クレーフェ公国
クレーフェ公国(独:Herzogtum Kleve)またはクレーフ公国(蘭:Hertogdom Kleef)は、神聖ローマ帝国の領邦国家。首都はクレーフェ。その領域は現在のドイツ(ノルトライン=ヴェストファーレン州の一部)とオランダ(リンブルフ州、北ブラバント州、ヘルダーラント州の一部)に跨って存在した。公国はクレーフェを首都とし、領域はライン川両岸に広がっていた。おおよそ現在のクレーフェ郡 (en) 、ヴェーゼル郡 (en) 、デュイスブルクに相当する。
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歴史 [編集]
クレーフェ伯領が史料で最初に登場するのは、11世紀のことである。伯爵領は1417年に公爵領に昇格した。クレーフェはユーリヒ公国、ベルク公国、ゲルデルン公国、マルク伯領といった近隣諸国と関係が深かった。1368年にはマルク伯領と合併している。1521年、ユーリヒ、クレーフェ、ベルクの3公国はユーリヒ=クレーフェ=ベルク連合公国を形成した。
1609年、最後のユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヨハン・ヴィルヘルムが子供のないまま死ぬと、ブランデンブルク選帝侯ヨーハン・ジギスムントとプファルツ=ノイブルク公フィリップ・ルートヴィヒが連合公国の継承をめぐってユーリヒ=クレーフェ継承戦争を起こした。両者は1614年にクサンテン条約 (en) を結び、プファルツ=ノイブルク公がユーリヒ=ベルク公国を、ブランデンブルク選帝侯がクレーフェ公国及びマルク伯領、ラーフェンスブルク伯領を手に入れた。しかし、ブランデンブルク選帝侯の統治するクレーフェ公国の大部分は1672年までネーデルラント連邦共和国に占領されていた。公国は1701年に成立したプロイセン王国の一部とされたが、七年戦争中の1757年から1762年まではフランスに占領されている。
1795年、クレーフェ公国の左岸地域とヴェーゼルはフランス共和国に占領され、フランス領ロール県 (en) の一部とされた。残りの地域も1803年から1805年にかけてフランスに征服され、フランスはこの地域をイッセル=スペリュール県 (en) と傀儡国家ベルク大公国に編入した。ベルク大公国に編入された部分は、1811年にフランス領リップ県 (en) の一部とされた。1815年にナポレオンが失脚すると、クレーフェ公国はプロイセン王国領ユーリヒ=クレーフェ=ベルク県 (en) (1822年にライン県 (en) に統合される)に編入された。ただしヘネプ、ゼフェナール (en) 、ハイッセン (en) の3都市に関しては、1815年のウィーン会議の決定でネーデルラント連合王国領となった。
クレーフェ伯 [編集]
- 1020年頃 - 1050年頃 ルトガー1世
- 1051年頃 - 1075年頃 ルトガー2世
- 1076年頃 - 1091年頃 ディートリヒ(2世)
- 1092年 - 1117年 ディートリヒ1世(3世)
- 1120年 - 1147年 アルノルト1世
- 1150年 - 1172年 ディートリヒ2世(4世)
- 1173年 - 1202年 ディートリヒ3世(5世)
- 1189年 - 1200年 アルノルト2世
- 1202年 - 1260年 ディートリヒ4世(6世)
- 1260年 - 1275年 ディートリヒ5世(7世)
- 1275年 - 1305年 ディートリヒ6世(8世)
- 1305年 - 1310年 オットー
- 1310年 - 1347年 ディートリヒ7世(9世)
- 1347年 - 1368年 ヨハン
- 1368年 - 1394年 アドルフ1世
- 1394年 - 1448年 アドルフ2世
1417年、クレーフェ伯は公爵に昇格する。
クレーフェ公 [編集]
1521年以後、クレーフェ公国はユーリヒ=クレーフェ=ベルク連合公国の一部を構成する。
- 1417年 - 1448年 アドルフ1世
- 1448年 - 1481年 ヨハン1世
- 1481年 - 1521年 ヨハン2世
- 1521年 - 1539年 ヨハン3世
- 1539年 - 1592年 ヴィルヘルム5世
- 1592年 - 1609年 ヨハン・ヴィルヘルム