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'''麻紙'''(まし/あさがみ)とは、[[麻 (繊維)|麻繊維]]を原料とする[[紙]]のこと{{sfn|久米康生|1995|loc=和紙文化辞典&sect;麻紙}}。麻紙は紙の起源とされ、それ以前は、大半は絹布である[[帛書]](はくしょ)に文字を書いた<ref name="naid40005025171"/>。紙の起源として、主に小布の麻布を使った狭義の[[アサ|麻]](大麻)が多く、少量の[[カラムシ|苧麻]](からむし)が混じった麻紙が発掘されており、史書では105年に[[蔡倫]](さいりん)がこれを改良し、樹皮や生の麻を処理して加えられるようになった。10世紀頃までよく用いられた紙である。
'''麻紙'''(まし/あさがみ)とは、[[ツナソ|綱麻]]、[[アサ|大麻]]、[[苧麻]]などを原料として作られた[[紙]]のこと。最も古い形態の紙の1つ。


==特徴==
[[穀紙]]に比べると緻密で上品な味わいがあるとされ、また[[紙魚]]にも強いことから、重要な文書の用紙に利用されたが、反面紙肌が荒いためにあらかじめ表面を加工しておかないと筆の走りが悪くなる場合があり、長期間を経ると強度が低下して劣化したり、破損することも多かったために次第に[[穀紙]]に代わられていった。以降は上級の紙として利用されることが多い。
[[穀紙]]に比べると緻密で上品な味わいがあるとされ、また[[紙魚]]にも強いことから、重要な文書の用紙に利用されたが、反面紙肌が荒いためにあらかじめ表面を加工しておかないと筆の走りが悪くなる場合があり、長期間を経ると強度が低下して劣化したり、破損することも多かったために次第に[[穀紙]]に代わられていった。以降は上級の紙として利用されることが多い。


麻の繊維は強靭で長いために抄造作業は困難であった。まず原料である麻を細かく切った後に繊維を叩解する必要があったが、作業の円滑化のために麻を発酵させて繊維を柔らかくしたり、石臼で磨り潰したり、木の棒で打解したりなどの方法が行われた他、魚網や麻布などを細かく裁断するなどの工夫が行われた。
麻の繊維は強靭で長いために抄造作業は困難であった。まず原料である麻を細かく切った後に繊維を叩解する必要があったが、作業の円滑化のために麻を発酵させて繊維を柔らかくしたり、石臼で磨り潰したり、木の棒で打解したりなどの方法が行われた他、魚網や麻布などを細かく裁断するなどの工夫が行われた。


==紙の起源である麻紙とその展開==
[[中国]]では、[[東漢]]時代に[[蔡倫]](さいりん)によって紙が発明されたとされているが、さらに100年古いとみられる麻紙も2006年に同定されている<ref>{{Cite journal |author=Lu X , R.C.Clarke |date=1995|title=The cultivation and use of hemp (Cannabis sativa L.) in ancient China|url=http://www.druglibrary.org/olsen/hemp/iha/iha02111.html|journal=Journal of the inernational Hemp Association|volume=2|issue=1|page=26-30}}</ref><ref>{{cite web |author= |title=世界最古の紙「麻紙」、敦煌博物館での保管が判明―甘粛省敦煌市 |url=http://www.recordchina.co.jp/b1900-s0-c30.html |date=2006-8-12 |publisher=Record china |accessdate=2017-11-15}}</ref>。[[唐]]から[[宋 (王朝)|宋]]にかけて全盛期を迎えた。だが、[[北宋]]後期から[[楮紙]]や[[竹紙]]など抄造が簡便な紙が用いられるようになった。
[[中国]]にて、起源前千数百年前に、[[文字]]の原型ができると、亀の甲羅、動物の骨が使われ、後に石、陶器などに書き、次第に、木簡・竹簡やその同時代に大半は[[帛書]](はくしょ)に書いた<ref name="naid40005025171"/>。

紙の起源としては、『[[後漢書]]』の記載では、(東漢の{{sfn|久米康生|1985|p=6}})[[蔡倫]](さいりん)が105年(後漢の元興元年)に和帝に紙を献上したとあるため、これが一般に起源とされてきた<ref name="naid110001826647">{{Cite journal |和書|author=小林良生 |date=1988 |title=墨と和紙 : 長寿の記録材料 |journal=化学と教育 |volume=36 |issue=3 |pages=240-242 |naid=110001826647 |doi=10.20665/kakyoshi.36.3_240 |url=http://dx.doi.org/10.20665/kakyoshi.36.3_240}}</ref>。しかし、『[[漢書]]』(前漢書)には、既に「西漢に紙がある」と記されており<ref name="naid40005025171">{{Cite journal |和書|author=吉野敏武 |date=1996-12 |title=肉眼観察による素材研究 麻紙 |journal=和紙文化研究 |issue=4 |pages=105-123 |naid=40005025171}}</ref>、遺跡から出土した麻紙はこれをさかのぼらせている{{sfn|久米康生|1985|p=6}}。

