高向国押
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時代 | 飛鳥時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 国忍 |
官位 | 大花上・刑部尚書 |
主君 | 皇極天皇→孝徳天皇 |
氏族 | 高向臣 |
父母 | 父:高向宇摩 |
子 | 麻呂 |
高向 国押(たかむく の くにおし)は、飛鳥時代の人物。名は国忍とも書く。姓は臣。高向宇摩の子とする系図がある[1]。冠位は大花上(大宝律令制の正四位に相当)・刑部尚書。子に麻呂がいる。
経歴
[編集]蘇我氏の配下にあったが、皇極天皇2年(643年)、山背大兄王が生駒山に逃げ込んだ際、蘇我入鹿の王追捕の命に従わず、皇極天皇の宮を守った。
皇極天皇4年(645年)、乙巳の変では、中大兄皇子(後の天智天皇)らにより入鹿が殺害されたために、漢直らと共に中大兄皇子と対立し、クーデター派に徹底抗戦の構えを見せたが、中大兄皇子の使者・巨勢徳多の説得を受け入れ、漢直を諭して軍陣を解いた。この時、国押は漢直に対して、主人である入鹿が討たれた今、蝦夷も今日明日中に討たれるだろうと述べた上で、『然らば誰が為に空しく戦ひて、盡に刑せられむか』[2]と武装解除し、その場を立ち去ったと言う。
子の麻呂の薨伝によると、孝徳天皇朝(645年 - 654年)において刑部尚書に就いたという[3]。