・放射線医学研究所の物理部門のトップとなる。この部門は後に独立して、ヨッフェ物理工学研究所となる。

ヨッフェは、ソ連の原爆製造プロジェクトに関わることは断わり、弟子のクルチャトフを推薦した。スターリン時代のユダヤ人狩りの対象となり、1950年にヨッフェは一旦その地位を追われるものの、1952-1954年にはソ連科学アカデミーの半導体関連部門を監督し、1954年にはこれを半導体研究所として独立させた。

1942年にスターリン賞、1960年レーニン賞を受賞。1955年に社会主義労働英雄となる。

ヨッフェの弟子には大成した物理学者が数多い。ソ連原爆開発プロジェクトの指揮者イーゴリ・クルチャトフノーベル物理学賞受賞者のピョートル・カピッツァノーベル化学賞受賞者のニコライ・セミョーノフ、そしてヤコブ・フレンケルなどがいる。