薩摩土手
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薩摩土手(さつまどて)、または駿府御囲堤(すんぷおかこいづつみ)は、静岡県静岡市葵区にある江戸時代初期の堤防。
名に「薩摩」とあるように、築堤に薩摩藩が関わったとする伝承があるが、それを裏付ける確実な証拠は見つかっていない。
概要
[編集]征夷大将軍職を嫡男の徳川秀忠に譲り大御所となった家康が、1606年(慶長11年)ころから開始した駿府城拡張や安倍川治水工事(天下普請)の一環として造られた堤防である。本線となる堤防から枝状の支堤防がいくつか伸びる形状が、雁の飛翔する様に似ることから「雁行性(がんこうせい)堰堤」と呼ばれる[1]。
地元では、薩摩藩主・島津忠恒により大量に運び込まれた石材・木材を用いて築堤されたと伝わり「薩摩土手」として親しまれているが[2]、工事に島津家が関与した事実は立証されていないという[3]。
賤機山西側山麓、井宮(いのみや)妙見神社の山裾から南西方向に造られている。高さ約5.4メートル、全長約4キロメートルを測り、下流の駿河区中野新田(東名高速静岡ICの北側付近)まで続いていた。下流区間の約1.3キロメートルは堤としては残っておらず「さつま通り」(静岡県道354号静岡環状線の一部)となっているが、上流区間は残り、今も予備的な堤防として機能している[3]。
2017年(平成29年)には公益社団法人土木学会選奨の土木遺産に認定された[4]。
脚注
[編集]- ^ 「大御所四百年祭記念・家康公を学ぶ」-静岡市
- ^ 「ふじの国文化資源データベース」-静岡市
- ^ a b 「中部地方の選奨土木遺産」 (PDF) -土木学会 2017年
- ^ 「駿府御囲堤(薩摩土手)」 -土木学会
参考文献
[編集]- 森 威史「駿府囲堤築造考~いわゆる薩摩土手の築堤について~」『地方史静岡』第22号 地方史静岡刊行会編 1994年(平成6年)3月
- 「中部地方の選奨土木遺産・駿府御囲堤(薩摩土手)」 (PDF) -土木学会選奨土木遺産中部支部選考委員会 2017年(平成25年)
外部リンク
[編集]- 薩摩土手 -ふじの国文化資源データベース
座標: 北緯34度59分18.7秒 東経138度22分12.5秒 / 北緯34.988528度 東経138.370139度