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高辻福長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
高辻福長
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦11年10月13日1761年11月9日
死没 文政2年5月7日1819年6月28日
改名 勝麻呂(童名)→福長
戒名 孝靖院
官位 正二位権中納言
主君 後桜町天皇後桃園天皇光格天皇仁孝天皇
氏族 高辻家
父母 父:高辻胤長、母:五条為成の娘
兄弟 福長、亀姫
正室:土御門泰邦の娘
俊長以長西高辻信観[1]稲田敏植継室
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高辻 福長(たかつじ とみなが)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿大納言高辻胤長の子。官位正二位権中納言

経歴

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明和7年(1770年)に後桜町天皇後桃園天皇に譲位して上皇となると、文化10年(1813年)に上皇が崩御するまで院伺候衆として上皇の側に仕えた。寛政元年(1789年2月2日従三位に叙されて公卿に列せられる。

文政2年(1819年)1月5日、薨去。享年59。

系譜

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  • 父:高辻胤長
  • 母:五条為成の娘
  • 正室:土御門泰邦の娘
  • 生母不明の子女
    • 男子:高辻俊長
    • 男子:高辻以長
    • 男子:西高辻信観 - 西高辻信廉の養子
    • 女子:稲田敏植継室

脚注

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  1. ^ 西高辻信廉の養子

参考文献

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  • 『公卿類別譜』