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諏訪盛條

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諏訪 盛條(すわ もりえだ、正保2年12月5日1646年1月21日) - 元禄8年4月3日1695年5月15日))は、江戸時代前期の旗本

信濃国諏訪藩2代藩主諏訪忠恒の四男。3代藩主諏訪忠晴の弟。母は中嶋氏。子に盛就がいる。通称は右近、五郎左衛門。

寛文6年(1666年)8月21日、将軍徳川家綱に拝謁する。寛文7年(1667年)11月27日、御書院番士となり、寛文9年(1670年)12月21日廩米300俵を賜る。日光東照宮の仏殿修補の奉行を務めたことから元禄3年(1690年)黄金10枚を拝賜し、元禄4年(1691年)閏8月12日に小十人頭となる。元禄6年(1693年)12月18日には廩米200俵を加増された。

元禄8年(1695年)に江戸で死去。享年51。法名は接水。深川の恵然寺に葬られた。

参考文献

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