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ブレントは2017年からジャッキーレスリーと結婚している。
ブレントは2017年からジャッキーレスリーと結婚している。
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=== 幼少期 ===
=== 幼少期 ===
彼はイーサン.B.アレン小学校へ通い、13歳のときには、[[カリフォルニア州]]ウェストミンスターに位置するサラ・マクガービン学校に入学した。彼はまた、ウェストミンスターにあるラ・キンタ高校、[[リバーサイド (カリフォルニア州)|リバーサイド]]のカリフォルニアバプテスト大学、コスタメサのバンガード大学にも行った。 クツレは教会のオルガン奏者で、ピアノ講師であった母親、ピアニストで1984年のロサンゼルス夏季オリンピックのオープニングセレモニーにおける84名のピアニストのうちの一人であった父親とともに幼い頃からピアノを弾き始めた。
彼はイーサン.B.アレン小学校へ通い、13歳のときには、[[カリフォルニア州]]ウェストミンスターに位置するサラ・マクガービン学校に入学した。彼はまた、ウェストミンスターにあるラ・キンタ高校、[[リバーサイド (カリフォルニア州)|リバーサイド]]のカリフォルニアバプテスト大学、コスタメサのバンガード大学にも行った。<ref>{{Cite web|title=Original PDF|url=http://dx.doi.org/10.15438/rr.5.1.7|website=dx.doi.org|accessdate=2021-07-06}}</ref> クツレは教会のオルガン奏者で、ピアノ講師であった母親、ピアニストで1984年のロサンゼルス夏季オリンピックのオープニングセレモニーにおける84名のピアニストのうちの一人であった父親とともに幼い頃からピアノを弾き始めた。


チェロにおける競争はヴァイオリンよりもはるかに少ないものであったため、クツレは父親にそれを2つ目の楽器として取り掛かるよう勧められた。クツレはクラシックの教養を受けた作曲家である。
チェロにおける競争はヴァイオリンよりもはるかに少ないものであったため、クツレは父親にそれを2つ目の楽器として取り掛かるよう勧められた。クツレはクラシックの教養を受けた作曲家である。<ref>{{Cite journal|date=1980|title=Water resources data for Florida, water year 1979; Volume 2B, South Florida ground water|url=http://dx.doi.org/10.3133/wdrfl792b}}</ref>


=== 映画の出演 ===
=== 映画の出演 ===
クツレは、[[ジェシカ・アルバ]]が主演を務める2008年の映画、''[[アイズ (2008年の映画)|ザ・アイ]]''で特別出演を果たした。彼はオープニングシーンでオーケストラのメンバーとしてチェロを弾いて登場した。また、彼の弾くチェロは2006年に公開された同名のインディペンデント映画におけるタイトルトラック、"ソングス・ライク・レイン"でも聞くことができる。
クツレは、[[ジェシカ・アルバ]]が主演を務める2008年の映画、''[[アイズ (2008年の映画)|ザ・アイ]]''で特別出演を果たした。彼はオープニングシーンでオーケストラのメンバーとしてチェロを弾いて登場した。また、彼の弾くチェロは2006年に公開された同名のインディペンデント映画におけるタイトルトラック、"ソングス・ライク・レイン"でも聞くことができる。


2014年、クツレはいくつの楽器を演奏することができるのかと聞かれ、彼は「大学時代にできたほど多くはないが、ほんのわずかってところだよ」と答えた。 クツレは、活動家のフレイザーカーショーを主演として起用した2016年の国際的映画、「ビハインド・ザ・ウォーター」のサウンドトラックを採譜した。
2014年、クツレはいくつの楽器を演奏することができるのかと聞かれ、彼は「大学時代にできたほど多くはないが、ほんのわずかってところだよ」と答えた。<ref>{{Cite web|title=Caribbean Diaspora Network - Winston Small|url=http://www.jamaicadiaspora.org/entertainment/he-no-faking-jamaican-fraser-kershaw/|website=www.jamaicadiaspora.org|accessdate=2021-07-06}}</ref> クツレは、活動家のフレイザーカーショーを主演として起用した2016年の国際的映画、「ビハインド・ザ・ウォーター」のサウンドトラックを採譜した。<ref>{{Cite book|title=Fort Lauderdale|url=http://dx.doi.org/10.1093/gmo/9781561592630.article.o004648|publisher=Oxford University Press|date=2002}}</ref>


=== ワンリパブリック ===
=== ワンリパブリック ===

2021年7月6日 (火) 06:14時点における版

ブレント・クツレ
基本情報
出生名 ブレント・マイケル・クツレ
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジャンル ポップ・ロック/ポップ/オルタナティブ・ロック
職業 ミュージシャン/多楽器奏者/作詞家/レコーディングプロデューサー/映画音楽家
担当楽器 ベース/チェロ/ボーカル/ピアノ/キーボード/ギター/パーカッション
活動期間 2007年–現在
共同作業者 ワンリパブリック/モナーク
公式サイト onerepublic.com

