陽胡玉陳

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陽胡 玉陳(やこ の たまふる、生没年不詳)は、飛鳥時代の学者[1]。名は王陳とも記される[1]は史。陽胡(陽侯)氏の祖[1]煬帝の子孫の阿了王に出自をもつとする[2]

経歴・人物[編集]

推古天皇10年(602年百済から僧侶観勒が日本に渡来し、の本・天文地理の書・遁甲方術の書を朝廷に貢いだ。そこで朝廷では書生3-4名を選んで観勒の元で学ばせた。この時、玉陳は暦法を学んでこれを修めた[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『陽胡玉陳』 - コトバンク
  2. ^ 安藤正次古典と古語三省堂、1935年1月1日、21頁。ASIN B000JAWK0Ehttps://www.google.co.jp/books/edition/古典と古語/P-Wtafa5TNcC?hl=ja&gbpv=1&pg=PP33&printsec=frontcover 
  3. ^ 『日本書紀』推古天皇十年十月条

参考文献[編集]