[[アサ|麻]](大麻)は中国で古くから用いられてきた<ref>{{Cite journal |author=Lu X , R.C.Clarke |date=1995|title=The cultivation and use of hemp (Cannabis sativa L.) in ancient China|url=http://www.druglibrary.org/olsen/hemp/iha/iha02111.html|journal=Journal of the inernational Hemp Association|volume=2|issue=1|page=26-30}}</ref>。[[陝西省]]にて出土した[[ハ橋紙|灞橋紙]](はきょうし)は<ref name="naid10029493618"/>、[[紀元前140年]]-[[紀元前87年|87年]]頃のものであり、同時に出土した貨幣から紀元前118年以前と推定され、主要な原料が[[アサ|大麻]]で、少量の[[カラムシ|苧麻]]を含む植物繊維だと断定されている{{sfn|久米康生|1985|pp=18-19、33}}。前漢宣帝(紀元前73年-49年)の頃のものとされる麻紙は、中国にてロブ・ノール紙(1933年出土、[[新疆省]])、金関紙(1973-74年出土、甘粛省)、中顔紙(1978年出土、陝西省)の{{sfn|久米康生|1985|pp=18-19、33}}であり><ref name="naid10029493556">{{Cite journal |和書|author=伊藤通弘 |date=1996-11-01 |title=紙の発生から普及まで(15) |journal=紙パ技協誌 |volume=50 |issue=11 |pages=1639-1640 |naid=10029493556 |doi=10.2524/jtappij.50.1639 |url=http://dx.doi.org/10.2524/jtappij.50.1639}}</ref><ref name="naid10029493618">灞橋紙、中顔紙の詳細: {{Cite journal |和書|autho1=伊藤通弘 |date=1996-12-01 |title=紙の発生から普及まで(16) |journal=紙パ技協誌 |volume=50 |issue=12 |pages=1794-1795 |naid=10029493618 |doi=10.2524/jtappij.50.1794 |url=http://dx.doi.org/10.2524/jtappij.50.1794}}</ref>、原料は麻(大麻)とされる<ref name="naid110001826647"/>。蔡倫より、さらに100年古いとみられる西漢時代の文字が記載された麻紙も2006年に同定されている<ref>{{Cite journal |author=Lu X , R.C.Clarke |date=1995|title=The cultivation and use of hemp (Cannabis sativa L.) in ancient China|url=http://www.druglibrary.org/olsen/hemp/iha/iha02111.html|journal=Journal of the inernational Hemp Association|volume=2|issue=1|page=26-30}}</ref><ref>{{cite web |author= |title=世界最古の紙「麻紙」、敦煌博物館での保管が判明―甘粛省敦煌市 |url=http://www.recordchina.co.jp/b1900-s0-c30.html |date=2006-8-12 |publisher=Record china |accessdate=2017-11-15}}</ref>。

こうした証拠によって、蔡倫は、[[楮]]を加えることで麻紙を改良したとも考えられるようになった<ref name="naid110001826647"/>。蔡候紙と呼ばれた<ref name="naid40005025171"/>。蔡倫は、樹皮のほか、麻頭(まとう)、敝布(へいふ、ぼろ)、漁網を原料として麻紙を作ったが、この後ろ3つは麻が原料である{{sfn|久米康生|1995|loc=和紙文化辞典&sect;麻紙}}。麻頭は生の原料であるが、主となったのは他の麻原料2種であり{{sfn|久米康生|1985|pp=34-35}}、生の麻の繊維を処理するより、ぼろとなった繊維を原料とした{{sfn|久米康生|1995|loc=和紙文化辞典&sect;麻紙}}。
以前の前漢時代には、蒸煮が行われていなかったが、蔡倫は紙を改良し、蒸煮を発見発見したため樹皮や生の麻を処理できるようになったと、紙を再現してみた中国の研究者は述べている<ref name="naid130003688093">{{Cite journal |和書|author=伊藤通弘 |date=1997 |title=紙の発生から普及まで (19) |journal=紙パ技協誌 |volume=51 |issue=3 |pages=528-528 |naid=130003688093 |doi=10.2524/jtappij.51.528 |url=http://dx.doi.org/10.2524/jtappij.51.528}}</ref>。

