趙鼎

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趙鼎(ちょう てい、生没年不詳)は、高麗の重臣。古代中国の王族の末裔とされ、中国末期に朝鮮半島に渡った。咸安趙氏の始祖。高句麗新羅百済の滅亡後、高麗の太祖王建に重用され、931年に咸安(ハマン・現在の慶尚南道の一部。古代の伽耶国のあたり)の守護を命じられた。高麗建国に奏功したため、開国壁上一等功臣、大将軍、元尹を叙勲。

概要[編集]

中国末期に朝鮮半島に亡命した3人の兄弟があった。長男・趙鼎は新羅へ、次男は百済へ、三男は高句麗へと渡った。唐が弱体化すると、朝貢国である新羅も政治腐敗から国内が乱れた。新羅末の戦乱期に建国された高麗は、後百済後高句麗を平定し、朝鮮半島を統一した。931年、高麗太祖王建の命により、趙鼎は安氏、李氏と共に三家の一として咸安の地の守護を任された。

参考文献[編集]