ブレント・マイケル・クツレ1985年8月3日生まれ)は、カリフォルニア州ファウンテンバレー出身のアメリカ人ミュージシャン、多楽器奏者、作詞家レコーディング・プロデューサー、映画音楽家。彼はポップ・ロックバンド、ワンリパブリックのメンバーの一人。

人物

ワンリパブリックリードボーカルライアン・テダーと同じように、ブレントもまたビヨンセマッチボックス・トゥエンティエリー・ゴールディングコブラ・スターシップレオナ・ルイスケリー・クラークソン、アイランド、ヴァーミアー、オーガスティン、ディスアラー、モナーク、ヴェナスインファーズ、ジェシカドブソン、ケビンマックスなど、音楽業界におけるアンダーグラウンドからメインストリームに渡り活躍する様々なミュージシャンと共に作詞、演奏をしてきた。[1]

ブレントは2017年からジャッキーレスリーと結婚している。

生い立ち

幼少期

彼はイーサン.B.アレン小学校へ通い、13歳のときには、カリフォルニア州ウェストミンスターに位置するサラ・マクガービン学校に入学した。彼はまた、ウェストミンスターにあるラ・キンタ高校、リバーサイドのカリフォルニアバプテスト大学、コスタメサのバンガード大学にも行った。[2] クツレは教会のオルガン奏者で、ピアノ講師であった母親、ピアニストで1984年のロサンゼルス夏季オリンピックのオープニングセレモニーにおける84名のピアニストのうちの一人であった父親とともに幼い頃からピアノを弾き始めた。

チェロにおける競争はヴァイオリンよりもはるかに少ないものであったため、クツレは父親にそれを2つ目の楽器として取り掛かるよう勧められた。クツレはクラシックの教養を受けた作曲家である。[3]

映画の出演

クツレは、ジェシカ・アルバが主演を務める2008年の映画、ザ・アイで特別出演を果たした。彼はオープニングシーンでオーケストラのメンバーとしてチェロを弾いて登場した。また、彼の弾くチェロは2006年に公開された同名のインディペンデント映画におけるタイトルトラック、"ソングス・ライク・レイン"でも聞くことができる。

2014年、クツレはいくつの楽器を演奏することができるのかと聞かれ、彼は「大学時代にできたほど多くはないが、ほんのわずかってところだよ」と答えた。[4] クツレは、活動家のフレイザーカーショーを主演として起用した2016年の国際的映画、「ビハインド・ザ・ウォーター」のサウンドトラックを採譜した。[5]

ワンリパブリック

クツレは、バンドの元ベーシストがソロのキャリアを追うために脱退した後、2007年の早期にワンリパブリックに加わった。彼は小学4年生の頃からチェロを演奏しており、自身にチェロを演奏することを許さないバンドでは決して演奏することはないとコメントしている。 クツレはロックバンドのためにディレイリバーブ、ループエフェクトを使用して、チェロのサウンドを変えてきた。彼はワンリパブリックのデビューアルバム"ドリーミング・アウト・ラウド"内の、全編を通して繰り返される特徴的なチェロのサウンドがベースとなったトラックである、"オール・フォール・ダウン"で有名となった。

チェロとベースを演奏することに加え、クツレは、同バンドメンバーのザック・フィルキンス、フロントマンであるライアン・テダーと共にバンドのために作詞・作曲を行っている。

バンドのセカンドアルバム"ウェイキング・アップ"におけるリードシングル"オール・ザ・ライト・ムーブス"、シングルの"グッド・ライフ"などを含む多くの曲は彼らのサードアルバム"ネイティブ"のシングル、"フィールアゲイン"・"イフ・アイ・ルーズ・マイセルフ"などと同様に、クツレも作詞・作曲に関わっている。

コンサートでは、彼がベース、チェロ、ピアノ、ギター、パーカッションなどを演奏し、また同バンドメンバーのザック・フィルキンス、エディー・フィッシャー、ドリュー・ブラウン、ブライアン・ウィレットなどとともにバックグラウンドボーカルを行う姿を見ることができる。

ディスコグラフィー

※詳細は「ブレント・クツレのディスコグラフィー」を参照

  • ドリーミング・アウ・ラウド(2007)
  • ウェイキング・アップ(2009)
  • ネイティブ(2013)
  • オー・マイ・マイ(2016)

脚注

  1. ^ “Brent, John (1808–1882)”. Oxford Dictionary of National Biography (Oxford University Press). (2018-02-06). http://dx.doi.org/10.1093/odnb/9780192683120.013.3323. 
  2. ^ Original PDF”. dx.doi.org. 2021年7月6日閲覧。
  3. ^ Water resources data for Florida, water year 1979; Volume 2B, South Florida ground water. (1980). http://dx.doi.org/10.3133/wdrfl792b. 
  4. ^ Caribbean Diaspora Network - Winston Small”. www.jamaicadiaspora.org. 2021年7月6日閲覧。
  5. ^ Fort Lauderdale. Oxford University Press. (2002). http://dx.doi.org/10.1093/gmo/9781561592630.article.o004648