那須明資

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
那須明資
時代 室町時代
生誕 不明
死没 不明
別名 太郎
官位 大膳大夫
氏族 那須氏(上那須家)
父母 父:那須氏資
兄弟 明資資親上川井資威宇都宮等綱
那須資実
養子:資親
テンプレートを表示

那須 明資(なす あきすけ)は、室町時代武将那須氏(上那須家)14代当主。

那須氏13代当主・那須氏資の嫡男として誕生。

明資は下那須家の那須資実とは長く抗争を続け、享徳3年(1455年)からの享徳の乱でも上杉氏と結んで堀越公方足利政知方として、古河公方足利成氏方の資実を攻めていたが、文明4年(1472年)に結城直朝の仲介で和解、資実に娘を嫁がせてこれを機に成氏方に寝返った[1]

文明8年(1476年)からの長尾景春の乱では長尾景春千葉孝胤と結びこれを支援したが若くして没する。

家督は弟・資親が継いだ。

脚注[編集]

  1. ^ この縁組は後の那須資房政資の那須家統一の正当化の根拠の一つとなる。