唐代には、重要な文書は[[黄蘗色]]に染めた黄麻紙に書くことを定められた{{sfn|久米康生|1995|loc=和紙文化辞典&sect;色麻紙}}。

[[唐]]から[[宋 (王朝)|宋]]にかけて全盛期を迎えた。だが、[[北宋]]後期から[[楮紙]]や[[竹紙]]など抄造が簡便な紙が用いられるようになった。


[[ファイル:Horyuji bequest.jpg|サムネイル|法隆寺献物帳(天平勝宝8年・756年)]]
[[ファイル:Horyuji bequest.jpg|サムネイル|法隆寺献物帳(天平勝宝8年・756年)]]
日本では、[[奈良時代]]から[[平安時代]]にかけて[[詔書]]・[[勅書]]・[[宣命]]と言った重要な[[公文書]]の原紙(紙)や[[写経]]の材料として用いられた。[[正倉院]]の「東大寺献物帳」([[光明皇后]]が[[東大寺盧舎那仏像|東大寺大仏]]に献納した宝物の目録)や[[東京国立博物館]]所蔵の「法隆寺献物帳」などが現存する麻紙の古文書の代表例である。
日本では、[[奈良時代]]から[[平安時代]]にかけて[[詔書]]・[[勅書]]・[[宣命]]と言った重要な[[公文書]]の原紙(色麻紙)や[[写経]]の材料として用いられた。[[正倉院]]の「東大寺献物帳」([[光明皇后]]が[[東大寺盧舎那仏像|東大寺大仏]]に献納した宝物の目録)や[[東京国立博物館]]所蔵の「法隆寺献物帳」などが現存する麻紙の古文書の代表例である。

奈良時代には、麻紙の使用が優勢であり、平安時代には[[穀紙]]が増え、後期には紙屋院で麻紙は製造されなくなった{{sfn|久米康生|1995|loc=和紙文化辞典&sect;麻紙}}。

『[[日本書紀]]』610年(推古18年)では、高句麗から渡来した僧の[[曇徴]]が製紙の技術を伝えたと記される<ref name="naid40005025171"/>。しかし、469年(雄略天皇7年)には多くの渡来人の記載、538年(宣化3年)の仏教伝来があるため、610年以前に伝搬していたものとも推論できる<ref name="naid40005025171"/>。


『[[延喜式]]』には麻の[[樹皮]]や[[租庸調#正調|調布]](主に麻布が多かった)を原料としてそれらを裁断・舂解(すりつぶす)して紙の材料とする規定が存在していた。また『延喜式』では、[[位記]]や[[具注暦]]の表紙の用紙として麻紙が規定されている。
『[[延喜式]]』には麻の[[樹皮]]や[[租庸調#正調|調布]](主に麻布が多かった)を原料としてそれらを裁断・舂解(すりつぶす)して紙の材料とする規定が存在していた。また『延喜式』では、[[位記]]や[[具注暦]]の表紙の用紙として麻紙が規定されている。


奈良時代の日本の麻紙の製法失われておりその再現こころみられているが、ヨーロッパ手漉き紙は、現在も中国から伝わった伝統技術が温存されている<ref name="naid120006333149">{{Cite journal |和書|author1=大川昭典 |author2=増勝彦 |date=1981-03-25 |title=製紙に関する古代技術研究 |journal=保存科学 |issue=20 |pages=43-56 |naid=120006333149 |url=http://id.nii.ac.jp/1440/00003366/}}</ref>。
『延喜式』規定では、麻紙を作るには、麻布600グラムに対し斐(んぴ)を180グラムを混合したものでる<ref name="naid130003451975">{{Cite journal |和書|author=誠之 |date=1976 |title=天平 |journal=紙パ技協誌 |volume=30 |issue=10 |pages=522-526 |naid=130003451975 |doi=10.2524/jtappij.30.10_522 |url=http://dx.doi.org/10.2524/jtappij.30.10_522}}</ref>。

