高辻福長
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦11年10月13日(1761年11月9日) |
死没 | 文政2年5月7日(1819年6月28日) |
改名 | 勝麻呂(童名)→福長 |
戒名 | 孝靖院 |
官位 | 正二位、権中納言 |
主君 | 後桜町天皇→後桃園天皇→光格天皇→仁孝天皇 |
氏族 | 高辻家 |
父母 | 父:高辻胤長、母:五条為成の娘 |
兄弟 | 福長、亀姫 |
妻 | 正室:土御門泰邦の娘 |
子 | 俊長、以長、西高辻信観[1]、稲田敏植継室 |
高辻 福長(たかつじ とみなが)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿。大納言・高辻胤長の子。官位は正二位・権中納言。
経歴
[編集]明和7年(1770年)に後桜町天皇が後桃園天皇に譲位して上皇となると、文化10年(1813年)に上皇が崩御するまで院伺候衆として上皇の側に仕えた。寛政元年(1789年)2月2日、従三位に叙されて公卿に列せられる。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『公卿類別譜』