アドルフ・ファン・エフモント

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ゲルデルン公アドルフ、セバスティエン・ピンシオ(Sébastien Pinssio)画

アドルフ・ファン・エフモントAdolf van Egmond, 1438年2月12日 フラーフェ英語版 - 1477年6月27日 トゥルネー)は、ドイツオランダ系のゲルデルン(ヘルレ)公(在位1465年 - 1471年、1477年)。

生涯[編集]

ゲルデルン公アルノルトとその妻でクレーフェ=マルクアドルフの娘であるカタリーナの間の第4子、次男として生まれた[1]。1461年、母方の大伯父に当たるブルゴーニュフィリップ3世(善良公)によって金羊毛騎士団の騎士に叙任されている[2]。ゲルデルン公爵家当主への早期就任を望んで父と対立し、父と対立関係にあったフィリップ善良公およびゲルデルンの等族の支持を受けた。1465年、父を逮捕・幽閉してゲルデルン公となるが、アドルフの野心的な振る舞いは多くの人々の顰蹙を買った[2]。1468年にシュトラーレン英語版での戦闘で叔父のクレーフェ=マルクヨハン1世に勝利している。

1467年にブルゴーニュ公爵家の当主がシャルル突進公(妻同士が姉妹の義兄弟にあたる)に代替わりすると関係が悪化し、1471年に突進公によって逮捕・幽閉された[3]。父アルノルトが傀儡として公爵に復帰し、1473年にアルノルトが死去するとゲルデルンはシャルル突進公の領土となった。1477年の年明けに突進公がナンシーの戦いで敗死するとゲルデルン公に復帰したが、半年後に死去した。遺骸は没地トゥルネーノートルダム大聖堂に葬られた。

子女[編集]

1463年12月28日にブルッヘにおいて、ブルボン公シャルル1世の娘カトリーヌと結婚し、間に男女の双子をもうけた。

愛妾のエリーザベト・ファン・ハフテン(Elisabeth von Haeften)との間に4男1女の計5人の庶子をもうけている。2人の間の庶長子ライネル(1460年 - 1522年)の家系はヘルレ=アルセン男爵家(1790年より伯爵家)として、1982年に男系が絶えるまで続いた。

脚注[編集]

  1. ^ Miroslav Marek (2004年2月10日). “Adolf, Duke of Geldern(Egmont2)”. genealogy.euweb.. 2012年10月6日閲覧。
  2. ^ a b 堀越孝一 『ブルゴーニュ家』 講談社現代新書、1996年、P247
  3. ^ 堀越、P248

参考文献[編集]

  • Ralf G. Jahn: Die Genealogie der Vögte, Grafen und Herzöge von Geldern. In: Gelre, Geldern, Gelderland. Geschichte und Kultur des Herzogtums Geldern. hrsg. von Johannes Stinner und Karl-Heinz Tekath, Geldern 2001, S. 29-50.
  • Raphael de Smedt (Hrsg.): Les chevaliers de l’ordre de la Toison d’or au XVe siècle. Notices bio-bibliographiques. (Kieler Werkstücke, D 3) Verlag Peter Lang, Frankfurt 2000, ISBN 3-631-36017-7, S. 139-141.

外部リンク[編集]

先代:
アルノルト
ゲルデルン(ヘルレ)公
1465年 - 1471年
次代:
アルノルト
先代:
シャルル(突進公)
ゲルデルン(ヘルレ)公
1477年
次代:
マリー・ド・ブルゴーニュ