『延喜式』に、[[宣命]](せんみょう)を書く紙は、伊勢神宮は[[アイ (植物)|藍]]にて染めた標紙(はなだし、青系)に、[[賀茂神社|加茂神社]]は紅紙に、ほかは黄紙にと定められ、これは[[麻織物|麻布]]を原料とした麻紙の染紙であるが、後には麻紙以外も用いられたようである<ref name="naid130003451779">{{Cite journal |和書|author=加藤晴治 |date=1965 |title=古い和紙に関する考察:第10報 伊勢神宮文庫保蔵古文書とその用紙 |journal=紙パ技協誌 |volume=19 |issue=1 |pages=14-17 |naid=130003451779 |doi=10.2524/jtappij.19.14 |url=http://dx.doi.org/10.2524/jtappij.19.14}}</ref>。色麻紙であり、写経にも用いられた{{sfn|久米康生|1995|loc=和紙文化辞典&sect;麻紙}}。

福井県の[[岩野平三郎]]が、1926年(大正15年)に麻紙を復元し、日本画の画紙として用いられるようになった{{sfn|久米康生|1995|loc=和紙文化辞典&sect;麻紙}}。京都、綾部市黒谷町、高知、伊野町でも作られており、生の繊維を手間をかけて処理している{{sfn|久米康生|1995|loc=和紙文化辞典&sect;麻紙}}。岩野工房では特注で色麻紙も作られている{{sfn|久米康生|1995|loc=和紙文化辞典&sect;色麻紙}}。代表的な日本画用の麻紙は、麻と楮を原料にしたものと、苧麻と楮を原料にしたものがあり、前者は製法を受け継ぎ職人の手作業が多く、また前者は筆が接した部分以上に滲み、後者はそうではない<ref name="naid40016642729">{{Cite journal |和書|author=守屋亜矢子 |date=2009 |title=日本画制作における麻紙の特性 |journal=芸術学研究 |issue=13 |pages=151-161 |naid=40016642729}}</ref>。この滲みは、日本画の画家が好んだものである<ref name="naid40021112985">{{Cite journal |和書|author=陳芃宇 |date=2016 |title=近代日本画における紙の特質と水墨表現 : 自然色麻紙と白麻紙を中心に |journal=芸術学研究 |issue=21 |pages=31-40 |naid=40021112985}}</ref>。

栃木県鹿沼市は、1600年代にも麻の生産が盛んであると記されてきた土地であり、その国産の麻を使った紙漉きが行われており、麻紙を使った照明も作られてている<ref name="naid130005262208">{{Cite journal |和書|author=橋本寿夫 |date=2016 |title=野州麻 |journal=ファルマシア |volume=52 |issue=9 |pages=837-839 |naid=130005262208 |doi=10.14894/faruawpsj.52.9_837 |url=http://dx.doi.org/10.14894/faruawpsj.52.9_837}}</ref>。
その麻紙工房は2001年に開かれ、同じように処理に手間がかかる[[竹紙]]の職人の元へ修行へ出て、その経験を元に麻を加工し、麻の繊維部分の精麻だけを原料とした麻紙や、麻幹や麻屑を混ぜて作るものもある<ref name="野州麻紙">{{Cite book|和書|author=秋山真志|title=職業外伝|publisher=ポプラ社|date=2005|isbn=4-591-08597-X|page=116-135}}</ref>。他に、はがき、書道、版画、壁紙、障子用など、その手触りや温かみ、和らぎを生かした製品が作られいる<ref name="野州麻紙"/>。

==古代の技術==
中国、[[陝西省]]の[[鳳翔県|[鳳翔]]の紙坊村には麻紙の古代の技法が伝えられており、麻鞋や麻切れを原料とした{{sfn|久米康生|1985|pp=34-35}}。

奈良時代の日本の麻紙の製法は失われており、1980年代の日本でその再現がこころみられているが、ヨーロッパの手漉き紙は、現在でも中国から伝わった伝統技術が温存されている<ref name="naid120006333149">{{Cite journal |和書|author1=大川昭典 |author2=増田勝彦 |date=1981-03-25 |title=製紙に関する古代技術の研究 |journal=保存科学 |issue=20 |pages=43-56 |naid=120006333149 |url=http://id.nii.ac.jp/1440/00003366/}}</ref>。西欧は、比較的忠実にその技術を継承しており、麻(大麻)や亜麻のぼろ布を原料としている{{sfn|久米康生|1995|loc=和紙文化辞典&sect;麻紙}}。

日本で麻紙の復元を試みた福井県や高知県の紙漉き職人は、処理に手間がかかることを語っている{{sfn|久米康生|1985|pp=34-35}}。


==出典==
==出典==
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==参考文献==
*{{Cite book|和書|author=久米康生|title=造紙の源流|publisher=雄松堂出版|date=1985|isbn=4-8419-0015-2|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=久米康生|title=和紙文化辞典|publisher=雄松堂出版|date=1995|isbn=4841903941|ref=harv}}


