頂妙寺
頂妙寺 | |
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所在地 | 京都府京都市左京区仁王門通川端東入ル大菊町96 |
位置 | 北緯35度0分45.9秒 東経135度46分24.9秒 / 北緯35.012750度 東経135.773583度座標: 北緯35度0分45.9秒 東経135度46分24.9秒 / 北緯35.012750度 東経135.773583度 |
山号 | 聞法山 |
宗派 | 日蓮宗 |
寺格 | 本山 |
本尊 | 十界曼荼羅 |
創建年 | 1473年(文明5年) |
開山 | 日祝 |
開基 | 細川勝益 |
札所等 | 洛中法華21ヶ寺 |
文化財 | 紙本墨画牛図(重要文化財)ほか |
法人番号 | 6130005002097 |
頂妙寺(ちょうみょうじ)は、京都府京都市左京区大菊町にある、日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は聞法山。塔頭が八院ある(真如院、法輪院、大乗院、善性院、妙雲院、本立院、善立院、真浄院)。
歴史
[編集]中世
[編集]頂妙寺は下総国出身の僧日祝(1437年-1513年、日國の弟子で日常六世に当たる)によって創建された。日祝は1469年(文明元年)上洛。檀越の細川勝益から寺地の寄進を受け、1473年(文明5年)に頂妙寺を開山した。当時の寺地は南は四条通、北は錦小路通、西は万里小路(現在の柳馬場通)、東は富小路通に至る地で、現在の京都市下京区と中京区にまたがる。その後、頂妙寺は移転を繰り返した。1509年(永正6年)、新町長者町に移転(現・上京区元頂妙寺町)。1523年(大永4年)には高倉中御門に移転した。中御門通は現在の椹木町通で、「高倉中御門」は京都御苑内の厳島神社付近にあたる。
1536年(天文5年)の天文法華の乱では他の法華宗寺院とともに焼失し、堺に避難した。その後1542年(天文11年)、後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、頂妙寺は同年、高倉中御門の旧地に伽藍を再建した。
近世
[編集]1573年(天正元年)、織田信長の上京焼討ちにより、鷹司新町に移転する。「鷹司新町」は前出の「新町長者町」とほぼ同位置である。
1579年(天正7年)の安土宗論には頂妙寺から日珖が臨んだ。1583年(天正11年)には豊臣秀吉の命により、高倉中御門に再度移転するが、1673年(寛文13年)禁裏に隣接しているという理由で、現在の地に移転した。寺は1788年(天明8年)天明の大火により焼失するが、その後再建された。
現住は91世田中日淳貫首(久留米市妙正寺より晋山)。達師法縁(繋珠会)縁頭寺。
文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]京都府指定有形文化財
[編集]- 京都十六本山会合文書
旧末寺
[編集]日蓮宗は1941年(昭和16年)に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
- 慈光山善性院(京都市左京区大菊町)塔頭
- 慈雲山善立院(京都市左京区大菊町)塔頭
- 霊鷲山真浄院(京都市左京区大菊町)塔頭
- 妙相山本立院(京都市左京区大菊町)塔頭
- 法光山大乗院(京都市左京区大菊町)塔頭
- 松林山妙雲院(京都市左京区大菊町)塔頭
- 聞法山法輪院(京都市左京区大菊町)塔頭
- 法性山真如院(京都市左京区大菊町)塔頭
- 一樹山宗柏寺(新宿区榎町)
- 佛坐山玉淵寺(京都市上京区姥ケ北町)
- 放光山瑞芳寺(京都市北区鷹峰南鷹峰町)
- 実相山妙行寺(京都府船井郡京丹波町井尻コハケ谷)
- 妙法山蓮城寺(東大阪市若江南町)
- 法性山常徳寺(奈良市北向町)
- 妙光山法蓮寺(神戸市兵庫区神明町)
- 日出山本妙寺(丹波市春日町東中)
- 一龍山妙長寺(福山市駅家町万能倉)
- 橋照山慈運院(倉吉市関金町安歩)
- 彼岸山積善寺(松山市鹿峰)
- 天高山妙國寺(高知市塩屋崎町)
- 金銀山大願寺(香南市香我美町徳王子)
- 荘厳山妙正寺(久留米市寺町)
- 大雲山妙善寺(久留米市寺町)
- 金納山瑞泉院(柳川市大字金納)
- 長寿山福王寺(筑後市溝口)
- 本宮山常妙寺(大分市大字葛木)
- 竹林山法音寺(臼杵市二王座)
- 円明山妙光寺(大分県速見郡日出町)
人物
[編集]- 日祝(開山)
- 日言(二世)
- 日珖(三世)[1]
- 日暁(四世)
所在地
[編集]京都府京都市左京区仁王門通川端東入ル大菊町96
参考文献
[編集]- 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、平凡社、1979
- 河内将芳「中世頂妙寺の寺地と立地について」、『興風』34号、2022https://researchmap.jp/read0070296/published_papers/40647408
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、頂妙寺に関するカテゴリがあります。