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2017年11月18日 (土) 14:50時点における版

麻紙(まし/あさがみ)とは、麻繊維を原料とするのこと[1]。麻紙は紙の起源とされ、それ以前は、大半は絹布である帛書(はくしょ)に文字を書いた[2]。紙の起源として、主に小布の麻布を使った狭義の(大麻)が多く、少量の苧麻(からむし)が混じった麻紙が発掘されており、史書では105年に蔡倫(さいりん)がこれを改良し、樹皮や生の麻を処理して加えられるようになった。10世紀頃までよく用いられた紙である。

特徴

穀紙に比べると緻密で上品な味わいがあるとされ、また紙魚にも強いことから、重要な文書の用紙に利用されたが、反面紙肌が荒いためにあらかじめ表面を加工しておかないと筆の走りが悪くなる場合があり、長期間を経ると強度が低下して劣化したり、破損することも多かったために次第に穀紙に代わられていった。以降は上級の紙として利用されることが多い。

麻の繊維は強靭で長いために抄造作業は困難であった。まず原料である麻を細かく切った後に繊維を叩解する必要があったが、作業の円滑化のために麻を発酵させて繊維を柔らかくしたり、石臼で磨り潰したり、木の棒で打解したりなどの方法が行われた他、魚網や麻布などを細かく裁断するなどの工夫が行われた。

紙の起源である麻紙とその展開

中国にて、起源前千数百年前に、文字の原型ができると、亀の甲羅、動物の骨が使われ、後に石、陶器などに書き、次第に、木簡・竹簡やその同時代に大半は帛書(はくしょ)に書いた[2]

紙の起源としては、『後漢書』の記載では、(東漢の[3]蔡倫(さいりん)が105年(後漢の元興元年)に和帝に紙を献上したとあるため、これが一般に起源とされてきた[4]。しかし、『漢書』(前漢書)には、既に「西漢に紙がある」と記されており[2]、遺跡から出土した麻紙はこれをさかのぼらせている[3]

(大麻)は中国で古くから用いられてきた[5]陝西省にて出土した灞橋紙(はきょうし)は[6]紀元前140年-87年頃のものであり、同時に出土した貨幣から紀元前118年以前と推定され、主要な原料が大麻で、少量の苧麻を含む植物繊維だと断定されている[7]。前漢宣帝(紀元前73年-49年)の頃のものとされる麻紙は、中国にてロブ・ノール紙(1933年出土、新疆省)、金関紙(1973-74年出土、甘粛省)、中顔紙(1978年出土、陝西省)の[7]であり>[8][6]、原料は麻(大麻)とされる[4]。蔡倫より、さらに100年古いとみられる西漢時代の文字が記載された麻紙も2006年に同定されている[9][10]

こうした証拠によって、蔡倫は、を加えることで麻紙を改良したとも考えられるようになった[4]。蔡候紙と呼ばれた[2]。蔡倫は、樹皮のほか、麻頭(まとう)、敝布(へいふ、ぼろ)、漁網を原料として麻紙を作ったが、この後ろ3つは麻が原料である[1]。麻頭は生の原料であるが、主となったのは他の麻原料2種であり[11]、生の麻の繊維を処理するより、ぼろとなった繊維を原料とした[1]。 以前の前漢時代には、蒸煮が行われていなかったが、蔡倫は紙を改良し、蒸煮を発見発見したため樹皮や生の麻を処理できるようになったと、紙を再現してみた中国の研究者は述べている[12]

唐代には、重要な文書は黄蘗色に染めた黄麻紙に書くことを定められた[13]

からにかけて全盛期を迎えた。だが、北宋後期から楮紙竹紙など抄造が簡便な紙が用いられるようになった。

法隆寺献物帳(天平勝宝8年・756年)

日本では、奈良時代から平安時代にかけて詔書勅書宣命と言った重要な公文書の原紙(色麻紙)や写経の材料として用いられた。正倉院の「東大寺献物帳」(光明皇后東大寺大仏に献納した宝物の目録)や東京国立博物館所蔵の「法隆寺献物帳」などが現存する麻紙の古文書の代表例である。

奈良時代には、麻紙の使用が優勢であり、平安時代には穀紙が増え、後期には紙屋院で麻紙は製造されなくなった[1]

日本書紀』610年(推古18年)では、高句麗から渡来した僧の曇徴が製紙の技術を伝えたと記される[2]。しかし、469年(雄略天皇7年)には多くの渡来人の記載、538年(宣化3年)の仏教伝来があるため、610年以前に伝搬していたものとも推論できる[2]

延喜式』には麻の樹皮調布(主に麻布が多かった)を原料としてそれらを裁断・舂解(すりつぶす)して紙の材料とする規定が存在していた。また『延喜式』では、位記具注暦の表紙の用紙として麻紙が規定されている。

『延喜式』の規定では、麻紙を作るには、麻布600グラムに対し斐(がんぴ)を180グラムを混合したものである[14]

『延喜式』に、宣命(せんみょう)を書く紙は、伊勢神宮はにて染めた標紙(はなだし、青系)に、加茂神社は紅紙に、ほかは黄紙にと定められ、これは麻布を原料とした麻紙の染紙であるが、後には麻紙以外も用いられたようである[15]。色麻紙であり、写経にも用いられた[1]

福井県の岩野平三郎が、1926年(大正15年)に麻紙を復元し、日本画の画紙として用いられるようになった[1]。京都、綾部市黒谷町、高知、伊野町でも作られており、生の繊維を手間をかけて処理している[1]。岩野工房では特注で色麻紙も作られている[13]。代表的な日本画用の麻紙は、麻と楮を原料にしたものと、苧麻と楮を原料にしたものがあり、前者は製法を受け継ぎ職人の手作業が多く、また前者は筆が接した部分以上に滲み、後者はそうではない[16]。この滲みは、日本画の画家が好んだものである[17]

栃木県鹿沼市は、1600年代にも麻の生産が盛んであると記されてきた土地であり、その国産の麻を使った紙漉きが行われており、麻紙を使った照明も作られてている[18]。 その麻紙工房は2001年に開かれ、同じように処理に手間がかかる竹紙の職人の元へ修行へ出て、その経験を元に麻を加工し、麻の繊維部分の精麻だけを原料とした麻紙や、麻幹や麻屑を混ぜて作るものもある[19]。他に、はがき、書道、版画、壁紙、障子用など、その手触りや温かみ、和らぎを生かした製品が作られいる[19]

古代の技術

中国、陝西省[鳳翔の紙坊村には麻紙の古代の技法が伝えられており、麻鞋や麻切れを原料とした[11]

奈良時代の日本の麻紙の製法は失われており、1980年代の日本でその再現がこころみられているが、ヨーロッパの手漉き紙は、現在でも中国から伝わった伝統技術が温存されている[20]。西欧は、比較的忠実にその技術を継承しており、麻(大麻)や亜麻のぼろ布を原料としている[1]

日本で麻紙の復元を試みた福井県や高知県の紙漉き職人は、処理に手間がかかることを語っている[11]

出典

  1. ^ a b c d e f g h 久米康生 1995, 和紙文化辞典§麻紙.
  2. ^ a b c d e f 吉野敏武「肉眼観察による素材研究 麻紙」『和紙文化研究』第4号、1996年12月、105-123頁、NAID 40005025171 
  3. ^ a b 久米康生 1985, p. 6.
  4. ^ a b c 小林良生「墨と和紙 : 長寿の記録材料」『化学と教育』第36巻第3号、1988年、240-242頁、doi:10.20665/kakyoshi.36.3_240NAID 110001826647 
  5. ^ Lu X , R.C.Clarke (1995). “The cultivation and use of hemp (Cannabis sativa L.) in ancient China”. Journal of the inernational Hemp Association 2 (1): 26-30. http://www.druglibrary.org/olsen/hemp/iha/iha02111.html. 
  6. ^ a b 灞橋紙、中顔紙の詳細: 紙の発生から普及まで(16)」『紙パ技協誌』第50巻第12号、1996年12月1日、1794-1795頁、doi:10.2524/jtappij.50.1794NAID 10029493618 
  7. ^ a b 久米康生 1985, pp. 18-19、33.
  8. ^ 伊藤通弘「紙の発生から普及まで(15)」『紙パ技協誌』第50巻第11号、1996年11月1日、1639-1640頁、doi:10.2524/jtappij.50.1639NAID 10029493556 
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参考文献

  • 久米康生『造紙の源流』雄松堂出版、1985年。ISBN 4-8419-0015-2 
  • 久米康生『和紙文化辞典』雄松堂出版、1995年。ISBN 4841903941